第15話【4】

 ──蟻の住処。


 メビウス王国全土に張り巡らされた、裏の世界の住民が闊歩する地下通路。

 その中で最も広い場所である王国中央の真下にて、漆黒のローブを纏う世界最強の暗殺者は佇んでいた。

 メビウス王国での日々を回顧する。


 殺し、育て、殺し、育て、殺し。

 既に百を優に超える数のヒトの命をその手中に収めてきたことは随分と鮮明に覚えているが、誰ひとりとして顔を思い出せない。

 そんな中、彼女が唯一顔を覚えていた少女が居た──《神速》である。

 しかし、あの子はもう、居ないのだ。


 アイシャ・アルバートを殺害した日、神に程近い魔力の残滓が付着したナイフを取り戻した時、その事実を認識した。

 彼女が初めて自らの武器を授けた──一人前と認めた《神速》は、この国のパワーバランスを根底からひっくり返すことができる存在だっただけに、後悔もある。


 だが、既に割り切っている。

 彼女は至高の存在だが、人間だ。

『死神』に楯突いてその命を拾える筈もないことは、自身が最もよくわかっていた。


 瞼の裏に広がるここでの仲間コマたち。

 趣味と計画半々で育て上げた暗殺者ギルドは今や20人程度しか構成員が居ない。

 しかし、その誰もが王国の上級職をも上回る力を付けている。

 王国を内側から食い荒らすには十分な成長度合いと確信しているからこそ、彼女は今日という日を迎えたのだ。

 

