第26話【3】

「う、うぁ……んんっ……」


 ……ここは、どこ?


 カーテンの閉められた、薄暗い部屋。

 両手は鎖で縛られていて、天井に映る影に繋がれている。

 魔力を練ろうとしても《形式魔力タイプ・マナ》は私の意思と反対に散らばる。


「……ああ、そっか」


 私は、負けたんだ。


 くそ……くそぅ!

 なんで、あんな……あんなバケモノがこの国にいるのさ!

 こんな屈辱的な負け方、したことないよ。

 でも、悔しさと同じくらい、怖い気持ちで胸がいっぱいだ。


 序盤は私が優勢だったのに、あれだけ多く斬りつけたのに、痛覚が無いんじゃないかってくらい平然と薙刀を振るう姿。

 抵抗できないまま唇を奪われて、そのまま自分の中のナニカを齧られる感覚。

 あれは、そう──死神だ。


 ──ガチャリ。


「よう、起きてるか」

「……起きてない」


 ほら、来た。

 ああ、この声を聞くだけで体が震える。

 正直もう話せることはないんだけど……いつになったら殺してくれるのかな。

 こんな苦しみ、もうやだよ。


「おはよう、よく眠れたみたいだな。魔力がだいぶ戻ってる」

「ハッ。元に戻ったって練れないんだから、こんなもの何の意味もない」

「それもそうか。さて……どうしよう」

「……?」

「いや、昨日で聞きたいことは全部聞いたから特にやることがないんだ。人を苦しめるのは好きじゃないから」

「どの口が……ッ」

「怒んなって。キスした仲だろ?」

「っ……!」


 いや……いや……!

 来ないで……私から離れてっ……!


