第43話 珠の食生活

 珠の目覚めは最悪だった。


 ハシルヒメの連れてきた蛇は屋根裏と床下に放たれたのだが、それは本殿に限ったことではなかった。拝殿と社務所にも放たれたのだ。


 珠のただでさえ鋭敏な感覚が余計に研ぎ澄まされ、床下を這う蛇の気配を感じてしまう。


(一晩中這ってるわけないし、きっと気のせいだよね。そもそも爬虫類の気配なんて感じたことないし)


 気を取り直して珠は布団を干した。立っていると、寝ているときと比べると床から離れたような気がして、少しだけ気が楽だった。


 台所に向かうと、すでにハシルヒメが立っていた。だがいつもと様子が違う。いつもは手際よく料理をしているのだが、今は立ったまま考え込んでいる。


「おはようハシルヒメ。ハシルヒメも眠れなかったの?」


「おお、珠ちん。おはよう。珠ちんも眠れなかったの? 珠ちんが蛇と戯れる姿を思いだすとなかなかなね。珠ちんも癖になった?」


「なるかぁ! トラウマもんだわ! まさかハシルヒメ。今もそんなこと考えて――」


「違う! 違うって!」


 ハシルヒメは両手を伸ばして横に振った。


「今はお茶屋さんのメニューを考えてたんだよ! 何を作ればいいのかわかんなくて」


「本当に? ハシルヒメならいくらでも料理の選択肢あるんじゃないの?」


「選択肢があるから悩むんじゃん。作れる料理が一個だけだったらそれだけでいいんだし」


「贅沢な悩みってわけね。何か得意料理とかないの?」


「うーん。楽だから魚をよく焼くけど、得意料理ってわけじゃないしなぁ。っていうか、同じ魚をたくさん用意なんてできないし」


「たしかに材料の問題もあるのか。でもそういう条件が出てきた方がメニューを絞りやすいんじゃない?」


「そうかも。それじゃあご飯用意するから、食べながら条件出していこうよ」


 ハシルヒメが手際よく用意したのは目玉焼きだった。珠が部屋の隅に立てかけられた箒を指先で小突くと、横に人の気配が現れた。


 そこには藁のスネ当てをした少女が立っていた。


「ハバキ。ご飯だよ」


「ありがとうございます。珠さま」


 三人で一つの机で向かい合い、いただきますをする。


 派手さはないけれど、目玉焼きは絶妙に塩コショウが効いていてご飯のおかずとしては十分だった。


 珠はハバキに訊ねた。


「ねぇハバキはお茶屋さんにあると嬉しいメニューとかある?」


「メニューですか? ハバキは最近までご飯を食べてなかったので難しいですね……」


 考え込んだハバキだったが、突然目を輝かせた。


「そうです! ハバキとしてはお二人が協力した感じがあるメニューがあると嬉しいです!」


「わたしとハシルヒメが? 協力するのはいいけど、料理ってなるとわたしにできることって無いに等しいんだけど」


 珠が目を向けると、ハシルヒメはなぜかもじもじしていた。


「どうしたの? トイレに行きたくなった?」


「違うって! ほら。ハバキだってこう言ってるんだから、珠ちんも協力してよ。珠ちんだって得意料理とかあるでしょ?」


「もちろんそれくらい――」


 珠は何か言おうとしたが、料理名がパッと頭に浮かばなかった。考えこめばもちろん出てくるが、その料理一つ一つが完成する道筋が全く見えない。わかるのは完成した形と味だけだ。


 考え込んで黙っていると、ハシルヒメが顔を覗き込んできた。


「ほ、ほら。ここに来る前によく食べてたものとか。そういうのはあるっしょ?」


「えっと……栄養価が高くてかさばらない物ばかり食べてたから、栄養食品とかゼリー食品が多かったかな」


「あ……」


 ハシルヒメは一瞬だけ目をそらした。だがすぐに視線を戻して珠の目を見た。


「いやいや、そういうのばっかり食べてたわけじゃないでしょ? 一回しか食べてないけど好きな食べ物とか、そういうのでいいんだよ」


「うーん。前に翠羽さんのところで食べたオニオングラタンスープはおいしかったかな」


「は?」


 ハシルヒメの顔から笑みが消えて、一気に空気が変わった。


 ハバキが珠の耳元に口を寄せる。


「珠さま。ここで翠羽さまの作った料理の名前を出すのはハシルヒメさまがかわいそうです」


「え? でもハシルヒメの作った料理名を出しても、結局ハシルヒメの料理になるだけで、わたしとハシルヒメの協力したメニューにならなくない?」


「それはそうですけど、今大事なのはそこじゃないんです!」


 ハシルヒメを見ると、箸で目玉焼きを小さくバラしながら、もくもくと口に運んでいた。


「えっと、ハシルヒメ? そんな食べ方してもおいしくない……」


「たしかに翠羽のご飯はおいしかったよ……おいしかったけどさ……」


 ハシルヒメはぶつぶつと呟いている。


 珠はいたたまれなくなって両手を合わせた。


「ごめんて。別にハシルヒメの料理よりおいしいって意味じゃないよ? 印象に残ってる料理を聞かれたから、ここで食べたことないのを答えただけ」


「わかってる。わかってるけどさ……」


 すこし謝ったくらいでは、ハシルヒメの機嫌は直らなかった。


 ハバキがまた耳打ちをする。


「そうじゃないです。言うべきことがもっとあるはずです」


「え……。ごめん、わからな――」


 ハバキに頬を両手で挟まれ、後ろを向けられた。


「いま珠さまが食べているのは誰が作ったご飯ですか?」


 ヒソヒソとハバキに言われ、珠は「ああ」と思わずうなずいた。


 あらためてハシルヒメの方を向く。


「えっとね。ハシルヒメ?」


「うん?」


 ハシルヒメはまだ、ちびちびと目玉焼きをつまんでいた。


「えっと……」


 言うべきことはわかっているのに、珠は口ごもってしまった。


 別に特別なことを言おうとしているわけではない。ただ『ハシルヒメの料理がおいしいよ』と言うだけだ。普段ならさらっと言える。だがあらためて言うとなると、どうも気恥ずかしい。


(なんだろう。タイミング……かな?)


 簡単にその言葉を口にできる瞬間を珠は知っていた。


 最初の一口を食べた後だ。


「ねぇ、ハシルヒメ。栄養価の高い食べ物の話の続きになるんだけど、ここに来る前に一回だけ食べたもので、すごく気に入ったものがあるの」


「うん?」


 ハシルヒメは返事をしたものの、興味なさげだった。だが珠は続ける。


「カヌレってお菓子なんだ。メニュー考えてるなら、一回作ってみない? わたしも手伝うからさ」


 ハシルヒメはジッと珠を見つめたあと、ゆっくりと頷いた。


 珠はこのとき――


『お菓子なんて一時間もあれば作れるでしょ』


 そう思っていた。

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掃除屋(暗殺者)のわたしが生き返ったら、部屋の掃除をしろと言われました もさく ごろう @namisen

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