第18話【3】

 ──さん。


 ──グマさん。


「ん、ん……っ」


 暖かな微睡みの中。

 心地いい囁きに耳元をくすぐられ、俺はゆっくり何も無い暗闇から意識を浮上させた。

 瞼を持ち上げると朝日が目を焼き、少しずつ眠気がめていく。


 体を起こす為意識を完全に覚醒させると、ふにっと腕に柔らかい何かが触れる。

 ぎこちない動きで左を見ると、へにゃりと可愛らしい笑みを浮かべるアリスが俺のことを見つめていた。

 なにこの子、可愛い……天使か?


 ……って──。


「え゙?」

「やっと起きた。おはようございます」

「え、あ、おう。おはよう」


 ……アリスが俺の隣で寝てる。

 アリスが、俺の隣で、寝てる!?


 え、なにこれ、夢?

 確か昨日は、晩酌の後部屋に戻ろうと立ち上がって、それから……。

 ──まったく記憶が無い、だと。


「ふふ、昨日はお楽しみでしたね」

「………。ソレ、俺らが言う台詞か? と言うか俺何も覚えてないんだけど」

「まぁ酷い。昨日はあんなに気持ちよさそうな顔をしてくれたと言うのに」


 ……からかうような微笑み。

 それに見れば服はちっとも乱れていない。

 こりゃあ冗談だろう──冗談、だよな?


「シグマさんって、あんなに可愛らしい顔で眠るんですね」

「……俺を拾った日に見てないのかよ」

「あの日はひどくうなされていて、今日のような穏やかなものではなかったです」

「そう。……で」

「あははははっ。そんな怖い顔しないでください。何もなかったですから、本当に」


 ……あんまビビらせないで欲しい。

 アリスは体が弱いから、酒で理性が無くなった俺が犯したりしたらかなりの苦痛を強いることになっていた筈。

 でも、もしかしたら、底抜けに優しい彼女なら、そんな俺のことすら許してしまうのかも知れない。

 そう思うと怖くて、怖くて仕方なかった。


「ふふっ……。さて、起きましょうか。お酒は残っていませんか?」

「まったく」

「なら良かったです。わたしはモナの手を借りなければならないので、あなたは別で朝の支度をしてください」

「わかった。じゃあ、また後で」

「ええ。朝食の後諸々は話します。だからそう険しい顔はならさないで?」

「……ああ」


 ポーカーフェイスは得意な方だと思っていたのだが、彼女には通じないらしい。

 昨日のは酒の勢いで言っただけ、なんて言われてはあまりにも悔しい。

 そんな思いが出ていたのかも知れない。


 アリスは俺の頭をそっと優しく撫でると、傍らに置いてあった杖を手に取りベッドから起き上がる。

 俺も後に続くように体を起こし、大きく伸びをしてからアリスの部屋を出た。

 近くに待機していたらしいモナさんにジト目で見られたのはアレだったが、特に何も無かったので堂々と背を伸ばす。

 何も後ろめたいことは無い筈だ。


「ふふ、えへへ……」


 ──無い、よな?


*  *  *


 洗顔や着替えを済ませ俺はいつもと同じように朝食の席に着いた。

 俺の朝食は色々な具材が挟まれたホットサンドで、アリスは俺のモノより幾許か薄いサンドイッチだ。

 彼女はあまり口が大きくないので、コレを食べるのに結構苦労するからだろう。

 

