第42話 神さま流の害獣対策
「コウモリがいたのね。それはなかなか厄介なことになったわ」
シルバーブロンドの美女がトイレで考え込んでいた。別に用を足しているわけではない。フラットタイプのモップを持ち、清掃をしているのだ。運転中ではないので、ローズクォーツのような瞳は隠れずに煌めいている。
「珠ちんが捕まえたとき、すごくおとなしかったけど、そんなに厄介な生き物なの?」
ハシルヒメは鏡を磨きながら、そこに映るシルバーブロンドの美女――翠羽に訊ねた。
珠は手洗い場をこする手を止め、ハシルヒメの言葉にうなずく。
「確かに全然暴れたりしなかったし、噛みついたりもしてこなかった。うまくやれば共生もできそうだったけど」
それを聞いて、翠羽は首を横に振った。
「一応言っておくけれど、コウモリは許可なく捕獲することは禁止されているし、噛むこともあるから無暗に触れてはダメよ。でも、共生ね……」
翠羽はフラットモップを動かすことも忘れ、天井を見上げる。
「確かにコウモリは人を襲わないし、虫を食べてくれるから、益獣として扱われることもあるのだけれど、少なくとも共生しようとするのであれば、お茶屋さんをするのは難しくなるのよね」
「それは困るよ!」
ハシルヒメが勢いよく振り向いた。珠も振り向いて、翠羽を見た。
「それって糞とかするから? 天井裏か外にしかしてないみたいだけど、やっぱそれでも問題なの?」
「コウモリの糞を食べにくる虫がいるのよ。ゴ――」
ハシルヒメが開いた手を前に出して、翠羽の言葉をさえぎった。
「名前は言わなくていい」
「そう? でも名前も聞きたくないくらい苦手なのなら、コウモリがいることでその虫が増えてしまうのは嫌でしょう? それにお店に発生してしまったら大問題よ」
翠羽の言葉に、ハシルヒメは顔をしかめた。
「うぅ……たしかにそれは嫌だ。じゃあ心を鬼にして、あの二匹を追い出そう!」
「申し訳ないのだけれど、それで済むのならわたしも厄介だなんて言ったりしないわ」
翠羽が思いだしたようにモップを動かし始めた。
「コウモリは一度見つけた安全な場所を簡単にはあきらめないの。侵入口を塞いでも、他の入口を探して入ろうとするわ。本当に小さな隙間から出入りできる動物だから、素人では侵入口を完全になくすことは不可能に近いの」
それに――と翠羽は続けた。
「珠さんから聞いた屋根裏の糞の状態から考えると、いるのが二匹だけとは考えづらいわ。おそらくだけれど、もっとたくさん隠れていると思うわ」
「うわ……なんかそう言われると嫌になってきた。顔見たときは可愛いと思ったんだけどなー」
ハシルヒメがうなだれる。珠は屋根裏で見た、散らばっている糞を思いだした。
「ねぇ翠羽さん。糞が他の動物のものって可能性はないの? わたしには判別つかなかったんだけど」
「そうね。他の動物のものの可能性はゼロではないけれど、おそらくないと思うわ。コウモリは弱くて臆病な生き物だから、他の害獣がいたら逃げてしまうことがほとんどなの。コウモリが安心して過ごしているということは、他の害獣はいない可能性が高いわね」
なるほど――と相槌を打ちながら、珠は中断していた手洗い場の掃除に戻った。さわやかだか鼻につく香りの洗剤を、セラミック製の流しに吹きかけて固めのスポンジでこすっていく。
はじめは石をこすっているような、ざらついた感覚があったが、これは石鹸汚れがついている証らしい。しばらくこすっていると、ゆで卵でも撫でているかのような、なめらかな感触へと変わっていく。
一度手を止めてスポンジのこすった面を見てみると、白い石鹸カスがたっぷりとついていた。
ふと横を見ると、ハシルヒメがあごに指を当てて考え込むようにしていた。作業する手は完全に止まっている。
「ねぇハシルヒメ。どうせすぐに思いつくものでもないし、作業を終わらせてから考えない? あまり時間かかると翠羽さんにもテレビ局にも迷惑かかかるし」
珠たちが掃除しているのはテレビ局のトイレだった。『翠羽さんの掃除したトイレじゃないと使いたくない』とか言い出す有名俳優がいるらしく、その俳優が来るときは指名されて掃除に来るらしい。珠とハシルヒメはそれに同行して作業しているのだ。
ハシルヒメはゆっくりと珠に目を向けた。
「珠ちん。いいこと思いついちゃったかもしんない」
「え? なに? 早く掃除が終わる方法?」
「そうじゃなくて! コウモリ対策! コウモリって他の動物がいると逃げちゃんうんでしょ? それなら、コウモリが怖がりそうな動物を使って追い出しちゃえばいいんだよ」
なるほど――と思ったが、それを言う前に翠羽が言葉を挟んだ。
「昔から行われている手法ね。ネズミ対策に猫を飼うというのが有名かしら。ただ屋根裏まで効果があるか疑問な部分はあるし、ハシルヒメさんが苦手な虫対策の主流である毒餌が使えなくなってしまうわ。あと万が一、害獣を食べてしまったときに感染症にかかるリスクもあるから、あまりおススメはできないわね」
「うーん。なるほど。でも大丈夫。その辺のリスクもない方法を思いついちった。コウモリだけじゃなくて、ネズミとかの対策にもなりそうだし、たぶんいける」
ハシルヒメが無邪気に笑い、珠に向けてサムズアップして見せた。
(にゃんこが来る? 神社でにゃんこを飼うのか?)
