第2話【5】

 シグマくんと別れてから半刻一時間ほど。


 私は学園の制服のまま、くだんの彼に指定された場所──国の上層部が会議などで使う最上位層のみ立ち入りが許された間へ赴いた。

 言われた通り剣の鞘を布で固く結び、己の腰に携えて、である。

 ……仮にも王族が出入りする場所に武器を持っていくなんて、普段ならば斬首刑でもおかしくない。

 つくづく師匠の立場が怖くなる。


 幼少期から彼に剣を習っていた私だけど、そんなにすごい人だと知ったのは初等教育を終えた頃の話だ。

 何故私は彼にいだされたのか。

 どうして才能があることを見抜けたのか。

 そんな疑問を最後に持っていたのは、随分と前のことな気がする。

 強くなるのに不要だったから、忘れた。


 ……こういう性格を、買われたのかな。


「相っ変わらず広いな、ここ」


 図書館の館内図のようなものがあれば迷わないんだろうけど、生憎とそんな便利なものここには無い。

 結局三回ほど道を間違えた果て、ようやく目当ての扉が眼前に現れた。

 時間には遅れていないものの、5分前行動を口酸っぱく言われていた過去があるせいで妙に緊張してしまう。

 会うのが久しぶりなのも原因だろうけど。


 ──コン、コン、コン。


 お淑やかに、間隔を空けたノック。

 返事が来るまで姿勢良く立っていると、なんと内側から扉が開かれる。

 上の立場の人が私のような子ども相手に手間をかけると言うのは、一般常識からすればひどくおかしい。

 してや、私は女性──男性である彼にこんなことをさせるのはいただけない。


 メビウス王国は未だ男尊女卑の風潮があると言うのに、彼と言えば強者と弱者という尺度でしか人のことを見ない。

 そんな性格が気に入って、師弟関係を継続しているわけだけど──ここは誰が見ているかもわからない場所だ。

 できればこういうことは控えて欲しい。


「来たか、プリシラ」

「ご無沙汰しております、騎士団長閣下」

「堅っ苦しいのは止めろ。オレと君の間にそんな上辺の言葉は要らん」

「………。こんにちは、師匠」

「おう、こんにちは」


 60代も後半に差し掛かるというのにその若々しさは失われておらず、1年会わない程度ではほとんど変わっていなかった。

 白髪が増えたような気もするけれど、そのあおの瞳に宿るギラついた光が何よりも彼の存在をここに示している。

 表情は歓迎していても、その目はいつだって弟子である私を試しているのだ。


 促されるまま扉をくぐり、腰掛ける。

 本来ならば帯剣はしないべきだけど、むしろ外せば咎められるのは知っている。

 知っているが……落ち着かない。


「それじゃあまずは……王立神魔魔法学園への入学、おめでとう」

「ありがとう」

「試験に落ちることはないと思ってたが、まさか次席で入学とはな。魔法は教えてない筈だが……独学か?」

「まあね。私なんかじゃ師匠みたいにはできないから、最近は剣術だけじゃなくて魔法も頑張ってるんだよ」

「そうか。視野を広く持てているのなら、きっと君にとって良い影響を与えてくれているのだろうな」


 ……意外、だ。

 師匠は剣術ひと筋という感じの指導を私にしていたから、魔法に対して否定的な意見を持っていると勝手に想像していた。

 だけど実際には私の言葉を聞くと、それはもう嬉しそうに微笑んだ。

 まるで、娘に対する父のように。

 いやまあ、お父様ならもっとすんごい剣幕で褒めてくるんだけどさ。


 そんな風にぼうとしていると、今度は咎めるように睨まれる。

 その眼光には、言ってしまえば殺気のようなものが宿っていて、思わず腰の剣に右手を伸ばしかける。

 肌で感じる激情は恐怖を呼び覚ます──本当に師匠は、人間なのだろうか?


「『私なんかじゃ』──ねえ。まさかオレの審美眼を否定するのか、君は?」

「いやっ、それは──その、言葉の綾というかなんと言うか……師匠に劣っているのは事実でしょ? 剣だけで全部斬り伏せるなんてできないよ、私には」

「なんだ、そんなことか。噂に尾鰭が付くのは必然と言えど、そこまで《剣神》のイメージが先行していたとはな」


 ……と言うと?

 私も師匠が魔法を使ってるところなんて見たことないけど、彼もある程度魔法には頼っているのだろうか?


「竜族の鱗を斬るには魔法が必要不可欠なくらい誰でもわかるだろ? まさか鉄で斬ったと思ってんのか?」

「……だって、魔法見せてくれないじゃん」

「君──いや、皆に教えるには時期尚早というだけだ。神の御力を行使するには、ヒトとして最大限の努力が前提条件。それをオレは随分と昔に学んだんだ」


 だから君たちにオレの魔法を教えることはしばらくないと思っとけ。

 そう言う彼はどこか遠い目をしていて、後悔のような感情も見え隠れしている。

 その先を聞いてもいいものか──悩んだ果てに私は話を逸らすことにした。


 それ以上踏み込めば、私の中の何かが変わってしまうような気がしたから。


「それで、私を呼び出したのは何? まさか入学祝いだけじゃないでしょ? だとしたら遅すぎてフツーに引く」

「流石に違うっての。今年も夏の剣術大会があるのは知ってるだろ」

「まあね。出るかは決めてないけど」

「その剣術大会で、君にはオレの代わりに優勝者挑戦権の相手になって欲しいんだ」

「……は?」


 え?

 やだ、うそ……ちょっとまって。

 そんな、そんなこと……言われると思ってなくて、感情が整理できない。


「……まさか、この場所を指定したのって」

「お? 流石に察したか」


 鈍い音と共に、師匠が鞘から剣を抜く。

 それを私の肩目掛けて振り下ろし──ニヤリと笑みを浮かべながら言った。


「プリシラ・ソシエール。君には正式に剣聖の位を与える──今までは非公式だったが、本日をもって君が公に《風凰剣》を名乗ることを許可する」

「……ど、どうして?」

「本来ならばもっと早くこの場を設けたかったんだが、オレにも事情があってな。上を説得するのに骨を折った」


 ──おめでとう、最年少の剣聖。


 ……私は、まだまだ未熟の身だ。

 だけど、ずっと目標のひとつとして剣を振るってきた『剣聖』の地位が、こんなにも嬉しいものだなんて。

 これから先も研鑽を積むことを前提とした称号だけど、それでも私は思わず涙を流してしまった。


 だめだ、嗚咽が我慢できない。

 私がまだ幼い少女だとしても、研鑽を積んできた期間はかなり長い。

 それこそ歳の離れた同期が剣聖の地位をたまわるのを一度聞いてきた身として、ずっと悔しい思いをしていたのだ。

 だから──認められた事実が、この上なく嬉しかった。


「剣術大会ででっかくお披露目だ。君もそういうの、嫌いじゃないだろ?」


 ……ふふ、私のこと、よくわかってる。


「そのお役目、拝命致します」

「そりゃ良かった。骨折り損になることはなかったわけだからな」


 そっと差し出されたハンカチをありがたく頂戴し、私は今度こそ嗚咽を抑えることなく大声で泣き喚いた。

 努力が報われることはなく、期待ばかり背負わされていた──決して彼らにそんな意図が無かったのはわかってる。

 だけど、周囲からの重い羨望の眼差しが嫌になったことは幾度とあった。


 ようやく、ようやく……私は、皆に応えることができたんだ!


 わしゃわしゃと乱暴に頭を師匠に撫でられながら、私は嬉し泣きを続けた。

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