第27話【3】

「……終わったぞ」

「……ええ、ありがとうございました」


 頭が痛い。

 こんな気持ちは初めてだ。

 この胸に宿る苦しみは何なのだろう。


 罪悪感、不快感……どちらでもない。

 ただなんとなく、気持ち悪い。

 ひとりの人間を殺しただけなのに、どうしてこんなに心を揺さぶられなければならないと言うんだ。

 今までだって散々やってきたことだろ。


 しかも今回は苦しめずに逝かせられた。

 体を焼いたり、貫いたり、斬ったりしたわけじゃないんだ。


「ッ……」


 あの空っぽな瞳を思い出す。

 死ぬ寸前、本当に救われたかのような、清々しい表情を浮かべていた。

 一度は自分の生を否定し、今こうしてアリスの下で思う存分ソレを享受しているからこそ、最期の時の顔が頭から離れない。


「……わたしは、王国が好きです」


 アリスが苦しそうに口を開いた。

 その瞳は今にも泣きそうなのに、一切の涙を零しはしない。

 こらえているのか、はたまた──。


「王国の民にも、この国を好きになって欲しかった。人生を投げ捨て王国から出ていくなんて、誰にもさせたくなかった」

「………」

「平等を謳うつもりはありません。神が実現できないことを、ただの人間風情が語れる筈もないですから」


 杖を頼りにゆっくり跪く。

 そして《神速》の頬に手を添え、膨大な魔力を練り始める。

 その姿は神々しく、太陽神を思わせた。


「ですが、せめてこの国でくらいは、誰もが平和と安寧を享受できるようにしたい。貴族も平民も奴隷も……皆が」


 アリスの右手から光が溢れ出し、ソレは徐々に《神速》へと流れ込んでいく。

 すると少女の亡骸が浮かび上がり、美しい光のヴェールに包まれた。

 喉元から頭と胸にソレは広がっていき、やがて足先まで全てを飲み込む。


「だから、王国を変えなければならない。この人のような者を、ひとりでも……!」

「………」

「たとえどれだけの非道を尽くそうと、わたしにできるのは過去の犠牲を贄に、世界の行く末に干渉することだけですから」


 ヴェールがはらりと取り払われる。

 次の瞬間、そこにはまるで生きているかのような生気に満ちた目をする《神速》が横たわっていた。


 しかし、一度相対したからこそわかる。

 彼女の目は本来、既に死んでいたのだ。

《神速》であって《神速》じゃないソレは、噂程度にしか聞いたことのないモノ。


「死霊、魔法……?」

「かつてシグマさんに、わたしは許されざることをして王国に目を置いていた、と言ったでしょう? ……綺麗に殺せた人を、こうして傀儡にしてきたんです」


 地に降り立った少女は、人間と遜色ない。

 だと言うのに、恐る恐る触れてみれば、その肌はあまりにも冷たかった。


 なんて惨く、残忍で、美しい魔法なんだ。

 神業──『無限』を司る光属性の魔法でしか成し得ない、人の時を無限に引き伸ばす神業だった。


「……とても穏やかな顔でしたね。優しく葬ってくれて、ありがとうございました。辛い役目を押し付けて、ごめんなさい」

「……いや、大丈夫だ」

「嘘はいけません。こんなに酷い顔をして大丈夫なんて、虚勢なのが丸見えです」

「表情筋は動いてないと思うけどな」

「目が苦しみを訴えています」


 その瞬間、頬を何かが伝った。

 視界が霞む──なんだろう、コレは。

 温かくて、でも胸が苦しい。


 俺は変わってしまったのだろうか?

 俺はもしかして──どうしようもなく、弱くなってしまったのだろうか?

 俺は死神としての所業に、躊躇いを覚えてしまったのだろうか?


「大丈夫」


 優しい声だった。

 ソレはそう、まるで女神のような。


「それは人としてとても正しい感情です。否定しなくても、あなたは地下室から既に解き放たれ、成長しています」

「………」

「確かにわたしたちの進む道は茨だらけだと思います。これから先、きっとこのような機会は沢山あるでしょう。ですが、わたしは決して人の命を軽んじはしません。あなたの今抱いているものは、大切にしてください」

「……ほんと器が広いな、アリス。せっかく手中に置いた敵国の王子が弱くなったら、捨てるのが普通だと思うぞ」

「わたしは傲慢なので、一度手にしたものは絶対に手離したくないだけですよ」


 そう口にするアリスは、今までにないほどギラついた炎を目に宿していた。

 唇を固く引き結び《神速》を見つめる彼女はゾッとするほどの無表情で、どこかおぞましく感じてしまう。

 遙か上の次元に立っている者を見上げているような、不思議な印象。

 目指すべき未来を見つめ続けているから、彼女はこんなに強いのだろうか。


 ……ああ、そうだな。

 ただでさえ一度、過去から逃げたんだ。

 コレ以上逃げては、アリスの隣に立つ資格すら無くなってしまう。

 今でさえあるかどうかわからないのに、あまりにも格好がつかない。


 受け止めて、それで──前に進むんだ。


「どうやら、大丈夫なようですね」

「………。ああ」

「あなたはいつも期待に応えてくれる。わたしも頑張らなければなりませんね」

「アリスは十分頑張ってるよ」

「いいえ。……あなたが何か隠しているのは、わたしの力不足によるものでしょう?」

「──!」


 そんなに、わかりやすかったか……?


