第21話【3】

「──神威、《神速》」


 そう少女が唱えた瞬間、その小さな体躯が一瞬にして俺の視界から掻き消えた。

 俺はソレに驚いて気配を探ることもなくただその場に立ち尽くす。

 ハッと意識を取り戻して《深淵の呼び声コール・オブ・ジ・アビス》を構えた頃には、1秒もの時間が経過してしまっていた。


 戦いにいて1秒は生死をも左右する。

 まして今俺が戦っている少女は瞬きすらも惜しむべき、正真正銘の強者である。

 そんなことをしていては──。


「いづっ……!?」


 あっという間に、負けてしまう。


 久しく感じていなかった熱い感覚のした左腕に目を向けてみれば、アリスから貰ったローブ諸共斬り裂かれていた。

 鮮血が飛び散り、頭がチカチカする。

 鋼蜘蛛アイアンスパイダーの糸に俺の魔力を伝わせて強度はかなりのモノになっているのに、こうも簡単にいかれるのか。


「クッソ……神威まで使えるとか、ギルド長にまでなったらどうなるんだよ」


『神威』


 属性元素に最適性を持ち、それでいて神に見初みそめられる力と心がある者に極々稀に発現するという、神の力の一端。

 強すぎるがあまり、神威を使える者は人々に恐れられ絶大な犠牲を出しながら殺されることが多いと言う。

 ブレイズ王国にすら神威を使えるヤツは居なかったから、こうして相対するのは久しぶりのことだ。


「──次は右……ッ!」

「………」


 なるほど、神の威厳をひしひしと感じる。


《深淵の呼び声》で受け止めたらあまりの衝撃に手首が情けなく笑い出す。

 目にも留まらぬ疾走は音も残像も無く、僅かな魔力の残滓と勘を頼りにしなければ攻撃を防げすらしない。

 しかも一撃一撃はみなすら揺らさないほどに静かなのに、山をも削りそうな力と魔力を孕んでいた。


 マズいな……想像以上だ。

 あまり大きな音を出してはアイシャ・アルバートやその他を起こしてしまう。

 あの少女は暗殺者らしく静寂をそのままに俺の命を刈り取らんとしている。

 この武器ひとつで勝てるモノじゃない。


「はぁ……はぁ……クソッ」


 最近はあまり使っていなかったし、ぶっつけ本番でできるかわからない。

 だが、使わなければ俺は確実に死ぬ。

 ただでさえアリスの命令を破って自分勝手な行動をしたと言うのに、失敗までしては言い訳がつかない。


 出し惜しみはナシだ──情報を引き出すなんて傲慢は垂れていられない。


 殺す。


 ソレだけを求めて戦え。

《終焉の告げ人》として、死神グリモワールの仕事を僅かながら肩代わりするのだ。


「……クク」


 嗚呼、やはり。

 ここで感じるモノは、愉悦らしい。


 いつの間にか、俺の唇は弧を描いていた。


「暗然たる闇、粛然たるくう、冷然たる無」


 魔力探査の糸を限界まで張り巡らせ、俺は素早く詠唱を口にする。

 闇魔法に最適性がある俺でさえ無詠唱で扱うことのできない、全身全霊のとっておき──必ず勝たなければならない。


「万物の背理を映す虚空に問う。

 此処ここに流れしは真なる時間か。

 此処にりしは真なる空間か。

 正しき数列はあらゆる物をも支配し、如何なる物も支えない」


 少女の攻撃は苛烈さを増す。

 肩や太ももには幾つもの裂傷が刻まれ、至るところから血が吹き出ている。

 痛みで叫んでしまいそうだが、この程度で詠唱を途切れさせはしない。


 急所への攻撃は殺気が強まるから幾許いくばくか防ぎやすく、ソレが俺の首の皮一枚を繋げていた。

 彼女の魔力の減りはかなり速い。

 神の力を使っているのだから当然だ。


 コレ以上の無理はできない筈。


すべてを映し、総てを欠く。

 鏡合わせの世界、すなわち神界也。

 現世うつしよ幽世かくりよとを繋ぐ扉を今此処に顕現す。

 聖徒よ、如何なる者も近づけぬ、天理の頂点たる維持神の力に震撼せよ」


 ──《次元超越オーバークロック


*  *  *


 ノイズが走る。

 時間が歪んでいく。

 文字通り神速で駆ける少女が視界に映る。

 気持ち悪い差異を埋めるおびただしい量の情報が頭に流れ込んできて、悲鳴を上げてしまいそうなほどの頭痛がした。


 詠唱……完了。


次元超越オーバークロック》──この世界に流れる時間軸と垂直に交わる虚時間へと干渉する、虚構を司りし闇属性の冥級魔法。

 虚時間軸というこの世界の者には知覚することのできないモノに干渉し、本来なら絶対不変である『時空』を操ることができる。

 正真正銘、俺の切り札だ。


 魔力消費がえげつないから、速攻でカタをつけなければならない。

 しかし、ソレは相手も同じこと。

 思わず笑みが口の端から零れ落ちる。


 頭の鈍痛など些細なこと。

 この高揚が全てを掻き消している。

 今は、今だけは──楽しんでしまおう。


「シッ──!」


 虚次元に突っ込み、こちらを睨んで固まっている少女の方へと駆ける。

 必要最小限の軌道で距離を詰めた後、体を腰から捻って蹴りを放つ。

 その事象を実次元に転換すると、黒いノイズが空間に現れ不協和音が響き渡った。