「あー……ごめん。意外とトラウマか」

「はっ、はっ、はっ……」

「まぁまぁ落ち着け。今日は何もしねぇよ」


 そう言いながらシグマは私の前に少し距離を置いて座った。

 そのまま私が落ち着くのを待ってくれる。

 優しい目だけど、その奥底に潜むのはあの日私の命を齧り取ったバケモノ。

 騙されるな──私は、彼に負けたんだ。


「えーっと、アリスが帰ってくるまでに説明しろって言われてるんだっけ。となるとあんま時間ねぇな」

「アリス……《魔導師》?」

「そう」

「なんで……敵国の王族同士で」

「俺はブレイズ王国を裏切ったんだ。そんでたまたま彼女に拾われたんだよ」

「私は、彼女の実験に……使われるの?」

「お前は選択肢を与えられてる」


 一、アリス・メビウス・クロノワールに忠誠を誓う。

 この場合、私は彼女と奴隷契約を結ぶ。


 二、神威の研究の為飼われる。

 その場合、私に人権は一切認められず、解剖なども行われる可能性大。


 三、シグマに食べられる。

 それは言葉通りの意味で、拷問のように命を全て喰われて──死ぬ。


 シグマはゆっくりと、至極単純な言葉で私に選択肢を掲げた。

 ……ハハ、私の人生、終わりすぎ。

 詰んでるでしょ、これ。


「俺は忠誠を誓うのをオススメするぞ。あの人の下は居心地がいいんだ」

「でも奴隷契約は結んでないでしょ」

「奴隷契約ってそんなキツいのか?」

「さあ」

「えぇ……まぁいいや。とにかく全部説明はしたから、後は自分で決めてくれ」


 そう言ってシグマは部屋を出ていった。

 影が見つめてくるここは、ひどく静かだ。

 静寂に満ちていて、まるで自分以外の人が存在していないんじゃないか、って思うくらいの不気味さ。


 負けの代償が、こんなに重いなんて……ちっとも想像しなかった。

 任務の失敗なんて一度もしなかった。

 唯一の敗北──ギルド長とのタイマン。

 方向ベクトルを最大限引き伸ばして、魔力操作も最高に正確だったのに……赤子の手を捻るかのようにせられた。


 あれ以来、誰かに負けることなんて想像もしてなかったけど……今ならわかる。

 この世界には、バケモノが蔓延っている。

 シグマ・ブレイズ・エシュヴィデータ……あいつは本気を出していない。

 たとえ忠誠を誓うフリをして拘束を解いてもらって、一瞬の隙を作ろうとも──私はまた負ける。


 この世界は、私には明るすぎる。

 もしも私がもっと強かったら、もしも私がもっと恵まれた生い立ちなら、また違ったのかもしれない。

 でも……もう、疲れたんだ。


 どうせ今までも惰性だったんだから。


 大人しく、彼のキスを受け入れよう。


「……はぁー、なんか、すっきりした」


 自嘲の笑みは、きっと歪んでいた。


*  *  *


 ──コンコン。


「失礼します」


 聞いたことのない女の声だった。

 ノックの後聞こえた音は、彼女が突いている杖の音だったみたい。

 成人すらしていない私よりも随分と小さい体躯は病的なまでに細くて、彼女の後ろに居るシグマとの身長差がすごい。


 なるほど、彼女が……。


「──《魔導師》」

「自己紹介の手間が省けましたね。そちらの名前はあまり好きではないのですが……まぁいいです。こんにちは、《神速》さん」

「シグマから聞いてる。私は忠誠なんか絶対誓わない」

「わ……っ、凄い殺気ですね。挨拶も無視されちゃいましたし……悲しいですっ」


 すんっ、と鼻を鳴らすアリス。

 なんて雑な嘘泣きなんだろう。

 一生のうちにこれほど雑なものを見るのは二度と無さそうなくらいだ。


 ……私の一生は、今日で終わりだったな。

 ハハ、私も吹っ切れたなんて言いながら、生に執着する凡人だってワケか。

 自殺する勇気も無いくせに人を殺すことだけは上手い自分が、嫌いだ。


「さて、早速拒否されてしまいましたが、わたしはあなたを手駒に加えたいのです。どうにか態度を軟化できませんか?」

「シグマが居れば私の役目は無い。私は彼より弱いんだから」

「そんなことはないですよ? シグマさんはあくまで強いだけですが、あなたは神威を扱えるという特別な人間。存在するだけで一定の影響をもたらせられるんです」


 ……自覚は、してる。

 神威を手にしたその日、私の人生は──戦いは、まったくの別物に変わった。

 凡人なんて置き去りにする、正真正銘神の力を得てしまったんだから。


《神速》は神威の中でも最弱。

 天変地異を思うがままにできる神威もある中で、ただ全ての事象を加速するだけのそれは、風神の優しさの表れかもしれない。


 だと言うのに、私は文字通り暗殺者ギルドどころか王国でも最高位に立てた。

 これだけでも神威が特別なのはわかる。

 世界に6人──各属性元素につきひとりしか生まれないと噂されるくらいだ。

 私はきっと、確かに特別な存在。


 だからこそ──。


「もう疲れたの。生きることに」

「……《神速》さんはわたしたちに敵対していたわけではありません。そして今日まで損害を受けることもなかった」


 アリスが歩み寄ってくる。

 その姿は小さいのに大きくて、自分の呼吸が浅くなっていくのがわかった。

 なんて圧力……王族ってのはどいつもこいつもバケモノ揃いなの?


「わたしの都合で人生を狂わせてしまい、申し訳なく思っています。しかし、わたしも引くことはできません──可能な限りあなたの要求は飲みましょう」

「私は絶対あんたに屈しない。頭を垂れるくらいなら死を選ぶ」

「……なるほど、わかりました。生きたいと思っていないなら、飼い殺しにするのは残酷すぎますね」


 ああ、これで……。

 私もようやく、解放されるんだ。

 ハハ、なんだか呆気ないもんだなぁ。


「わたしは外に出ています。シグマさん、なるべく苦しませないであげてください」

「……ああ。わかった」


 アリスが背を向けて部屋を出る。

 そんな彼女を見つめていたシグマは、扉が閉まると同時に私に向き直る。

 その目にはひどい罪悪感があって、あんなに楽しそうに私を殺しにきてたのがもはや懐かしく感じてしまう。


 確かに、彼との戦いは楽しかった。

 もう一度やりたいかと言われればそんなことはないけど、ブレイズ王国の王族を追い詰めたことは冥土の土産にピッタリだ。

 まぁ、散々人を殺した私はきっと天国になんか行けないし、地獄の底に堕ちるに決まってるんだけど。


 影の鎖が消えて、私は地面にへたり込む。

 久しぶりに自由になった体は魔力の巡りが少ないせいか重く、気怠い。

 そんな私の上に覆い被さり、シグマはその温かな至極色の双眸を向けてきた。


「……本当に、いいのか?」

「言ったでしょ。もう疲れたんだよ」

「そうか」


 瞼を下ろす。

 死神は私の首に手を這わせ、ゆっくりと頬を指先で撫でてくる。

 そのくすぐったい感覚に身を委ね、自分の人生を回顧する。


 物心ついた時、先代暗殺者ギルド長によって育てられていたのが懐かしい。

 殺しの道に進んで、才能があったのかぐんぐん成長していく感覚は楽しかった。

《神速》を使えるようになってからはギルドの頂点になって、完全に親離れ。


「さようなら、《神速》」

「んむっ……ちゅ……っ」


《常夜》が来てからは波乱の日々。

 1日に10人殺すこともあったっけ。


 王国中を走り回って、誰かに恨まれてるであろう悪人やら何の罪もない善人まで、色んな人のこめかみを貫いた。

 みんな一撃で脳みそに穴を空けて、死を知覚させる間もなく命を刈り取る……。

 たぶん、苦しませずに殺せてたとは思う。


 今、シグマにされてるみたいに。


 昨日とは違う、優しい口付け。

 舌を入れるわけでもなく、ただ唇を重ねるだけの柔らかいキス。

 乱暴さなんて欠片もない、優しい執行。


「んんっ……ん、んむ……」


 命を食べる、なんて言ってたけど……それが当然のことだと思うと、なんともない。


 ああ、意識が薄れてきた。

 これが《死》ってやつなのかな。

 随分と……あったかいんだなぁ。


「んは……ばいばい……っ」


 最後の口付けをされた瞬間、私の意識は完全に途絶えた──。


 この日、ひとりの少女がこの世を去った。

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