第29話【3】

 アリスとふたりきりになってしばらく。

 遂に俺たちの視界の下にアマランス・コラプスが姿を現した。


 毛先が床に着きかけている髪は特に縛ったりはせずそのままで、制服の上に何か羽織ることもしていない。

 杖も持ってはおらず、戦闘が苦手な筈なのにそうとは微塵も思えない立ち姿だ。

 しかし、彼女の双眸はまるで未来がわかっているかのように澄んでいて、観戦しているだけなのに目を奪われる。

 自信に満ち溢れた姿が、とても王族の婚約者らしかった。


 チラ、と正面の方に視線を向けると、向かい側に座るリオンが無関心な目でコラプス先輩を見下ろしていた。

 自分の婚約者に対してそんな目をするモノなんだろうか、普通。

 それともアリスの言った通り、リオンと彼女はあまり仲が良くないのだろうか。


 だが相反するようにコラプス先輩はすぐに彼を見つけ可愛らしく手を振っている。

 ソレも、先ほどののんびりした態度とは明らかに一線を画す、上流階級の人間たる微笑みと共にする控えめなモノだ。

 好きな人の前での態度──そうだったら、中々どうして可愛いな。

 まったくそうじゃなさそうだけど。


「コラプスさんは火属性のみが適性なので、対戦相手は水以外の適性でしょう。加えて一撃の火力が高い魔法を当てる為にも、防御が不得手な方の筈です」

「ソレを前提として、更に相性を突き詰めた結果あの人が選ばれた──ってことか」

「ええ。見ればわかります。彼女の情報収集能力は……王国随一ですよ」


 両者準備が整ったようで、コラプス先輩は相手を見つめながら息を止めた。

 スッと細められた目は猛禽を思わせる。

 確実に仕留めるという意思をありありと感じさせるが、果たしてどんな魔法を扱うのだろうか。


「──試合、開始ッ!」


「《土弾アースショット》!」

「ッ……!」


 審判の合図と共に相手はコラプス先輩へ土の弾丸を3つ飛ばし、同時に距離を詰めようと地を駆ける。

 対する彼女は対抗レジストせずに左へ駆けてソレらを躱し、相手の前方に的確に《火弾ファイアボール》を飛ばしていく。


 体の使い方が下手で足はかなり遅いが、魔法に込められた魔力は相当な純度にまで練られているらしい。

 青炎魔法──アリスの言う通り、魔力量は少なくともその威力は絶大だ。

 学生証に達する前に《火弾》は爆発し、着実に相手の魔力を削っていた。

 魔力障壁で防いでいるようだが、何度も受け止めるのは無理だろう。


「ここまでは予定通りだねぇ」


 その後コラプス先輩は無詠唱で《炎の帳ファイアウォール》を創り出し、神魔殿を断絶した。

 やはり魔力の練りが凄まじく壁の高さは相当なモノで、観客席にまでその熱気が伝わってくる。

 流石にコレだけ大きい魔法だと青い炎になるまでは練れていないが、それでも足止めには十分すぎるほどだ。


 魔力操作も上手いのか《炎の帳》を少しずつ相手の方へと押しやっていき、その間にコラプス先輩は詠唱を口にする。

 俺も火属性魔法の使い手なので、ソレがどんなモノなのか理解できる。

 だからこそ、本気でこの場で使うのかと自分の耳を疑ってしまった。


「偉大なる御身を象りし裁きのほのお、俗世に蔓延はびこる罪を焼き払わん。

 総ての愚鈍を滅し、総ての大罪を罰し、総ての闇を葬る御光、其れは神の裁きに他ならず。

 神罰は必ず下される。

 今の時、矮小なる我が身をもって、判決の弦を引き絞らん。

 天を震わせ地を焼く其の矢は、何よりも貴き太陽神の眼差し也。

 見上げ、焼き付け給え。

 神焔が降り注ぐ、その時を。

 ──《創滅の矢》」


「……マジで言ってんの、アレ?」

「やはり彼女も成長しているようです。並行魔法生成でこれを使うとは……」


 コラプス先輩が左手を天高く掲げ詠唱を完了すると、次の瞬間その手の中には炎で形造られた弓矢が握られていた。

 ゆっくりと魔力を練りながら弦を引き、空へ向かって矢を射る。

 太陽に隠れソレは見えなくなるが、膨大な魔力の気配はちっとも隠しきれていない。


 冥級火属性魔法《創滅の矢

 世界に満ちる光の根源である太陽神の力を再現したと言われる、同級の魔法の中で最も威力の高いモノだ。

 その長い詠唱と発現に必要となる複雑な魔力の練り方から使う者は少ないが、範囲殲滅力は随一。

 アレが降ってくるまでにコラプス先輩の意識を奪わなければ──終わりだ。


 流石に魔力を使いすぎたのか《炎の帳》は自然と無くなり、ソレと共に3年生の先輩は彼女へ向かって《土弾》を放つ。