珠の頭の中はそれでいっぱいになった。
~~~~~~~~~~~~~~~
神社へと珠たちを送った翠羽は、スマホの写真を確認しながら本殿の周りを歩いていた。スマホの画面には、珠が撮ってきた屋根裏の写真が映っている。
「この糞はコウモリのもので間違いないわ。やはり他の動物はいないみたいね。コウモリはこういう柱と壁の間に隠れていることが多いの」
珠は翠羽が指さす画面を覗き込んだ。ハシルヒメがいたら間に入って来そうな状況ではあったが、今は近くにいない。
さっそく動物を借りてくると言って、本殿の中に消えていったのだ。翠羽はハシルヒメのアイデアに問題がないか判断するために残ってくれている。
二人は本殿を一周回り、入口まで戻って来た。
「周りを見た感じだと、やっぱり出入りしているのコウモリだけみたいね」
「あーうん。よかった」
上の空な返事をした珠の視線は、本殿の入口に吸い寄せられていた。
翠羽はその様子を見てくすりと笑った。
「ハシルヒメさんが連れてくる動物が楽しみなのね」
「え? い、いや。ハシルヒメが役に立たない生き物を連れてこないか、心配してるだけ」
珠の頭の中では『にゃんこだよね? きっとにゃんこだ』と思っていたのだが、それを言うことはできなかった。
翠羽が珠の頭を撫でる。
「役に立つ立たない関係なく、生き物を飼うのは悪いことではないと思うわ。かわいい子だといいわね」
「う、うん」
珠はなんだか恥ずかしくて、頷きながらうつむいた。
「珠ちんお待たせー!」
ハシルヒメの声が聞こえて、珠はすぐに顔を上げた。本殿の扉が開く。
ハシルヒメの手には、動物が抱かれている。それは光るような白色で、神秘的にさえ思えた。
体は細くしなやかだ。太めの枝くらいだろうか。手足はなく、珠よりも体長はありそうだ。体を覆っているのは毛皮ではなく、艶やかな鱗だ。小さな頭から細い舌がチロチロとのぞいている。
それを右腕と左腕にそれぞれ三匹ずつ。腕や体に巻き付けるようにして抱きかかえていた。
珠の体が完全に硬直した。
「へ、蛇……?」
「いいでしょ! カワタに頼んで知り合いの神さまに借りてきてもらった。この子たちはちゃんということ聞くから、勝手にコウモリを食べたりしないし、逃げたりもしないから、天井裏と床下に居てもらえば安全にコウモリを追い払えると思うんだよね」
翠羽がハシルヒメに近寄り、覗き込んだ。
「アオダイショウのアルビノかしら? こんなに大きいのがこんなにたくさん。初めて見たわ。たしかにこれがいたらコウモリも逃げ出すとは思うのだけれど、蛇って言うこと聞くほど懐くものなのかしら?」
「この子たちは特別。なんたって、わたしは神さまだからね」
ハシルヒメが胸に右手を当てたので、それに合わせて右腕に巻かれていいた蛇たちが動いた。目の前でそれを見ていた翠羽は怯みすらしない。
「え? す、翠羽さん……? 蛇、大丈夫なの……?」
珠は動かない体から声を絞り出した。振り向いた翠羽は、優しく微笑んだ。
「アオダイショウはとてもおとなしい蛇なのよ。人に慣らされているのなら、なおさら安全だと思うわ。そんなに怖がらなくて大丈夫よ」
翠羽が手招きしたが、珠の体は動かない。動いたとしても、近寄る気なんてまったくなかった。
「あれ? 珠ちん蛇苦手なの?」
ハシルヒメが近寄ってくる。蛇たちはその歩調に合わせて体を揺らして、頭の高さが変わらないようにしていた。
それが目に入り、珠の体に余計に力が入る。
「ちょ……! 来なっ……!」
「大丈夫大丈夫。この子たちは絶対に噛まないし、絞めつけたりしないから。上にいたコウモリちゃんたちと同じでおとなしいよ」
ハシルヒメは珠の前に立つと、蛇を近づけた。
「ほら。撫でてみ? 頭触られるのは嫌がるから、体を優しくね」
「む、むり……」
珠が何もしないでいると、ハシルヒメがあごに指を当てて考えるようにした。
「うーん。じゃあ蛇ちゃんたちの方から仲良くなってもらう方向で」
ハシルヒメが腕を前に出した。すると蛇たちはいっせいに珠へと体を伸ばし始める。
「い、いや……」
逃げ出そうと思うほど、体がこわばって動かない。その間にも蛇たちは寄ってきて、ついに珠の手首に触れた。ひんやりとしてツルンとした感触が気持ち悪い。蛇はそのまま腕を這うように袖へと入っていく。
「ちょ……」
しなやかに動く蛇の体から、筋肉の柔らかさが伝わってくる。それがひんやり冷たいので、まるで死体が動いているかのように珠には思えた。
珠が動かないので安心したのか、次々と蛇が珠へと上陸してくる。腕を這い、服の上を通る蛇もいれば、広い袖から中に入ってしまうものもいた。中に入った蛇は肌の上を直接這って、襟から顔を覗かせる。細い舌がチロチロと珠の頬をくすぐった。
「ひぃ……」
珠は悲鳴も上げれずに、蛇の好き勝手にまとわりつかれている。蛇としては懐いているだけなのだが、その姿は蹂躙されているかのようだ。それを眺めるハシルヒメの顔は、だんだんと赤くなっていく。
「こ、これは……ヤバい。珠ちん。わたし、何かに目覚めそうだよ」
ハシルヒメの息は若干荒くなっていた。
珠が解放されたのは、それから十五分ほど経った後だった。
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