もう感じられない君へ

その後すぐに警察が家に来た。僕は抵抗しないで大人しくついて行った。事情聴取をされ、僕は真実を話した。でも流石に最期に碧が話していたことを言うのは躊躇われたのでそこは濁した。目の前で事故死を見て心を病み、家からも出ずに閉じこもっていたのを碧が世話してくれたのに、話しているうちにカッとなって刺してしまったと、そう話した。僕はこれで捕まるだろうと思っていた。殺人は重い罪なのだから。


でも、そうはならなかった。碧の日記のせいだ。


刑務所に入れられるのだろうと待っていた僕を迎えに来たのは、警察ではなく医者だった。しかも精神科医。どういうことなのか分からず、喚き散らす僕を無理やり抑えて病院に連れていった。散々暴れて喚き、疲れた僕はとりあえず落ち着いて担当医らしき人にどういう事なのか聞いてみた。その人は思っていたよりすんなりと教えてくれた。


碧の部屋を調べていた時、あの日記が見つかったのだという。そこには僕も読んだように、碧が僕を無理やり誘拐して監禁していたこと、暴力を振るっていたこと、そしてここから先は読んでいなかったところだ。そこには、僕は頭がおかしくなってしまい自己防衛のためか自分のいいように記憶を捏造して思い込んでしまう、と書かれていたそうだ。


僕はそれを必死に否定した。違う、その日記は嘘だ、僕は本当のことを話してる!頭なんておかしくなってない!


でも誰も信じてくれなかった。僕の体がズタボロだったからだ。碧に付けられた傷なんてもうほとんど治ってしまっているが、自分でつけた傷は痛々しいくらい残っている。食事もまともに取らなかった体はやつれて痩せてしまっていた。何も知らない人が見れば、虐待されていたみたいだと口を揃えて言うだろう。僕の主張より、碧の元い犯人の日記の方が説得力があった。僕が碧を殺したのは正当防衛であり、被害者そして精神障害者としてこの事件は片付けられた。


──────────


碧はこうなることを分かっていて、いや願っていたのかもしれない。「必要なものは全部用意しておいたから」とは、僕が碧を殺しても捕まらないで元の生活に戻れるようにってことだったのかな。


このやろう、本当に自分勝手なやつ。でもあの時の碧の手の震えや、僕に殺されてしまう寸前なのに浮かべていた笑顔を思い出すと責めることも怒ることも出来なかった。


────────


僕は無理やりとはいえ入院させられ、カウンセリングを受けた。そのおかげか、短い期間で僕は退院した。もちろん通院しなければいけないが。もう人を見て気分が悪くなることも無いし、悪夢を見ることも無い。学校にもまた通うようになり、少しづつ元の生活に戻りつつあった。でも変わったこともある。ひとつは親から連絡が来たことだ。今まで疎遠だったが、それでも心配してくれたのだろう。無事か、元気にしてるのか?と連絡が来て、それからぎこちないながらも少しづつ仲を取り戻している。


そしてもうひとつは、碧がいないことだ。もうしつこく話しかけてくる人はいない、突然家に訪ねて来る人もいないし、もちろん突然殴ってくるような人もいない。


僕の時間は進みつつあるのに、碧の時間は止まってしまった。


「はは、清々するじゃないか」


歯磨きをしながら笑った。その瞬間、ズキリと歯茎が痛くなった。笑ったせいで変な位置を強く擦ってしまったようだ。ペッと口の中の唾を吐き出せば、血の混じったものが洗面台を汚した。あーあやっちゃった、なんて思い顔を歪めていると、ふとその痛みが懐かしく感じた。碧に殴られた時も口の中がこんな風に痛かった。


やっぱり清々しなかった。

僕はやっと泣いた。

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歯磨きしたら血が出ました。まるであなたのようですね。 吐瀉丸 @kanoke

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