海
ソプラノの彼女は、思ったよりも僕の家の近くに住んでいた。とは言っても電車で3時間かかる距離ではあるが。
もっとこう、海が綺麗で有名な場所あたりを想像していたので、少し意表を突かれた気がした。
しかし出不精の僕からしたら相当な旅である。慣れない切符の精算に四苦八苦しながら、やっとのことで電車に乗り込む。
想像よりも電車は空いていた。まあ平日の昼頃だから仕方ないか。
そうして揺られながらうとうとしているうちに、長い旅は片道を終えてしまった。
心地いい海の潮騒が、耳のあたりを刺激する。電車から降りてすぐ、その音にゆっくり耳を傾けてしまい、後ろの電車から降りる人に少し怒った口調で邪魔だと言われてしまった。申し訳なくなる。
待ち合わせ場所は、あの動画の海だった。今更ながら緊張し始める。
そこに近づくにつれ、潮騒が大きくなる。心臓までもが波に攫われてどこかへ沈んで行ってしまいそうな気がした。
そしてふっと、潮騒が止んで、その一瞬の間に歌声が聞こえた。
目を見張る。ああ、そうだ、この声が。
心地いいソプラノ。そう、この声こそが『Meri』の、そのものだった。
「……あの」
「あ、俺の声に興味持ってくれた『Hav』さんですか?」
──俺?
「どうも、俺が『Meri』です」
「お、男の人……?」
「ん? あー、そっかそっか。背中向けてたし声だけだったからかあ」
はは、と笑った声は柔らかく、耳を包みこむように心地の良いアルトだ。
混乱しているけれど、彼女──ではない、彼から放たれていたあの歌声とその歌う姿は、やはり画面の中の『Meri』そのものだったのだ。
「失望しました? 恋愛漫画みたいなロマンティックなエンディングがお望みでしたかね」
「ああいや、そんな」
彼はいい人そうであるのに、こちらが勝手に思っていた像を壊されてしまっただけであるのに残念がってどうする。むしろ異性と話すのは苦手なのだからちょうどいい。
「まあいいや、よくコメントでも女の子って言われてたんで慣れてますよ。勘違いするくらいいい感じに歌えてるんだなって勝手に思ってますけど」
「歌って、もらえますか。こんな僕の曲を」
「もちろん。じゃ行きましょ? いろいろ歌う上で気になるところとか、どんな風にしてほしいかとか聞きたいですから」
旅の先で、また旅が始まった気がした。
音を追う 水神鈴衣菜 @riina
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