 そして神速で駆けていた少女の腹に俺の蹴りが直撃し、彼女は体をくの字に曲げて凄まじい速さで吹っ飛んだ。


 彼女の走る速さがかなりのモノなので、魔力を込めて蹴るだけで良い威力になった。

 しかしその分俺の足の方にもダメージが来ていて、笑えないくらい痛む。


《深淵の呼び声》で斬りたかったが、あまり大きな事象を転換しては反動が凄いことになるのでやらない。

 今はあの頃のように捨て身で戦っていい状況じゃないからな。


「げほっ……! なにを、したの」

「闇魔法だ」

「そう──!」


 言葉は最小限に、俺たちは地面を蹴り飛ばして相手に武器を向ける。

 途中で少女の姿は掻き消え、刹那の間に左から斬りつけられてしまった。

 脇腹が裂け、赤黒い血が庭園に散る。


 激痛で意識が飛びかけるが、その瞬間に虚次元へ干渉して彼女の鳩尾みぞおちかかとを振るう。

 ソレが達する寸前で実次元に転換。

 足を止められる筈もなく、俺の蹴りは彼女の胸骨に吸い込まれた。

 何かがひび割れる音が僅かに聞こえ、痛みによってか息を吐くのがわかった瞬間首を掴み取ろうと手を伸ばす。


 しかし、そんなモノ大したことないと言わんばかりに少女は《疾風ソニックウィンド》を放ち、半ば無理やり俺から距離を取った。

 俺は大量の魔力を練って虚次元に意識を入り込ませ、一直線に彼女の元へ駆ける。

 薙刀のリーチに捉えたところで実次元へ転換し、全力で首元目掛けて振るう。


 ソレは不可視の剣で受け止められるが、コレに魔力を費やしているから《神速》は今使えない筈──!


「《黒血呪戒ブラッディ・ギアス》……!」


 足元の影を踏みつけ、魔力を込める。

 すると俺たちの影から2本の鎖が飛び出し少女の体を拘束した。

 流石に上級魔法でしかないので片方はすぐに千切られたが、もう1本は足元だけを縛っているので斬れなかったようだ。


「く……っ!」

「ッ──シッ──!」


 薙刀と風の剣が荒れ狂う。

 一切の音は無く不気味なほどに静かな夜、俺と少女の息遣いだけが鮮明だ。


 まだ結構魔力が残ってるな──せっかく捕らえることができたのに自由にしては、また振り出しに戻ってしまう。

 漏れ出る《形式魔力タイプ・マナ》はかなりの濃度と量なので《黒血呪戒》もそう長くは持ってくれないだろう。


 だと言うのに──隙が無い!


 たまに腕や頬に薙刀の先が掠って切り傷を作ることはできても、決定的な一撃を入れる機会が見出せない。

 ソシエールと同じくらい固い防御は魔力を削るのを許してくれず、焦りが募る。


「チッ……!」


 賭けるしかない。

 猶予は無いに等しいし、逃せば本当の意味で全力を出さなければならない。

 しかし、そうすればもうこの国に居ることはできないだろう。


 アリスの為にも、絶対に勝つ。


 俺は足元に伝わせていた魔力を霧散させ、同時に虚次元で一歩前へと踏み出した。

 少女は今右から剣を振っているので、えて右側に立って太刀筋に《深淵の呼び声》の柄を構える。

 そして左手は彼女の右手の真横に置き、全ての事象を実次元に転換──。


 ノイズが走ると、体が浮きそうなほどの力が薙刀にぶつかり全身の裂傷が開く。

 この世のモノとは思えない痛みを歯を食いしばって耐えながら、左手で少女の右手首を掴み取る。

 そして《深淵の呼び声》を消し去り、右手で彼女の左手を掴んだ。


「な──んむっ!?」


 思いきり足に力を入れ、少女を押し倒す。

 床に倒れ込んだところで俺は動けないよう股の間に膝を差し込み──彼女の唇に自分のソレを重ねた。

 驚愕に目を見開いているのが至近距離で伝わってきて、俺は勝利を確信した。


「ん、んぅ……っ!?」


 魔力を喰らう。


 俺がこの身に課せられた呪いは、他者の魔力を食べることが代償だ。

 そして、接吻こそがソレを最も効率的に行うことができる方法だった。

 全ての生きとし生けるものは、魔力を失えばその命を散らすことになる。


 彼女がどれだけ速く動けたとしても、力で俺に敵う筈ない──俺の、勝ちだ。


「ん、んむ……ん───っ」


 少しずつ少女の目は虚ろになり、やがて抵抗の力を無くし瞼を閉じた。


 完全に気絶したのを確認し、唇を離す。

 唾液の糸を指で切ると、どっと疲れが押し寄せてきて俺は安堵の息を漏らした。


「はぁ……。ははっ」


 ああ……楽しかった。

 やはり命のやり取りは、最高に楽しい。

 負けるかも知れない、と感じたのは本当に久しぶりのことだったな……。


 ちらりと寝息を立てる少女の手を見ても、特に指輪を着けていたりはしない。

 契約の魔道具のことを知っているかはわからないが、彼女は連れて帰るとしよう。


 さて……。


「……アリスにどう言い訳しようかな」


 俺は痛みでどうにかなりそうなのをこらえて立ち上がり、静かにその場を後にした。

 アリスからの命令を破ったというのに、どうにも今の俺は気分が良かった。


 ソレが自分のことながらおぞましかった。

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