第25話【3】

「久しぶりですねぇ、《常夜》──いや、ここでは《風水の旅人》さんって呼ぶべきでしょうかぁ」

「好きにしろ。私たちしかいないのに呼び掛け方など気にする必要はない」

「そうですねぇ。ではグレイシアさんとお呼びしますぅ」


 とある食事処の個室。

 ふたりの女性が料理に舌鼓を打ちながら睨み合っていた。


 一方の目は感情が欠如しているかのように冷たく鋭利で、もう一方はとろんとしながらもそこに潜む敵意は本物だ。


 外套は脱ぎ動きやすいシンプルなデザインの服に身を包む《常夜》は、自分の前に座る女に聞こえるよう舌打ちをする。

 個室の外には漏れない程度の殺気を向けているというのに、この女は一切の恐怖を顔に宿しはしない。

 自分を殺すことが不都合だと確信し、それに絶対の信頼を預けている証拠だ。

 力でせることのできない相手──彼女にとってこれほど厄介な者も居ない。


 アマランス・コラプス。

 この国で最大の知識量と諜報能力、人脈を持つと言われる少女。

 彼女は、リオン・メビウス・クロノワールの婚約者であった。


 青みがかった紫の髪は床に着きそうなほど長く、真紅の瞳はタレ目だ。

 痩せ細った体やのんびりした態度は、お世辞にもグレイシアと対等とは思えない。

 しかし、彼女は不満そうにしながらもアマランスを尊重しているようだった。


「さて、グレイシアさん。どうして契約を破ったんですかぁ?」

「それは私の台詞だろう。尾行は事前に知らせ私からギルドメンバーへ通達する、というモノだった筈だが」

「依頼以外の殺人は正当防衛のみ認める、という話でしたよぉ。尾行であれ何であれヒトであることに違いありませんー」

「ふむ、そうだったか。出自が不明瞭だった故彼女も殺してしまったのだろう。この場で謝罪させてくれ」

「許しますぅ。まだまだ代えは居ますし、大した損害じゃないですからねぇ」


 のほほんとそう言い、アマランスはフォークでミートソースパスタを口に運んだ。

 途端に可愛らしい笑みを浮かべ、グレイシアにも食すよう目で促す。

 お腹が空いていないのか少し躊躇う彼女だったが、やがて諦めたようにフォークを手に取りパスタを巻いた。


 穏やかな、とは決して言えない食事風景。

 普段は決して外さないフードを取っているグレイシアの目線は鋭い。

 互いに向ける敵意は本物だ。

 柔らかな微笑みを浮かべるアマランスのそれも含めて、である。


「それじゃあ本題に入りましょうかぁ。グレイシアさん、アイシャ・アルバートという方に何かしましたかぁ?」

「名前も聞いたことがないな」

「嘘はいけませんねぇ。あの《魔導師》アリス・メビウス・クロノワールが怒りを露わにする事態を引き起こせるのは、他国出身であるあなたくらいしか候補が居ませんよぉ」

「………。君は本当にやりづらい」

「褒め言葉として受け取っておきますぅ」


 初めてアマランスは笑みを崩した。

 ニヤリといやらしい、策略家たる微笑みだ。

 観念したようにグレイシアはもたれ、眉間を指で押さえながら口を開く。


「少し実験に付き合ってもらった。しかも彼女の方からネズミになりたいとやって来たから、応えただけだ」

「なるほどぉ。確かに彼女は序列を上げようと必死でしたし、目に付いた手段は何でも取るかもしれませんねぇ」

「そして実験後、都合よく彼女を殺す依頼が来たから人員を派遣した。それだけだ」

「きっとメビウス王国を弱らせる手段なんでしょうけど、あなたの口を割るには少し交渉材料が足りませんねぇ。残念ですぅ」


 本当に残念そうにアマランスは頬杖をついてため息を漏らした。

 しかしその態度は相変わらずのマイペースなもので、奥底に潜んでいるであろう感情は一切窺い知れない。

 いや、本当に何も感じていないだけという可能性を捨てられはしないのだが。

 彼女の真の考えを理解できる者は、未だこの国には居ないのである。


 グレイシアはそんな彼女へ向けて今度はこちらからと言わんばかりに尋ね返す。

 その表情は少しだけ不機嫌そうで、初めて見る明確な感情の滲んだそれにアマランスは息を飲んだ。

 あの《風水の旅人》が、自分に対して感情を向けてくれることなど一度もなかった。


(……えへへ、やったぁ)


「私からもひとつ、質問をさせてくれ」

「いいですよぉ。今回は証言も貰えたので、サービスしちゃいますぅ」

「先ほど、私はアイシャ・アルバートを殺す依頼を受けたと言っただろう? それに向かわせたヤツが帰ってこないんだ。君の手札の誰かを彼女に付けさせていたのか?」


 アマランスは、すぐに態度を一変した。

 グレイシアの言葉が、あまりにも普段の彼女とかけ離れたものだったからだ。


「まさか、暗殺者ギルドのヒトが負けた可能性を考えているんですかぁ? あなたが手塩にかけて育てた彼らがぁ?」

「ああ。今回の依頼は隠匿性を重視し、私の最高傑作である《神速》を向かわせた。任務を失敗することなどあり得ない」

「ほぉ……。彼女が得た力がそれほどまでに高まった可能性は考えないんですかぁ?」

「数日経っても《魔導師》に手も足も出ないヤツが《神速》に勝つのは不可能だ」


 内心アマランスは嗤った。

 グレイシアはひとつの情報を漏らした。

 アイシャ・アルバートに施した『何か』は時間経過によって効力が変わる──そんなことを暗示する発言だ。


 無論、扱うのに慣れる期間を指しているだけかも知れないが、この可能性があるという事実が重要なのである。

 全ての可能性を検証し証明、否定するのはそう簡単なことではない。

 ひとつの発言が判断材料になり得るのだ。


「そうですかぁ。今回、私はアイシャ・アルバートに一切の干渉をしていませんー」

「……君の婚約者の方はどうだ?」

彼奴あいつの話をするのは嫌ですぅ──って、まかとおるとは思ってませんよぉ。ナイフをしまってくださいぃ。彼は今妹に夢中なので動いてない筈ですぅ」

「……そうか。確かに君たちでは《神速》に敵うとも思えんし、邪推だったか。脅してすまなかった」

「心臓に悪いですぅ。次やったら言いつけちゃいますからねぇ?」

「今戦争をすればメビウス王国、ブレイズ王国共に不利益を被ると言うのにか?」

「少なくとも、あなたを消すことにはヒトを使うだけのメリットがありますぅ」

「おお怖い。心に留めておこう」


 食事も丁度終わり、グレイシアは外套を羽織ると気配を消して個室から出ていった。

 その事実を知覚することのできた者は、アマランス以外に存在しない。

 相変わらずの、浮世離れした芸当だ。


 紛うことなき最強との会合を終え、彼女は深い安堵の息をついた。

 表情に出ていなくとも、緊張しないというのは無理な話だったのだろう。

 その額には、僅かにだが汗が滲んでいた。


「……《神速》が負けた可能性、かぁ」


 重要人物は全て頭に入っていると確信していたのだが、間違いだったのだろうか。

 帰ったら情報を整理し直そう、とアマランスは決めて個室を出た。


 店に居る人間は全員、彼女が出ていく後ろ姿に頭を下げていた。

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