第20話【4】

「は……は……ぁ?」


 痛い。

 いいや、痛いなんて次元じゃない。


 借り物の力を酷使した代償は、呪いとして俺の身に降り掛かる。


 シグマ・ブレイズ・エシュヴィデータという存在そのものを、神と同等の存在によって喰い荒らされるこの感触。

 ひと噛み、ふた噛みと呪いが侵食していくと共に身体の内側がかじられ、臓腑がみるみる欠けていく。

 叫び声を上げる気力すらも食われたのか、俺はただただ血反吐を地面に吐きながら呆然と呪いの苦痛を享受していた。


 今までのソレよりもずっと酷い。

 神級魔法を何度も行使した上で同時に聖級以上の魔法も繰り返し放ったのは、想像以上に呪いの進行を早めたようだ。


『アイツ』の残虐性は普通でない。

 一瞬で心臓や肺に手を掛け俺をあっさり殺すことはないだろう。

 呪いの侵食はゆっくりと、俺の身体を隅々まで貪ってから、絶望に沈めた上で俺という存在を喰らい尽くす。


 苦しみは最上級だが、幸い時間はある。

 代償が足りないと言うのなら、貢物を彼女に捧げれば良いだけだ。

 殺せ。殺せ。殺せ。

 殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ。


 グレイシア・エルゲンノートを、殺せ!


「シグマさん!」

「ッ……ァ、リス……」

「大丈夫、今すぐ治癒しますから──!」

「残念ながら治癒は無駄だよ、アリス・メビウス・クロノワール」


 霞む視界の先、砂埃の奥から声がした。

 彼女は欠けた左腕からだらだらと明らかに致死量の血を流していたが、しかし折れた右腕の先には未だ剣を握って立っていた。

 アレだけの傷を負い、その上かなりの量の魔力を使っておきながら、あんなにも爛々とした目をできるとは──ブレイズ王国とは、恐ろしい場所だ。


 だが流石にアリスが居る手前こちらに仕掛けて来られる程の余裕は無いのか、彼女はその場に立って笑うのみ。

 歯を食いしばって片膝立ちになり体を持ち上げてエルゲンノートを見据えると、彼女は少し驚いた後笑った。

 ソレはバカにするようなモノではなく、驚愕や尊敬の入り交じった笑みだ。


殺神さつじんはかつての神と対等の人間──たかだか治癒魔法程度で打ち消せる呪いではないのさ」

「は……もう、勝ったつもりか? 魔法が使えないとしても、満身創痍同士じゃ、俺の方が強いぞ」

「いいえ。私の負けです、シグマ様」


 そう言って、剣を鞘に納めた。

 魔法を撃ってくるか──警戒して痛みと共に意識を集中するが、一向に彼女は魔力を練らない。


 それどころか、こちらに背を向けた。


「何処に行くんだよ」

「私に下された命令は『帰国』であり、殿下の討伐ではありません。仮にあなたを殺せたとして《魔導師》が見逃してくれる筈がありませんから。敗北を認め祖国へ帰るのが、私の役目なのですよ」

「そんなことさせる筈ないでしょう──!」

「いいや、君は私を見逃すよ。何せ君は将来のために私を殺すのと、彼のことを救うという選択肢があれば、間違いなく後者を選ぶ」


 ──君は、今の殿下を救える唯一の人だ。


「今回のリベンジは、またいつか。あなたならきっと、その呪いを掌握することができるでしょう──またどこかで、シグマ様」


 滴る血で尾を引きながらグレイシアは城壁を超え、姿を消した。

 あちらの魔力も相当すり減っていたため、彼女は言葉通りメビウス王国から出ていくつもりなのだろう。

 仮に今の彼女がソシエールなどと会えば絶対に負ける、なんなら魔物相手もキツい程度には追い詰めたのだから。


 そう理解した瞬間、力がふっと抜ける。

 立っていることすらできず、無様に地面に倒れ伏して吐血した。

 意識が緩んだせいか我慢していた痛みがより鮮明に襲い掛かり、齧られる度に全身が痙攣してしまう。

 喉が震え、声を出すのもままならない。


「シグマさん、しっかりしてください! 治癒魔法を──っ、弾かれ……!?」

「ごほっ……ダンジョンに行くのを、サボってたツケが……回ってきたみたいだ」

「待って、お願い! まだ何か、なにかわたしにもできることが──!」


 ッ……!