「──モニカ様、暗殺者ギルド総員集合完了致しました」

「ん、ああ。そうか。随分早いな」

「では、俺もあちらでお待ちしております」


 現在の暗殺者ギルドで最も力を付けたのが誰かと問われれば、この男──かつてシグマの拳を受けたザキと答えるだろう。

 暗殺者副ギルド長。

 彼は純粋な強さも然ることながら、本物の恐怖を知っている。

 恐怖を正しく知る者は強くなる。恐怖を乗り越えた者に劣ると言えど、その伸び代は世界最上位クラスだろう。


 彼ならば、ここを任せられる。

 この国に蔓延る塵をしっかり払える。

 他の者たちを纏め上げることができる。


 だから彼女──グレイシア・エルゲンノートは、主の胸を借りるため、己の背負う荷物を減らすのである。


「こうして全員と対面して話すのは本当に久しぶりだな」


 見渡す限り、羨望の眼差し。

 かつての国で散々向けられてきたそれに懐かしさを感じつつ、彼女は言葉を紡ぐ。


「私がこの国の人間でないことは、君たちも既に知っていることだろう。改めて自己紹介をさせて欲しい」


 ローブのフードを外し、顔を晒す。

 紫苑色の瞳に刻まれた十字架形の瞳孔。

 黒の混ざった髪は徹底的に排除されたエシュヴィデータ家の血が混ざっていることの証明であり、それを彼らは知っている筈。

 なのにこうして彼女を崇拝する理由は、今に至っても彼女にはわかり得なかった。


「ブレイズ王国国王直属、諜報部隊長兼、五大影傑第2位──《風水の旅人》グレイシア・エルゲンノートだ」

「ッ……! 五大、影傑……!?」

「ああ。驚かせて悪いが、更に君たちには申し訳ない知らせがある──我が国王から帰国命令が下った」


 その先の言葉を聞きたくない。

 ギルドメンバーたちはそう目でグレイシアに訴えかけるが、それを気にも留めずに彼女は話を進めていく。


 こうして集められた時点でただ事でないことはわかっていたが、こんな……自らの育ての親から独り立ちを催促されるなど、誰が想像しただろうか。

 このまま殺しの道を極め、彼女に教えを乞いながら世界の頂へと歩んでいく。

 そんな未来を思い描いていたのは、きっと自分だけではない。


 彼女がそんな彼らの感情を、理解しようとする筈がなかった。


「私は暗殺者ギルド長の座をザキに譲る。君たちには私の持つ魔法以外の技術を全て教え込んだつもりだ。私が居なくても、この国の邪悪を狩ってくれるな?」

「そ、んなこと……急に、言われても」

「君たちが彼のことを兄のように慕っているのは、人の感情に疎い私でさえわかることだからな。私の最初で最後の『お願い』だ。まさか断らないだろう、ザキ?」


 初めて。

 このギルドにやって来て、初めて、困ったような笑顔を見せてそう言うのだ。

 ずるい。断れる筈がないだろう。

 まるで本物の母親のように、惜しむようにそんな台詞を言われては──引き留めることなど、できるわけないじゃないか。


「……御意に」

「彼らを導いてくれ、ザキ」


 その全ては、空虚な演技に過ぎないのに。


「では、時間も無いので私は行く。追ってくれるなよ。私とて部下に格好を付けたい時と言うのはあるんだからな」


 ローブを翻し、グレイシア・エルゲンノートは気配を完全に消し去った。

 視界に映っている筈なのに、そこにいるという事実を認識することができない。

 もう手の届かない場所へ彼女が行ってしまった事実を、こうも無遠慮に叩きつけられては──視界が霞むのを止められない。


 溢れる涙は、別れを惜しむもの。

 だが、その依存が絶たれた時、彼らはまたひとつ強くなるのだろう。

 王国の汚れ──上位貴族らが社会に張り巡らせた腐食の数々を葬り去る役目を仰せつかった彼らは、きっとそれを全うする。


 全ての計画が順調に進んだことにほくそ笑みながら、グレイシアは空を見上げた。


「──人心掌握も存外向いてるのかもな」


*  *  *


 暗殺者としての身分を捨てたグレイシアは気配を殺したまま王国の街道を歩む。

 もうこの街並みを見ることができないと思うと存外寂しいようだ。


 ブレイズ王国と違い、争いを極限まで排他した平和な国。

 その実、周辺諸国を軽々と武力で捻じ伏せることが可能な程の力がある。

 互いを尊重し、国家間で世界の恵みを共有し、相手を尊重する道徳的な場所。


 だが、やはり、退屈だ。

 素晴らしいと心でわかっていても、いざという時に幸福を享受できるのは絶対的な力を持つ者だ、という常識はそう簡単に捨てられないらしい。


 争い、戦い、勝ち、奪う。

 それこそが第一次神魔大戦にて神々が行ったこと。

 ヒトが神に取って代わると信じてやまない彼女たちは、神の定めた『正解』をなぞっているに過ぎないのだ。


 神々が昇ったという空を見上げる。

 ひどく淀んだ曇天には輝かしい星々など一切存在せず、『彼』の戦場として最適な条件が揃っているのがわかる。

 建物から漏れる光が照らす範囲など影に比べれば無いに等しく、グレイシアは自らの愚かな行いに苦笑を漏らした。


「私の状態は万全。だが、コンディションは最悪──やるだけ無駄だとは思うが、命令には従わねばな」


 まだ始まりの時鐘は鳴っていない。

 まさか寝床に就いてなどいないだろう。

 外套を靡かせ王城へと歩む彼女の後ろ姿は恐怖と楽しみに震えていて、その口元にはニタリと赤の三日月が浮かんでいた。


 なにせ──あの《終焉の告げ人》に真正面から挑む機会など、そうそう無い。

 憧れの戦場の死神から直々に刃を向けられるなんて、戦いに生きる者からすれば命を捧ぐに値するご褒美なのだ。


 久しく振るっておらず、しかし握れば他のどんな得物よりも手に馴染む片手剣の柄を撫でていれば、城門の前に着いた。


「やあ、ご機嫌よう」

「何用だ。こんな夜更けに」

「野暮用でね。通してくれるね?」


 ──ありがとう。


 グレイシアがひと言そう呟けば、門番を務めていた男ら二名は身体を真っ二つに分けることで返事をした。

 どさりと湿ったモノが地面に落ちる音が静寂に響くと、舗装が赤黒い液体であっという間に染まっていく。

 それに一切の興味を向けることもなく彼女は城門をくぐり、悠々と王城へ向けて歩き続ける。


 感じる──王子の魔力の残滓だ。


 王城の扉の施錠すら、彼女の空間魔法の前では意味を成さないらしい。

 少し魔力を練っただけで解錠し、無遠慮に廊下を突き進んでいく。

 このまま彼の元へ赴きたいのも山々だが──しっかり別れの挨拶をしてくるように国王から命を受けている。


 渋々と言った様子で、彼女はかつて王と相対したのと同じ場所へと向かった。


「──ご機嫌よう、国王陛下」


 ひどく驚いた表情を浮かべる彼は、彼女の正装を見て死を悟った。

 しかし、グレイシアから向けられる言葉には殺意など微塵も乗っておらず、むしろ穏やかさすら醸している。

 一体何を要求されるのか──恐怖に内心震えながら、彼は続きの言葉を待った。


「グレイシア・エルゲンノート──ブレイズ王国国王直属、諜報部隊長兼、五大影傑第2位の地位をたまわっている者だ」



 ───それは、お願いなどではない。



「アリス・メビウス・クロノワールの元へ案内してくれ」



 上位存在からの、絶対命令だ。

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