第17話【4】

 アリスが扉に手を掛ける。

 風魔法で後押ししながら開け放てば、目に映るは静寂に満ちた夜の景色。


 そこに、



「久しぶりだな、《風水の旅人》」



 夜の統治者は立っていた。


 アリスから貰ったローブとは違う。

 かつてこの国にやって来た日、その身に纏っていた漆黒の外套。

 闇夜を統べるエシュヴィデータの至極の瞳は妖しく輝き、グレイシアを射抜いていた。



 彼こそが──《終焉の告げ人》だ。



*  *  *


 相変わらず、掴みどころの無いヤツだ。


 ヘラヘラとした笑みを浮かべていながらもその瞳には一切の油断が無く、いつでも俺の攻撃に対処できるような姿勢だ。

 久しぶりに彼女の姿をこうして見たが、いつの間にか大人の顔になっている。

 暗殺者ギルドという組織の長を務めたことで何かしらの心境の変化があったのかもしれないな。


 ポケットから手を抜き、脱力する。

 あちらにアリスが居るのは人質なのか、はたまた彼女の意思で《風水の旅人》の前に立っているのか。

 どちらにせよ、彼女の身の安全が確保できない以上は後手に回らざるを得ない。

 いつでもアイツの刃を止められるようこちらも臨戦態勢に入り、俺は彼女に向かって対話を持ちかけた。


「仕事は終わったのか? 随分とこの国を荒らし回ってたみたいだが、戦局に大きな変化はねえんじゃねえの?」

「国王陛下の命により帰国することになりました。戦局に関しては私の植えた種が直に成長し、この国を蝕むでしょう」

「相変わらず手際が良い。が、俺が掘り返すとは思わないのか?」

「暗殺者ギルド以外にも、色々施させて頂きましたので」


 ……確かにアイツが関わったモノで俺が知っているのは暗殺者ギルドだけだ。

 ヤツは昔から第二第三の策を用意し万全の状態で相手を叩き潰す性格だから、この言葉はブラフではないだろう。

 内通者、眷属、偽の情報の流布……幾らでも用意する暇があったのは《神速》の言葉からもわかることだ。


 あくまで一例だが、現在の珈琲豆の価格高騰が作為的なモノという可能性もある。

 他国の輸出を制限させ、今のうちに商人に買い占めさせるのだ。

 何せ需要に対して供給が少ないモノの売買というのは、往々にして儲かるのだから。

 そして十分に商人が持ち金を吐き出し珈琲豆を確保したタイミングで、他国が溜め込んだソレらを解放する。

 そうすれば一気に珈琲の価値は暴落し、大量の商人が自滅する──商業ギルドが回らなくなれば武器の調達だって難化するだろう。


 武器が無ければ騎士は戦えない。

 肉壁が消えれば彼女や《首狩りネックレス》のようなヤツが猛威を振るうのは自明だ。

 いよいよ学生のアリスの人脈だけでは手が回らない状況になるやも知れん。


「んで? 帰国命令ならここに来る必要なんざねえだろ。何の用だよ」


 俺は自身をそれなりに認めている。

 少なくとも手元に置いて損をするような人間にはならないよう心がけている。


 故に──。


「共に帰りませんか、殿下」


 コイツに負けるわけには、いかない。


「断る」

「この少女のせい、ですか」

「その距離でもアリスはお前の攻撃を二回は防げるぞ。俺がお前をぶっ殺すには十分な時間だ」

「フフ。いやはや、血の気の多さはこの国で過ごしたとて変わらないようですね」


 流石に今のは嘘だ。

 アリスの実力はそりゃあ目を見張るものがあるけど、あそこまで密着した状態の防御は一回が限界だろう。

 その間にふたりを引き離すことはできるかもしれんが、殺すには至らない。


 俺の嘘がわかっているにも関わらず、彼女はアリスに手を掛けない。

 クソ、本当に目的が見えねえ。


「……では、やはりコレしかありませんね」


《風水の旅人》はそう言いながらアリスの背をそっと押し、彼女を脇にけさせた。

 その後腰に携えた剣を抜き、緩く構える。

 十字架のような形の瞳孔で俺の双眸を迷い無く射抜くその姿に、俺は彼女の覚悟を感じ取った。


 ああ──懐かしい。


「……戦わねえよ。お前と殺り合ったらここら一帯は無事じゃ済まねえ。この景観を損なうようなマネをするつもりはない」

