第4話 何時の終わり? ~ it's no worry ~
「ねぇ、貴方はどうなりたいの?」
「ねぇ、貴方は私とどうなりたいの?」
「ねぇ、貴方は私とシたいだけなんじゃないの?」
「ねぇ、貴方にとって私は都合のいい女なんじゃないの?」
今でも目を閉じると浮かぶのは、彼女の悲痛な顔。知らず知らずの内に彼女の不満は限界に達していた。
それに気付けなかった責任は大きいと思うし、そこを気遣う事が出来なかった後悔が後に絶たない。
こうして未来に紡がれていく。
「ねぇ、実は今度入院しなきゃいけなくなったんだ」
「えっ?あぁ、うん、そんな重い病気じゃないの。だから安心して?」
「ちょっと手術して、2、3日入院して……経過が良ければそのまま退院だから。だからほら、全然重い病気じゃないから凄く安心して待っててねッ。その間、連絡は出来ないけど、浮気しちゃダメだぞッ」
「え?なんか凄く怪しいから病名教えろ?あはははは。それにちょっと病名は言いたくない……かな。あはははは、えっ?そんなに信用無くなんてないよ?ちゃんと信用してるから心配しないで」
「いやいやだって、言ったら絶対に心配するじゃん?そんなのイヤだもん。だから、信じて待っていて下さい。お願いしますから」
「ちゃんと直ぐに治って回復するよッ!そしたらそうだなぁ、一緒に泊りがけで温泉行こっか?」
彼女はどうやらポリープが出来たらしい。良性だと思われると話してくれたが、手術して病理検査に出さないと本当に良性なのかは分からないそうだ。
まぁ、これは後々判明した事だったけど、この時の事もやっぱり1つのきっかけだったのかもしれないと今でも考えている。
色々な思い出。全てが大切な思い出たち。辛い事も楽しい事も、全て忘れる事が出来ない思い出たちだ。
こう言ってしまえば、凄く女々しい男に映るかもしれない。だが、どうしようもないくらいロマンチシズムを追い求めている感じはするから、否定は出来ない。
彼女との別れから数年経った頃、それらの思い出たちは忘れたくなくても、ぼんやりと霞が掛かったように鮮明に思い出せなくなっていった。
それだけじゃなく、幾つかの思い出たちは勝手に改竄され間違った記憶と融合され、キレイな部分だけを寄り集めてより鮮明に、インパクトの強いものはより激しく強烈に書き換えられていった。
それはもう、掛け替えのない思い出なのだろうか。
それはもう、幸せの1ページで本当に合ってるのだろうか。
それはもう、ちゃんと体験して本当に起きた記憶に間違いないのか。
それは本当に、綺麗で色鮮やかな世界だったのだろうか。
それは本当に、2人だけで体感した記憶なのだろうか。
それは本当に、2人が確かに愛し合った記憶なのだろうか。
もう既にそれすらも曖昧で信憑性を問われるが、それが本当にあったと証明してくれる彼女はもう既に隣にはいないのだ。
彼女が住んでいる地域に行く事はなくなった。彼女が少し足を伸ばして行きそうな場所に行く事も同様だ。
再び会えば昂ぶった気持ちは抑えられないし、曖昧な記憶のままに再び手を取り合う事は出来ないだろう。
もう、頭の中に2人が共有した世界はなくなってしまったのだから。
彼女の笑顔、怒った顔、悲しそうな顔、嬉しい顔、喜んでいる顔、はにかんだ顔、そして幸せそうな顔。
彼女の仕草、声の音色、笑いのツボに、可愛らしい天使のような寝顔。
鮮明に思い出せるモノはもう、何1つとして頭の中には残ってなどいなかった。
かきかき
かりかり
シュッ
きゅぽんッ
くるくる
さっ
ぎゅっぎゅっ
おそらくだけど、病気なのだろうと感じてる。記憶が薄れていく病気。正確な病名は知らないし、何より医者は嫌いだし病院も同様だ。でも何も問題はないし何も心配はしていない。
だから病気じゃないと思いたいが、記憶の抜け方は異常としか言いようがない。ただ、優しく優しく丁寧に、はみ出した線を少しずつ消すように消されていくのだ。
別の方法で喩えるならば、少しずつ丁寧に切り取られた記憶は、甘噛みするように優しく咀嚼されドロドロに溶かされた後で、排出されるのを待っているだけの状態と言い換えられるかもしれない。
だからそんな状況だけど、思い出が改竄されていく事だけは嫌だった。ドロドロに溶かされた
だからこそ記憶が改変されていく事は認められなかった。初めて世界に彩りと鮮やかさをくれた彼女の存在を、忘れたくなんてなかった。それだけだった。
2人で味わった幸せな記憶が失われ、奪われていくのが見過ごせなかった。だからせめて形に残そうと手紙にした。
誰にも読ませるつもりがない、書き終えた手紙をビンに詰めてコルクで蓋をする。
そして2人で見ようと決めて、何回も見に行って結局1回も見る事が出来なかった思い出の地へと向かう事を決めた。
びゅんッ
ちゃぽんッ
そこは海。最東端にある展望台から日の出を見ようって決めて、何回も行った場所だ。
結局、何度行っても日の出は見る事が出来ず、季節を変えてもそれは叶わなかった。
それは夜と交わった灰色の雲が、徐々に白く染め上げられて来る一連の流れを見る事しか出来なかっただけ……そんな苦い思い出の宿る場所。
まだ肌寒く色とりどりの花が咲き乱れ、出迎えてくれた春。
南からの湿った潮風を浴びながら、青々とした葉を揺らしていた夏。
隆盛を誇った緑から反対色へと移り変わり、より一層鮮やかにしてくれた秋。
寒い北風に震えながら温かいコーヒー缶を握りしめて寄り添い、温もりを齎してくれた冬。
願いは叶う事がなかったから……苦いながらも、彩り豊かで情緒溢れる情景を見せてくれたそんな場所。
記憶の中身を書いた手紙をそんな思い入れのある海に投げ入れる事で、その記憶を海という宝箱に隠す事にした。
この手紙が彼女の手元に渡る事は、内陸に住んでいる彼女には無理な話だと考えているし、もしもそんな事が実際に起きたなら、それこそテレビに取り上げられるくらいの奇跡と言えるだろう。
日の出を見たいと言う願いは聞き入れられなかったのに、そんな奇跡が叶ってしまうなら滑稽過ぎるし願い下げだ。
だからもう、これで全てが終わったんだ。
海に浮かぶ小瓶は潮目に触れて一層加速して流されていく。あと数分もすれば肉眼で追う事は難しくなるだろう。
そしてこれからまた数年もすれば、完全に何も思い出せなくなるだろう。それこそ、顔だけでなく名前すらも。
人の出会いは一期一会だ。良い出会いも悪い出会いも一期一会。チャンスは1回きりの縁でしかない。
そこを逃さず捕まえて、初めて知り合って、初めて付き合って、初めてを捧げあって、一生を添い遂げられるのであれば、それこそ真に幸福と呼べるのかもしれない。
そんな
もう何も
だって……。
「―――――――――。――――、―――」
ことばあそび 酸化酸素 @skryth @skryth
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