 ヤバい、結構もう限界かも。

 今のひと口で肝臓辺りが逝った。


 視界も歪み、アリスの可愛い顔すらよく見えない──あの日、彼女に拾われた日よりも酷い有様だ。

 今日の俺はツイてないらしく、逝く時は天使アリスの姿という眼福に与ることすらもできないようだ。

 呪いの代償は、強い命──グレイシアに負けた俺に『彼女』の力を使い続ける権利は無いということだろう。


「呪い……命……魔力……光と、闇」


 殺神姫、どうやらお前の見初めた男は、神になんざなれる素質は無いらしいぞ。


「シグマさん、失礼します」


 そんな言葉と共に俺はアリスによって血で濡れた地面に押し倒される。

 いつの間にか杖を放り出して俺の腰の辺りに馬乗りになった彼女は、まるで首を絞めるのかと言わんばかりの体勢だ。

 想像以上に軽く、筋肉が着いていないのがよくわかる骨ばった体つきだった。


「なんだ、看取ってくれんのか?」

「冗談でもそんなこと言わないで!」


 凄い剣幕に思わず押し黙った。

 しかし、状況が状況だ。

 時既に遅しというのはあなたも頭ではわかってるだろ──そう伝えようとして、しかし俺は口を開けなかった。


 全身が痛く、苦しい。

 目を瞑って苦痛に耐え、しかしアリスにコレ以上心配させまいと口では笑う。

 そんな俺の頬に彼女の両手が添えられた。


「んっ……!」


 そして、接吻を交わした。


 ──刹那、呪いが沈黙する。


 既に齧られた部分の痛みはそのままだが、一向に次のひと噛みがやってこない。

 驚愕と混乱に頭を支配されてる最中、温かい魔力が腹の辺りいっぱいに広がる──アリスの治癒魔法だ。

 彼女の小さな体躯はひどく温かく、俺に襲い掛かる絶望を解かしていく。


 やはり彼女は、無垢だ。

 キスに不慣れなのがわかる。

 緊張しているのかその体を震えさせ、思い切りその小さな唇を押し付けてくる。

 力加減がわからないようで歯の感触が痛い程に伝わってくるが、しかしソレを包み込む柔らかさが心地いい。


 穢れを知らない、俺の天使様。


「──ん、はぁ……はぁ……」

「………。王族のクセに、何勝手に他人とキスなんかしてんだよ」

「うるさい、黙りなさい」


 そう言って再び唇を重ねる。

 光の魔力が強引に流し込まれ、ソレが貢物として呪いの症状を和らげていく。

 先程と違う優しい口付けは俺を助けようと必死で献身的な想いが乗っていて、感極まって泣きそうになった。

 こんなに大切に思われてるなんて、俺はなんて果報者なんだろう。


 思わずアリスを抱きしめていた。

 割れ物を扱うように優しく、血に濡れた両腕でその体躯を包み込む。

 一瞬ビクンと体を震わせるが、すぐに弛緩して俺に身を委ねてきた。


 ただただ女神の慈悲を享受するようにアリスの魔力を食らっていく。


「んむ……ん……ちゅ……っ、は……ッ」

「……ありがとう、ツラかっただろ。動けるようにはなったから、後は自分で──」

「だめ。逃がさない」


 既に焦点が合っていない目でアリスは再び俺の唇を自身のソレで塞いできた。

 無理をさせまいとその肩に手をかけるが、上手く力が入らない。

 地面にふたりで寝転がりながら、ただただ唇を交わす。

 アリスの魔力が尽きてしまう前に引き離さないといけないのに、この時間を幸せに感じてしまう己が、心底嫌いになる。


 ああ、愛してる人に触れるのは、こんなにも幸せなことなのか。


 愛というのは、麻薬みたいだ。


「んむ、んー……はぁ、はぁ……はぁ……。ふふっ、首に噛み付かれた時と違い、随分と気持ちいい体験でした」

「……相手の抵抗の意思が薄けりゃ、スムーズに魔力を食えるんだよ」


 呪いは完全に鳴りを潜めていて、殺神姫からお許しを得られたらしい。

 アリスの魔力は本当にこの呪いと相性がいいのか、死ぬ直前まで食らうようなことがなかったのが幸いだった。

 もしも《神速》のように命を奪ってしまう程の魔力を食らっていたら……俺は、生きていけないだろうから。


 彼女はああ言っているが、実際は苦しい思いもしていた筈である。

 なのに俺を気遣ってあんなに優しい言葉を掛けてくれる──俺は一体、何度この人に救われれば済むんだろうか。


 アリスが俺の上から退き、隣に寝転がる。

 その横顔はやり切った達成感のようなモノで満たされていて、本気で嬉しがっているのがわかった。

 流麗な金髪が俺の赤黒い血によって染まっていくのを横目に、俺は何度目かもわからないお礼の言葉を口にした。


「ありがとう、アリス」

「こちらこそ、ありがとうございました」


 どちらからともなく手を繋ぎ、俺たちは夜空を見上げる。

 過去の栄光に縋ってはいられない。

 俺はもっと、強くならなきゃいけない。

 そんな誓いを胸に彼女の手を握り直した。


 雲の間から覗く月は、ひどく綺麗だった。

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