「おや、殿下はどうやら私の言葉の意味を誤解なさっているご様子ですね」

「なに?」

「私は戦いなど望んではございません。シグマ・ブレイズ・エシュヴィデータ様──僭越ながら、死合いを申し込ませて頂きたい」


 ──この時代、命とはくも軽い。


 しかし五大影傑はブレイズ王国の象徴たる存在であり、その命は有象無象と比べずっと重く位置づけられている。

 故に、懸けることは許されない。

 絶対的強者として君臨の意味を体現し、常に勝利のみを手中に収め、敗北など知ってはならない。


 序列が上の者には跪く。

 敵わぬ者には頭を垂れる。

 ソレがブレイズ王国の規則ルールであり、慣例。


 彼女は、敗北を知る権利が無い筈だ。

 このような言葉を吐くことを許されている現状は、不可解極まりない。

 俺の父親は頑固で、傲慢で、そして誰よりもその慣例を重要視していた。

 アイツの心がそう簡単に変わるか?

 答えは否である。


 ……そうか、そういうことか。

 今頃いい笑顔を浮かべてるんだろうな。

 世界を巻き込んだ盛大な諍いをお望みの我らが姫は、相も変わらずお転婆な性格をしているらしい。


「わかった。姉弟喧嘩といこう。ただし、俺以外の人間を傷つけた瞬間──お前には国を捨ててもらう」


 姉上──あなたが今の王なんだな。

 家族すら手に掛けるとは、心優しい姉上とて所詮俺と同じ穴の狢というわけだ。

 たった数年見ないうちに随分と落ちぶれてしまったらしい。


「ありがとうございます。死合いの条件、承知致しました」

「アリス、絶対に手を出すなよ」


 ──巻き込まれるぞ。


 アリスに一度しか向けたことのない本気の殺気を纏わせながらそう告げると、彼女はぶるりと身体を震わせて頷く。

 一瞬にして《浮遊フライ》で飛び退るその姿を見ると、流石に戦場を経験した人は違うなと感心してしまった。

 動きが速く、判断も早い。


 そんな彼女を尻目に身体をほぐしながら目の前で微笑む《風水の旅人》に問う。

 コレは別に重要じゃないが、対等な相手と戦う際に毎回聞いていたことだ。 


「始める前に、ひとつ聞いていいか」

「何なりと」

「お前の名前は?」

「……え?」

「俺、お前らの名前知らないんだよ。せっかくこうして刃を交えるんだ。少しぐらい仲良くしようぜ」


 しばしの沈黙の後、彼女は口を開いた。


「……私は、グレイシア・エルゲンノートと申します」

「そうか。改めて──シグマ・ブレイズ・エシュヴィデータだ」


 開始の合図など無い。

 ただ、互いが『そう』だと思った瞬間が、死合いの始まりへと変わる。


 夏に差し掛かった季節と言えど、夜風は幾許いくばくか心地いい──ソレに緩く身を委ね、俺は詠唱をそらんずる。

 対するグレイシアは律儀にも待ってくれるらしく、笑みを深める彼女の前で二度目となる冥級闇魔法を発現させた。


「祖ははじまりであり、主である。

 我が身、すなわたねもって、幽世かくりよの王たる主のかいなを拝借す。

 の身は剣であり、憑代よりしろであり、下位神をも裁く世界の断頭台を務めしもの。

 虚実を断つ刃は祝福のこえすら掻き消さん。

 我が介錯に揺らぎ無し。

 生命いのちよ、け。魔よ、踊れ。

 静寂に身を委ね、耳を傾け給え。

 ──魔槍《深淵の呼び声コール・オブ・ジ・アビス》」


 両手を合わせそっと開くと、魔力の奔流が吹き荒れ俺たちの間の《素魔力エーテル》を激しく揺さぶった。

 まるで景色の映った鏡を絵の具で黒く塗りつぶしたような、そこに無いが故に在る虚空が魔力を伴い伸びていく。

 一瞬にして細い円筒を形作ると、先端が鋭い片刃に変化する。

 装飾は最低限、そのどれもが虚ろな無。


 俺の相棒──《深淵の呼び声》

 アリスの《送りし者アンダーテイカー》を振るっていたこともあいってその握り心地に違和感は無く、身体の調子も絶好調だ。

 厚い雲が空を覆い隠し星どころか月すらも見えない夜もまた、俺の舞台をコレ以上ないほどに盛り上げてくれる。


 ──久方ぶりの、高揚感だった。

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