「勘です。第六感であなたの態度に違和感を感じただけですよ。……話してもいいと思った時話してくだされば、構いません。わたしもまだやりたいことがありますし」

「……気にならないのか?」

「まったく。分不相応な事柄に挑めるほど、今のわたしには余裕がないので」


 至極当然と言わんばかりの、あっさりとした答えだった。

 本当に、アリスは時々人とは思えない言動をするな。

 あまりにも達観していて、世界を第三者の視点から見下ろしているかのような冷静すぎる側面もまた、彼女の本質なのだろうか。


「そう、か。……たぶんだけど、すぐ話すことになると思う」

「わかりました。心の準備をしておきます」


 ニコリと笑うアリスだが、その目には正の感情を一切宿していないように見えた。


*  *  *


 夕食時。


 アリスと共に食卓に着き、いつも通り美味しいメイドさんの料理を食べる。

 こちらもいつも通り会話はせず、ただナイフとフォークで魚を口に運ぶだけ。

 いつも通りを演じようと、俺たちは言葉を交わさずとも通じ合っているかのように自身を騙していた。


 受け止めると言ったが、流石にこんな早く気持ちの整理はつけられていないのだ。

 ソレは俺だけでなく、アリスも。

 こうして常人と同じ立ち位置で、世界に存在しているからだろうか──人の命がどれだけ重いか、嫌でもわかってしまう。


 そして同時に──命を喰らい尽くした時、脳髄から染み渡る快感があったことも、否定できない事実だった。

 戦いで得られる愉悦とは違う。

 己の中に潜む呪いが、悦びで震えていた。


 アリスにはああ言ったが、コレの代償が命だというのに変わりはない。

 魔力が命に近いから抑えられているというだけなのだ。


 久しぶりの、人の命──美味しかった。


「………」

「………」


 また誰かを殺す時、再びコレを味わう筈。

 もし何度も繰り返したら、果たして俺はこの快感に飲まれてしまわないだろうか。


 麻薬というモノがあるらしい。

 ソレは一時のこの世のモノとは思えない快感を得られるが、その効力が切れた時凄まじい喪失感を味わうのだと言う。

 俺のコレは、どうなのだろうか。


「聞いてますか、シグマさん」

「………」

「シグマさんっ!」

「……ああ、ごめん。ぼーっとしてた」

「……そうですか。ではもう一度言います。明日は予定を空けておいてください」

「いいけど、なんで?」

「見せておきたい人物が居ます」


 重要人物はひと通り説明されたし、その殆どは姿も見たことがある。

 商業ギルドの人間……あるいは、契約の魔道具に関連する組織のヤツとかだろうか。

 表舞台での俺の役割は少ないし、面識を持っておいた方が良いのかも知れん。


「アマランス・コラプスという方です」

「聞き覚えある気がするな」

「お兄様の婚約者です。彼女の序列戦が明日あるので、見に行きましょう」

「わかった。でもなんで突然?」

「……《神速》が、数日前から尾行があったと言っていたのでしょう? 彼女はわたしよりも多く目を持っています。場合によっては利用価値が生まれるかも知れません」

「……そうか」


 リオンの婚約者──将来王国を担うやも知れん人物が、ブレイズ王国と繋がっているとは考えにくい。

 だからこそソレを利用して、という可能性も無くはないが……アリスがああ言うくらいなら大丈夫か。


 彼女の信用は、重い。

 俺が口を出すまでもないだろう。


「それと、コラプスさんと会った時は決して質問に答えず、質問もしないでください」

「え、なにソレ。どういうこと?」

「彼女の話術は悍ましいんです。たったひとつの何気ない言葉から、幾十もの情報を盗まれたことがありますので」

「……肝に銘じておきます」


 アリスの真剣な表情を見て頷いた。

 ゼータ先輩の時もそうだが、彼女の言葉は大袈裟ながら否定する気が起きない。

 リオンの婚約者ということは彼の派閥だろうし、気を引き締めなければ。


 決意を固めるように俺は最後のひと口を放り込み、手のひらを合わせた。


 その魚料理は美味しい筈なのに、どこか味気なく感じてしまっていた。

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