第23話【3】
「ん、んぅ……」
朝日が窓から差し込む部屋。
両手の親指の付け根を合わせて縛られ、影の鎖で天井に吊るされている少女がそんな声を上げた。
俺はベッドに寝転がって読んでいた本を閉じてから体を起こし、彼女の足ではギリギリ届かない場所に立つ。
既にこの部屋には俺と彼女以外居らず、ゾッとするほどの静寂に満ちている。
そんな平穏を切り裂くように、俺は嘲るような声音で少女に問い掛けた。
「お目覚めか、お嬢さん?」
「ん……ッ!? これは──!」
「抵抗しても無駄だ。俺の拘束に加えてアリスの結界が張ってあるから、魔力はそう簡単に練れないぞ」
昨日──正確に言えば今日だが──アリスは部屋を出ていく時、超絶長い詠唱の後聖級結界魔法を張って行ったのだ。
《
少女だけでなく俺もそうではあるが、身体能力ならば俺に分がある。
戦いの時点で確信していた。
少女はしばらく拘束を解こうと体をくねらせていたが、やがて無駄だとわかったのかぐったりと脱力した。
その桃色の双眸にはあまりにも鋭利な敵意が宿っており、睨まれているだけで戦闘意欲が掻き立てられる。
あの時のヒリついた、互いの命を削り合うような戦いを思い出す──今思い返してもやはり楽しいモノだった。
「……なんで、生かしてるの」
「そりゃあまぁ、情報の為?」
「悪いけど、私は何も知らない。仕事以外のことは記憶しないから」
「じゃあなんでアイシャ・アルバートを殺すことになったんだ」
「ギルド長からの依頼。副ギルド長のひとりとして依頼を遂行していただけ」
随分素直に答えたな。
表情などを見る限り、嘘ではない。
ギルド長……《常夜》か。
わざわざギルド長に直接彼女を殺すよう依頼する──できる人間なんて、そうそう居るとは思えない。
アリス曰く《常夜》はその名を広く知られているのに、接触した人間は身近には国王だけらしいじゃないか。
他国からやって来たであろう魔道具に関して裏で糸を引いているヤツが、わざわざ直接依頼をするか?
中々に多忙であろうギルド長がソレに応じることがあるのか?
……断言はできない。
正体に至っては皆目見当もつかないし、本当に尻尾を掴んだだけなんだな。
まだまだ道は長そうだ。
「さっさと殺したら」
「ほざけ。干からびるくらい搾り取ってからに決まってんだろ」
「言ったでしょ。私は何も知らない。色々嗅ぎ回ってるのは知ってるけど、ギルド長の名前もわかんないよ」
「……え? 嗅ぎ回ってる?」
俺が本格的に暗殺者ギルドについて調査し始めたのは昨日だ。
だと言うのに、既に気づかれていた……?
いや、暗殺を防いだ時は完全に意識の外だったみたいだし、ソレは違う。
何のことを言ってるんだ──?
「何日か前から私たちギルドメンバーに尾行を付けさせてたでしょ。私が
「………」
「どうせ死ぬ人間の前でしらばっくれる必要なんてないのに、意味わかんない」
……アリスではない誰かもまた、暗殺者ギルドに疑念を持っていた。
そして俺が調査を始めるタイミングの数日前から尾行は始まっており、ソレらが偶然重なっただけ。
そう考えれば辻褄は合うが──その首謀者が誰なのか、という疑問が残る。
こっちも調べた方が良いか?