 距離はあるので難なく躱し、ひたすら逃げるコラプス先輩。


 そんな彼女へ向かって先輩は地面に魔力を伝わせて土の壁を幾つも創り、彼女の進行方向を狭めていく。

 もう壊す魔力も残っていないのか、それとも温存の為かはわからないが、追い詰められるのを許容しているようだ。


「《砂塵の捕食者サンドワーム》!」

「うわっ……!」


 勝負を決めるつもりなのか先輩が地面を強く踏みしめると、コラプス先輩の足元が突如砂へ変わった。

 ソレはまるで蟻地獄のように彼女を喰らおうと蠢いていて、思うように身動きが取れなくなっている。

 そんな彼女へ向けて幾多の土魔法を放ち、学生証を砕かんとする。


 土の弾丸、隆起した大地の剣、逃れられない捕食者の巣。

 全てを防ぐことはできておらず、コラプス先輩は徐々に蟻地獄の中央部へとり込まれていく。

 しかし、その表情は至って冷静だった。


 刻一刻と天から炎の矢が近づいてくる。

 まるで舞台の演出家のように、全てを見透かした目が捉えていたのは──自身の絶対的勝利だけだった。


王手詰めチェックメイト──ありがとうございましたぁ」


 中心へ達する寸前、コラプス先輩はそう口にしながら足元へ向けて何か魔法を放ち、まるで自害するかのように爆ぜさせた。

 目を凝らして見ると、彼女は魔力障壁を張りながら爆風で《砂塵の捕食者》から脱出したようだ。


 力業すぎる……若干そう呆れてしまう。


 乾いた笑いを漏らした刹那──莫大な熱エネルギーが神魔殿に突き刺さった。


 ソレは瞬きの間に発する光を増していき、やがてこの世の終わりかと勘違いしてしまいそうなほどの爆発を引き起こす。

 閃光が目を焼き、熱波が肌を撫でる。

 空間全てを燃やし尽くさんと言わんばかりの轟音が耳をつんざくと、次にやってきたのは鳥のさえずりすら無い沈黙だった。


 神魔殿の観客席との間に冥級の結界が無かったら、ここら一帯は焼け野原になっていたことだろう。

 ソレほどまでに《創滅の矢》は、高次元の魔法だったのだ。


 焼き切れていた視界が少しずつ元に戻る。

 最高級の耐魔レンガが幾許いくばくか融けたそこに立っていたのは、コラプス先輩だけ。

 彼女の対戦相手は、制服を半分ほど焼け焦がして地面に突っ伏していた。


 審判は避難していたようで、試合終了の合図は中々聞こえない。

 しかし、結果は既に明らかだった。


 コラプス先輩の……圧勝である。


「……《炎の帳》は確かに足止めになるが、一部を破るだけならそんなに難しくない。今回はソレができない相手だった、のか?」


 特定の魔法との相性なんてあの人はどうやって知ったんだよ。

 コラプス先輩は2年生、そして対戦相手は3年生だから普通探りようもない。

 何がどうなったら知ることになるんだ?


「これが彼女の最大の武器です。情報戦で彼女に優位を取るのは、ブレイズ王国に関する知識比べくらいしか無理でしょうね」

「無茶苦茶すぎだろ……戦闘が苦手って言う割には結構強かったしな」

「撃った後の動きはお世辞にも良いとは言えませんが、まさか冥級魔法を扱えるようになっていたとは……想像以上に厄介ですね」

「アレを使えるってなると大抵の火属性魔法は使えるだろうし、魔力の練りも相当上手い筈だ。力押しはキツいぞ」


 脅しでもすれば大きな音を立てられたりで周りの目を引いてしまうだろう。

 加えて、リオンの婚約者という立場を鑑みれば傷つけるのは愚策になる。

 暗殺なんてしようものなら──俺の魔力の痕跡を、特定されるやも知れん。

 そうなればアリスにも被害が及ぶ。


 かと言って正面戦闘も難しい。

 この国では基本火属性魔法しか使えない俺にとって、ソレに理解の深い相手と言うのは厄介極まりない。

 俺が放つ魔法に合わせて対抗レジストし時間を稼がれるだけでも、展開は相当悪くなる。

 俺ではたぶん、どうにもならないだろう。


「元より彼女は自分に不利な駆け引きは避けてきます。彼女を懐柔するには、相手の土俵に立つのが前提──わたしのやることは、変わりませんよ」

「……力になれなくて、ごめん」

「適材適所、というやつです。そう落ち込まないでください」


 アリスの慰めが心にみる。

 不甲斐なさに押しつぶされそうだ。


 リオンに向けてブイサインを送るコラプス先輩を見ながら、俺は深く嘆息した。

 微笑みを浮かべる彼女は、やはり王族の婚約者らしい姿をしていた。

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