第5話【5】

「似合ってますよ」

「……動きづらい」

「今日は戦うわけじゃないんですから、我慢してください」


 夏季休暇が始まってしばらく。

 学園で講義を受けない生活にもようやく慣れてきた。

 しかし俺は今、俺の周囲を取り巻いていた平和な日々を奪われようとしている。


 本日、アリス・メビウス・クロノワールは晩餐会へと招待を受けている。

 もちろん顔を貴族社会にも広げたい彼女がその招待を断る理由わけもなく、朝から忙しそうに格好を整えていた。

 普段と違って軽く髪を結っているからか、どこか威厳ある出て立ちだ。

 足首まで隠すロングスカートタイプのドレスは薄水色で、髪の金色と調和しているのか爽やかな印象もある。

 うむ、今日もかわいい。すごくかわいい。


 さて、それよりも、だ。

 アリスがパーティーに出席する際は俺も駆り出されることになっている。

 つまり、俺もそれなりにちゃんとした格好をしなければならないのである。


 貴族らしいガッチガチの服装に外套まで新調したソレは、今回の晩餐会にいて俺が纏うことになったモノだ。

 色合いは黒を基調としており、金色と赤色の糸で刺繍が施されている。

 見た目はかなり格好良いのだが、肩が上がらなかったりするのが不安だ。

 いや、今日行く場所に危険などほとんど無いことはわかっている。

 それでも体に不自由が課せられるのは、俺にとって想像以上のストレスだった。


「はぁ……ま、文句を言っても仕方ない」

「ええ。それに本日はわたしの傍から離れる必要はないので楽ですよ」


 今までこうして学園以外で表に出ることがなかったため、この国に於ける俺の立場はハッキリと確立されていない。

 しかし貴族、それも当主などと関わりを持つならしっかりバックボーンを作っておく必要があった。


 シグマ・ブレイズはメビウス王国の東の辺境の土地を治めていた男爵家次男。

 しかし件の男爵家は魔物の被害によって壊滅し、路頭に迷っていたところをアリスによって買われた身。という設定だ。

 実際に一部地域が魔物氾濫スタンピードによって魔物に侵略された記録があり、それを裏から軽く改竄したらしい。

 調べられても証拠が出てくることはないように処理した、と言っていた。


 まあつまるところ、俺はアリスの使用人のような扱いになる。

 男爵家と王族なんて、それこそ身分が違いすぎて対等に話しているところでも見られれば彼女の王族としての地位が揺らぐ。

 故に今回、俺はアリスに付いて回って『シグマという存在がアリスの駒である』という事実を見せて回ることになった。


 流石に無茶な設定なんじゃないか、と思ったので訊いたところ、アクシアをこの設定と似た経緯で入手したので勘繰られることはないだろう、とのこと。

 確かに彼という忠実な臣下を買った前例があるならば、疑いも多少は減るか。

 俺が彼と同じだけの忠誠心を見せられるかはわからないが……。


「《魔力短剣マジックダガー》を持つなら手首に忍ばせてくださいね。足元や胴締めベルトに隠す場所はあしらわれていないので」

「魔剣を使うわけにも《送りし者アンダーテイカー》を持って行くわけにもいかんしな」

「ええ。……ですが、今回のパーティーは剣聖らが催した剣術大会の成功を祈ったものなので、剣聖がふたりいらっしゃいます。万が一のことがあってもあなたの出番がやってくることはないでしょう」


 そりゃあいい。

 こんな上質な服を破いたりしたら死ぬ。

 文字通り殺される。メイドさんに。


「というか、国の行事のためってことなら、リオンも居るのか?」

「まぁ……はい。お兄様に怪しまれる部分もあるでしょうが、わざわざ調べ直すようなことがあっても誤魔化しようはありますから。あなたは心配せず、あなたらしく在ってくれればいいですよ」