いや、既に殺されたなら彼女から情報を引き出すのは無理だろう。
表立って活動していない……できない暗殺者ギルドが、表の事情にわざわざ首を突っ込むとは思えない。
何も聞かずに尾行を殺しただけで、有用な情報を持っている可能性は低い、か。
「俺の質問に答えろ」
「やだ」
「だろうな。つーわけで、まずは陰で生きる者同士、親睦を深めてみないか?」
「……?」
「まぁ、なんだ。自己紹介でもしよう。俺の名前はシグマ・ブレイズ・エシュヴィデータ。ブレイズ王国の元第二王子だ」
躊躇いなくフルネームを口にすると目の前の少女は一瞬目を丸くした後、なるほどと納得するように頷いた。
闇魔法をバンバン使っていたし、闇属性に適性があるのはわかっていたのだろう。
別にコイツに対しては隠すつもりもなかったし問題は特にない。
「闇の製具魔法を見た時から思ってたけど、王子様だったんだ。でも髪が灰色だね」
「そうだった──コレでどうだ?」
「……! 本物の、黒髪」
「ほら、お前の番」
「……《神速》」
「ソレは神威の名称だろ。人としての名前を教えてくれ」
「覚えてない。この名前を貰うまでは『君』としか呼ばれてなかった」
……孤児、だったのだろうか。
彼女の微塵もツラそうではない表情は、ソレが当たり前だと割り切った後だからこそできるモノだ。
一切の嘘が無く、ただ諦念に満ちた瞳でこちらを見つめる少女は──まるで、過去の自分を見ているようだった。
まだ力の無い少年が、自由に空の色を見ることすら叶わないと悟った時の顔。
きっと俺も、似たような顔をしていた。
だからだろうか──ほんの少しだけ、俺の心に確かな揺らぎが生じた。
だが、ソレに目を向けることはしない。
「俺は子供ん時は闇魔法が使えなくてな、6歳くらいで初めて魔法に触れたんだ。お前はいつ神威が使えるようになったんだ?」
「……1年前」
「ほーん。お前と対等に戦えるヤツはここ1年でどんくらい居た?」
「ギルド長だけ。そもそも正面戦闘は私の本職じゃない」
確かに。
コイツはあくまで暗殺者だったな。
しかし、サラッと言ってくれたが《常夜》は彼女と対等に戦える──つまり、俺とかなり力が拮抗しているらしい。
いや、ギルド長という立場も考えれば彼女よりも強い可能性だってある。
やはり直接対決は避けた方が良いか。
伊達に《天理の代行人》と渡り合えると言われていない。
全力で戦えば勝てるやも知れんが、被害が甚大になるだろうし、そもそも《常夜》は国王と面識がある。
両者の関係が深かったら、俺はアリスの父親を明確に敵に回すことになるのだ。
アリスは俺を切れば大丈夫だが、それでも責任や疑いからは逃れられない。
難しい問題だ。
「……でも、本職じゃないのに、あんなに楽しそうに笑うモンなのか?」
「好きなことを職業にできる人なんて殆ど居ないでしょ、普通。私だってそう」
「じゃあやっぱり戦いが好きなのか」
「別に」
「このままじゃお前は死ぬ。そしたらもうあの楽しみを味わえない──なのに、ただのひとつも抵抗しないのか?」
「抵抗させてくれないのはそっち。抗って欲しいなら拘束はいらない」
未だ敵意に満ちた瞳は、今にも俺の首を噛み切らんとする獣のように獰猛だ。
既に武器は全て没収したので彼女に勝ち目は無い筈なのに、影の鎖を消す気は全くと言っていいほど起きない。
未だに警戒が解けないのは、あの《神速》を使われた時の絶望的な情景が思い浮かぶからだろうか。
「ギルド長はどんな感じの見た目なんだ?」
「覚えてない」
「嘘をつく余裕があると思ってるのか?」
「本当のこと。私は頭が悪いの」
目を見ればわかる。
今のコイツは、大嘘つきだ。
僅かな表情の強ばり、視線のブレ。
どれも最小限に抑えられているが、やはり彼女もまだ幼いということか。
少なくとも、暗殺者ギルドへの忠誠は本物だと言うことはわかった。
折角カーペットを替えてもらったのだから血で汚すわけにもいかないし、かと言って精神を削るには材料が足りなさすぎる。
正直、あまりコレはやりたくないが……今から他の場所に連れ出すのは難しいか。
苦痛という面で言えば、こっちの方が適してるかも知れん。
「ちょ、なにを──んむっ!?」
顎を掴み、唇を重ねた。
そのまま舌を差し込んで唇を開き、口内を乱雑に掻き乱す。
優しさなんて欠片も無い、まるで強姦をするかのようなキス。
今度は気絶させないよう、ゆっくりと……少しずつ魔力を
「んぐ、んぅー……! んむ、ん……!?」
苦しそうだ。
この歳の女の子の唇を奪うのは正直いい気分ではないが、中途半端に拷問を長引かせるのはお互いに本意じゃない。
死にたいと思うくらい痛めつけて、さっさと吐いてもらった方がマシだ。
「ぷは……っ!? げほっ、げほ……ッ!」
「どうだ、命を喰われる感覚は。コレでもまだ嘘を貫けるのか?」
「私は……嘘なんて、ついてない!」
「目ェ見りゃわかんだよ。お前の目は一点の曇りもない──戦いの時、一度たりとも攻撃と視線は一致してなかったなァ」
「……!」
「お前の嘘は、塗り固められすぎなんだよ。まるでダイヤモンドみたいだ──硬くて、相反するように、脆い」
再び顎に手を添え、その
そこに浮かぶ闇は、
ならば──ソレを上回る深淵の奥底に、
恐怖はどんなに強くても捨てきれない。
何故なら、ヒトとして必ず持っていなければならない感情だからだ。
ソレは俺だって、ソシエールだって、ゼータ先輩だって──アリスだって。
皆が皆恐怖を持ち、ソレを直視しないよう目を逸らし抑えつけているだけ。
呼び起こした時、恐怖は再び蘇る。
俺はアリスほど優しくない。
簡単に許してもらえると思わないことだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます