閑話【5】

 ──未だ、体が震えている。


 恐怖と高揚、そして悔恨。

 肘から先の欠けた左腕を当てもなく彷徨さまよわせる私は、自身の力不足で『彼女』に止められた事実に嘆息した。


 最後の方は相手国で派手にやるなという命令を無視して、ほとんど本気で魔法を使って戦った──そして、負けた。

 あの時よりも更に強くなっていた。

 圧倒的な実力差が私たちには存在した。

 呪いが私を『殺すまでもない』と判断し、殿下の攻撃を諌める程度には。


 殿下の呪いの詳細を聞いたのは、私が五大影傑第2位の地位をたまわってから数年が経過した頃のことである。

 初めて殿下と並んで戦場に立ち《煉獄》を共に葬り去った後、殿下の魔力量が格段に上昇したのは未だ記憶に新しい。

 前国王に尋ねた時、私は自身がどうしようもなく弱いことを知ったのだ。


 殺神さつじんの血が色濃く出た、神の器。

 神の地位を喰らった呪いは着実に彼の存在地位を吊り上げる。

 今まで神威を三柱──《神速》を入れれば四柱になるのか──も葬り、その多くを単独で成し遂げた、現代の人神。


 あのお方の全力をその身で浴びることができるのは、神に仇なすだけの力を持った人外のみだと言う。

 その他有象無象を全力を以て殺すのは、呪いの主──殺神姫が許さない。

 私は彼女に許されるだけの強さを持っていなかった。それだけだ。


 私が弱いから、今、私は生きているのだ。


 いや、もうすぐ死にそうなんだがな。

 火属性魔法が不得手な私は火種は持っていても焼灼しょうしゃくするだけの火力が無い。

 これまでずっと血を垂れ流しにしていたせいで意識が朦朧としている。

 酸素が足りん……思考が鈍る。


 視線の先にある光は、祖国の光だ。

 それがどうしようもなく、遠く感じる。

 命令に反するなど、ブレイズ王国の者としてあってはならない。

 帰らねば──と、足を動かし続ける。


 しかし力尽き、膝が笑い出した時──大嫌いな奴の魔力が近づいてきた。

 その声は可憐で、しかしおぞましい。


「──おかえり、グレイシア」

「……久しいな、セレス」


 ああ、君を見ると、羨ましくなるよ。

 王族にすら遅れを取らない天才は、私のように泥臭くこの地位にしがみつく必要も無いのだろう。

 その裏で努力しているとしても、私は己の才能の無さに、いい加減嫌気が差す。


 セレス・アポカリプス。

 人としての殿下の前に最後まで立っているのは、恐らく君なのだろうな。


「そうだね。半年ぶりくらいかな。さ、腕、出して。治したげる」

「助かるよ。陛下に言われて来たのか?」

「ううん。グレイシアの気配がしたから勘で来たんだ──《逆行リ・バース》」


 ──ふざけた魔法だ。


 治癒は傷を治すだけの技であり、失ったものを元に戻すことはできない。

 しかし頭に酸素が行き渡るこの感覚は、生存に足るだけの血が私の体内を巡っている証拠に他ならない。

 正しく時を戻すような魔法を扱う彼女は、人類に生じた異常バグだ。


 殺神姫が殺した神が人の身体に宿ったのではないかと語られる彼女こそ、五大影傑第1位──《終末からの来訪者》

 私と彼女との間には、私と殿下との間と同程度の『差』があるのだろう。

 戦いたいとすらも思わせない、神性。


「──はい。どう? だいじょぶそう?」

「ああ。ありがとう、セレス」

「ふふっ、どういたしまして。さ、あっちでのこと、色々聞かせて? お外のことなんて聞く機会ないからさ」

「そんなに面白いものでもないが……君が言うのなら、語ろうか」


 恐ろしいと共に、本当に可愛い同僚だ。

 何だかんだ私は彼女を嫌いにはなれても、拒絶したくないのだろう。


 心の底から笑みを浮かべながら、私は彼女と共に祖国へと歩む。

 帰ったら彼女に鍛え直してもらおうと、己の剣をそっと撫でながら。


*  *  *


 その日、ブレイズ王国に嵐が降臨する。

 風雨を意のままに操り空間全てを掌握する彼女は、しかし一度たりとも相対する人間に触れることはなかった。

 だが、その相手が笑みを浮かべずに戦っていたことに、本人は気づかない。

 彼女は着実に、神の座へと近づいていた。


 握る剣が折れるまで、彼女は戦い続けた。

 五大影傑の第1位と第2位には、絶対的な壁が存在する。

 しかし、第2位と第3位の間にもまた、決して超えられない壁があった。


 天賦の才など不必要。

 ただヒトとしての究極を求めれば、人はかつての地位へと戻るのだ。


 こうして、グレイシア・エルゲンノートはブレイズ王国へと帰還した。

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