第4話【5】

 ──コレは、記憶。


 俺にとっての最強だった、ある者と過ごした時間の記憶だ。


 彼女は知っていた。最適な剣を。

 彼女は知っていた。最適な魔法を。

 彼女は知っていた。最適な戦い方を。


 負けたことは、無い。

 だが、勝ったことも無い。

 長い時を共に過ごし、ただ上を目指して殺意を向け合った日々。

 俺の地上での経験の大半を占める彼女との戦闘の記憶を今、振り返る。


「構え、踏み込み、振るう」


 筋肉の動きを意識する。

 まるで促されるように刃が滑った。

 人導流の剣術が何故『人導』なのか、その一端を久しぶりに肌で感じる。


 俺はいつからこの精神の高鳴りを忘れていたんだろうか?

 ──そうか、殺しを忌避したんだった。

 所詮剣とは殺しの道具、人を守る云々うんぬんなどその副産物に過ぎないのだ。

 殺しを許容せねば、俺は劣化する。


 ……だが、副産物を剣の目的に据えたとて大きな問題はないだろう。


「繋ぐ──防がれるのも織り込んで、衝撃すらも受け流す」


 技を繋いでいく。

 数多の最適な技から取捨選択し、その場その場で理論値を超える解を弾き出す。

 アイツの技は常に俺の命を危険に曝すだけのモノを持っていた──俺は俺を殺す必要がないのだから、参考にするには最適だ。

 俺を殺せなくても、その動きが最適であることに変わりはないのだから。


 人を導く神の存在を認めないだなんて、ソレは殺神姫の伝承を否定するに等しい。

 俺たちは神を認め、その上で超える。

 その意思がある者にだけ、人導流剣術は付いてきてくれるのだ。


 風が吹く。

 俺が起こした風だ。

 刹那の太刀筋に魔力が宿り、空気中に在る《素魔力エーテル》すらも斬り裂いていく。

 正直、薙刀の方がやりやすい。

 だが──殺神姫が使っていたのは、剣だ。


 きっと、こちらの方が合っている。


「狂い結び──《彼岸葬送》」


 封じられた記憶が蘇る。

 あの魔法陣を破った後遺症でいくらかブレイズ王国での記憶を忘れていたが、剣の技を少しずつ思い出し始めた。


 しかしやはり薙刀を使っていた時間の方が多いようで、最適でありながらどこかぎこちなさがあるのは自分でもわかる。

 ソシエールのような相手に剣だけで勝てるほどの仕上がりではない、か。

 たった一度人導流剣術を通しただけでコレほどの疲労を伴うなど、実践で本当にできるのか?


 足りない。

 時間も、技量も──実戦経験も。


「シグマさん」

「──! よう、アリス」


 意識が現実に引き戻される。

 声のした後ろへ振り返ると、薄く微笑んだアリスがタオルを片手に立っていた。

 彼女の特徴的な気配にすら気づかないほどに熱中していたらしい。

 真剣に鍛錬を行えている証拠なので一概に悪いとは言えないが、王城の離れという場に於いては油断しすぎだったな。


「……お茶にしましょう」

「もうそんな時間か。タオル、ありがとう」

「どういたしまして」


 汗を拭って室内へと戻る。

 軽くアリスと紅茶を嗜んだ後は、直近のパーティへ向けてマナー講座を受けることになっている。

 彼女とこうして共に過ごすことも少しずつ減っているが、意外と寂しいといった感情が湧くことはなかった。

 依存している自覚があるからこそ、この心境の変化には少なからず安堵していた。


 メイドさんに淹れてもらった紅茶を飲み、ほっとひと息つく。

 こうした精神を緩める時間があると心做しか戦闘のパフォーマンスが良くなるが、人間やはり休息も大事ということか。

 無言でティーカップを傾け対面に座るアリスの顔を眺めると、改めてこの平和な時間が尊く思える。


「最近、剣の素振りが多いですね」

「俺は魔法に頼り過ぎてる。根本的に俺自身が強くならなきゃ、これから先苦戦を強いられる時が必ず来る」

「だから、もっと剣術を──と? それにしては過剰ではありませんか? 今まではもっと余裕を持って鍛錬していましたよね」

「なに、この夏季休暇の間には剣術大会ってヤツがあるんだろ? ちょっとソレに興味があってな。出てみようかなって」

「……あまり目立つ真似は、して欲しくないのが本音なのですが」


 む……目立つか、本当に?

 ソシエールにすら敵わない俺が多少剣術大会で暴れたとして、より凄いアイツが大体の話題は掻っ攫う気がするが。


 それに俺は剣術単体で見れば、恐らく王国騎士団の連中には見劣りするレベル。

《剣神》直々に指導を行っている彼らは少なくともブレイズ王国の野良の剣士より強いと予想できる。

 あの国相手に肉壁以上の働きを期待できるヤツらが、魔法をほとんど封じた俺に見劣りするものだろうか?


「はぁ……自覚がないようですね」

「何がだよ」

「シグマさん、あなたは今一度プリシラ・ソシエール嬢の評価を改めてください。彼女は剣聖筆頭候補──最年少で剣聖となるかもしれない程の天才なのですよ」

「俺はちゃんと彼女のことは認めてる」

「そうではありません。彼女が強いのを認めるのは確かに大事ですが、そんな彼女と渡り合えるあなたも大概なんですよ」


 ……剣聖云々うんぬんを知らないからイマイチ想像できないが、なに、ソシエールって王国で上から数えたら早い人間なの?

 少なくとも上の方だとは思ってたが、まさかかなり上位だったりする?

 そうなると──少し、マズいな。


 まあ、その辺りは《剣神》サマもわかっていることだろうし、俺が気にして解決することでもない。

 それよりも問題は、アリスに剣術大会出場を渋られているということだ。

 ソシエールとの戦いは確かに経験を積むには最適だったが、剣術の理論を学ぶには些か感覚的すぎる。


 まあ、アリスが渋るなら仕方ない。


「わかった。参加はやめとく」

「すみません」

「いいんだよ。ただ、見に行くくらいは許してくれ」

「それは勿論。そこまであなたを縛り付けることは致しません」


 会話が途切れ、互いに紅茶を啜る。

 今日の紅茶は普段の茶葉と違うようでいつもよりも少し甘い。

 しかし同時に香りが強いのか飲んでいて清涼感があり、茶菓子を流し込んだ時に口の中がスッキリする。


 飲み物なんて清潔なら何でもいいと思っていたが、こんな液体ひとつ取っても個性があって面白い。

 まるで人と相対している時のようだ。

 ひとりひとり剣の持ち方から立ち方まで、魔力を感じ取らなくともその人の個性は至る所に滲み出ている。

 何事にも真剣に向き合わねば、こうして気づくこともなかったようなことだ。


 生きるというのは、難しい。

 そしてとっても……面白い。


「……どうかされましたか?」

「ん? いや、楽しいな、って」

「それは……とても良いことです」

「難題の連続だぜ、今。ただ目の前の課題をぶち破るんじゃなくて、ちゃんと考えて乗り越えなきゃいけん。無限に楽しめる」

「ふふ、熱心なことで。随分立ち姿も貴族然としてきましたし、やはり遺伝子に王族の血が刻まれているのでしょうか」

「講師の教え方が上手いだけだ」


 クスリと笑うアリスを横目に立ち上がる。

 そろそろ講義の時間だ。行かなければ。


 ──アリスの背中に追いつくために。

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