 ──そして、時は進み。


 俺たちは共に馬車に乗り、今回のパーティー会場へと足を運んだ。


*  *  *


「アリス・メビウス・クロノワール様がいらっしゃいました!」

「ごきけんよう、剣聖様方、並びに王国の剣を担いし者たち。本日はお招きいただきありがとうございます」


 アリスの片手で行うカーテシーと共に俺とアクシアは深く頭を下げ、晩餐会の会場へと足を踏み入れた。

 中には既に多くの貴族、騎士が居た。

 知らされた集合時刻は第四の鐘からおよそ一刻2時間──午後8時だが、そこから既に10分以上が過ぎている。

 俺たちは見事に遅刻だ──しかし、コレがこの国の貴族の間では暗黙のルールとなっているらしい。


 アリスは女性ということで少し立場が弱くなるが、それでも王族が他者を待つような事態はあまりよろしくない。

 故に彼女は予定から10分ほど遅れて会場に赴くのが常らしい。

 リオンは15分以上後にやって来るとか。

 平和な国の貴族の礼儀というのは中々どうして面倒なモノだった。


 今回の晩餐会は魔物被害の多い土地を治める家や、王国の軍事力の多くを担っている騎士団の人間が多い。

 要は剣に理解があったり実戦に対して偏見を持っていない者がほとんどらしい。

 そういう人は椅子に座ってお行儀よく食事を摂ることに固執していないからか、今回の晩餐会は立食形式だ。


 大きいテーブルが幾つかと、小さめのテーブルが細々と配置され、美味しそうな料理が今まさに運び出されている。

 この調子ならばリオンが来る頃には全ての料理が準備できることだろう。

 使用人たちの動きは王城で見かける人らと遜色なく、今回の晩餐会への気合いの入りようがよく窺えた。


 剣術大会はそれほど大事なモノなのか──それとも、今回のソレが特別なのか。


「ご案内致します」

「ええ。ふたり共、行きましょう」


 俺たちは執事長のようなひと際動きの良い使用人に連れられ、会場の中を堂々とした出て立ちで歩んでいく。

 アリスの手駒として、情けない姿を周りに見せるのはご法度──しかし同時に男爵家の人間という設定通り、より高い身分の者らを食うほどには目立たないようにする。


「───」

「……────」

「──……────」


 ……見られてるな。探るような視線だ。

 しかし人柄を見られているのとは違う、動きのクセを探るような視線──歩き方に違和感があるのだろうか。

 実戦経験の有り無しで一歩にも結構な違いがあるのは俺でも知っている。

 特に俺は足音をなるべく立てないような足運びが癖づいているので──マナー講師に矯正されなかった──ソレを訝しまれているのやも知れん。


 だが、ソレは実に好都合だ。

 足運びから力量を測れるヤツなら、手を出すのは賢い選択でないと思う筈。

 面倒なヤツらを相手する機会が減るに越したことはない。


「──おっと、私だけ殿下と話していては周囲にやっかまれてしまいますね。では今夜のパーティーをお楽しみいただけますよう、心より祈っております」

「改めてお招き、ありがとうございました。ああそうだ、近々あなたに合うであろうモノが造れそうですので、今度の間引きの際に是非お試しいただきたいのですが」

「なんと、それは心躍るご提案だ。完成したら是非お声がけください」

「ええ。では、また後ほど」


 初めにアリスが挨拶を交わしたのは、今回の晩餐会を主催した剣聖だ。

 メビウス王国の剣聖は現在4人いる。

 この男はそのうちのひとり──《流穿剣》クリス・ゼルファード。

 細剣を扱う剣士で、水の流れに穴を空けるが如き速さで突きを繰り出す様からこのように呼ばれている。

 なんと彼はアリス寄りの人間らしく、こうして話すのはそんなに珍しいことではないと言っていた。


 元々傭兵をやっていて、その時に剣で立てた手柄から叙爵。

 貴族となった後も良い意味で貴族らしくない動きを見せ、その実力を王国内に知らしめた結果、剣聖の地位に就いたという。

 騎士団よりも早く動け、冒険者よりも信頼できるということで、特に非常事態で重宝される人材だとアリスは語る。


 そんな彼は、ほぼ俺を見ていなかった。

 探る視線もなく、目が合った回数はたった一度である。

 しかし……どこか見透かされていたようにも思えるのが、少しだけ怖い。


 主催への挨拶の後はアリスの派閥に属している貴族へと顔見せを行い、8人ほどと対話を終えたところで休憩になる。

 この間にリオンも会場へと来ていて、遂に晩餐会は名実共に始まった。

 俺も少しだけ料理を口にするが、疲れのせいかあまり味を感じない。

 慣れたとは言え、やはり会話は苦手だ。


「ふぅ……」

「ふふ、緊張していますね。ですがここからはあまり人と話す機会もないので、少しは気を抜いて大丈夫ですよ」

「……と言うと?」

「この場でお兄様の派閥の方々を引き入れる手札もありませんし、その上わたしは剣術大会に関わっていませんからね。嫌味の対応はわたしが行いますから、シグマさんは適当にわたしの傍に居れば問題ありません」

「……大変だな、貴族って」

「ええ、まあ。ですがその面倒さがこの国を創ってきたのも事実ですから、頭から否定はできませんがね」


 そんな風に小声で雑談をしながら会場をぐるっと見回してみる。

 アリスの言う通り既に貴族たちは互いに挨拶を済ませたのか、友人同士のような雰囲気で話している人ばかりだ。


 ソレを見て少し肩の荷が降りる。

 まあ、誰に見られてるかもわからないので完全に普段通りとはいかないが。


「──ごきげんよう、クロノワール様。それにオルフェウスさん、ブレイズさん」


 話をすれば何とやらと言うのか、誰かがアリスへと声をかけた。

 だが、聞き覚えのある声だ。

 可愛らしく、しかし気迫ある声──。


「ごきげんよう、ソシエール嬢」


 振り返って見れば、明らかに他の貴族と比べて若い、可愛らしい少女──プリシラ・ソシエールが立っていた。

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