 いつもと同じように手のひらを合わせ、ほんの僅かな瞑目の後齧り付く。

 俺が濃い味付けが好きなのはすっかり共通認識になっているようで、中に挟んである肉のソースがピリ辛で美味しい。

 俺とアリスが朝あまり食べないからか、ひとつひとつの料理に凄い拘りを感じる。

 メイドさんの努力の結晶だ。


「はぁ……美味すぎる」

「ふふ、そんな顔をしてくれるなんて、きっとメイド冥利に尽きるでしょうね。料理ができる女の子は好きですか?」

「大好き」

「………。わかりました」


 その後は特に何か話すこともなく食べ進めるだけの時間が過ぎる。

 別に気まずいとかそういうのではないが、アリスはほんの少しだけ緊張したような面持ちで俺を見ていた。

 俺も少しだけ彼女の気持ちがわかる。


 頼る──つまり、結果を左右する過程を他人に委ねるというのは言葉ほど簡単にできることじゃない。

 かつて戦争で最前線を張っていた時は、同国のヤツの追随は許さずに突っ込んでただ暴れていた。

 俺以外の人間が同じ場所に出ては、殺せる敵の人数や主戦力の削りに影響が出る。

 勝利に関して、ソレは大問題となる。


 そう教えられてきた。

 俺も人を頼ったことは殆どない。

 だが、彼女はそんな俺のことをいつまでも待って手を差し伸べてくれた。


 なら、俺もいつまでだって待てる。

 アリスよりもずっと、恵まれているから。


「──王国内にある組織のうち、いくつか目を付けているものがあります」


 朝食の後、メイドさんが淹れてくれた紅茶を飲みながらアリスはそう始めた。


「基本的にここにある組織は、一部例外を除いて国王による認証の下存在しています。しかしその管理はわたしたちの知るところではありません」

「アリスは今回の件、組織単位で行われたモノだって見てるのか?」

「いいえ。しかし貴族に関わりを持つのは何らかの組織の上層でもなければ難しいでしょう。勿論貴族同士という線もありますが、こちらはいつでも潰せるので後回しに」


 怖ぇよ。

 コレが権力ってヤツか?


 俺が戦慄している間にもアリスは次々に言葉を紡いでいく。


「低ランクの冒険者を狙う盗賊ギルド、外国とのやり取りも多い商業ギルド、表沙汰にできない事柄の処理に使われる暗殺者ギルド──とりわけ暗殺者ギルドはここ数ヶ月での成長具合が凄まじいので、力を増した原因が少し気になります」

「商業ギルドは王国が決めた国としかやり取りできないわけじゃないのか?」

「いくらでも誤魔化しようはあります。それこそ東とは香辛料などの貿易をしているようですし、更に東にあるブレイズ王国との繋ぎは作れなくもないかと」

「なるほど……」


 純粋な悪者である盗賊ギルド。

 ブレイズ王国と繋がっている可能性のある商業ギルド。

 ここ最近急成長した暗殺者ギルド。


 どれも切り捨てる反論材料は無い。

 だが、個人的に商業ギルドは違うと思う。

 何故なら、確かにブレイズ王国は勝利の為なら何でもするが、賭け事のような試合運びはあまり好まないからだ。


 良くも悪くも、商人は利益に基づき動く。

 もしもブレイズ王国との繋がりという情報を国王に伝える場合の利益を取られれば、ひとつの弱点を晒すことになる。

 そのリスクと今回の魔道具によって得られるリターンは釣り合っていない。

 わざわざ利用するとは考えにくい。


「わたしはどちらかと言うと思考の方が好きなので、商業ギルドについて調べていた所です。幸い知り合いも居ますし。そしてアクシアくんには密かに盗賊ギルドの状況を調べさせています」

「……つまり?」

「シグマさんには暗殺者ギルドについて任せてもいいですか? と言っても、お父様くらいしか《常夜》とやり取りをしたことが無く全貌はわかりません。故に武力行使はナシの形になりますが」

「《常夜》……?」

「ゼータの時と似た反応ですね。……わたしやゼータと同程度の力を持つと噂される、暗殺者ギルド長です」


 夜を纏うような黒の外套と、誰もが届かない永遠の先に居るような存在であることからそう呼ばれていると言う。

 しかしその姿はあくまで噂でしかなく、実際に相対したことのある人間はアリスの父親くらいなんだとか。


 アリスと同程度……噂がどれだけアテになるか知らんが、そうなると確かに武力行使はできないだろう。

《常夜》以外とも同時に戦闘しなければならないから、下手したら負ける。


 闇魔法は範囲殲滅にも優れているのでソレを使えばその限りでないが、ブレイズ王国の人間ならば俺のことを知っていても何らおかしくない。

 対処法が確立でもされていれば、かなりの苦戦を強いられることだろう。


 潜入などはできないだろうが、幸いなことに過去に一度暗殺者ギルドのヤツと戦ったことがある。

 ヤツらの紋章は覚えているし、無いだろうが街中で見かけでもすればアジトを突き止められるかもしれない。


 そんなことを伝える。

 あまり口は上手くないのでちゃんと伝えられているか知れんが、アリスは満足そうに頷いてくれた。


「紋章を知っているのは大きいですね。ところでシグマさん、絵の心得は?」

「……ごめん」

「いえ、ダメ元でしたのでお気になさらず。では改めて、任せてもいいですか?」

「ああ」

「ありがとうございます。……ふぅ、学園では序列戦の真っ最中だと言うのに、何故こうも気を揉まなければいけないのか」

「……確かに、そうだな」


 序列戦か。

 学園では、どんな感じなんだろうな。


 俺たちは深いため息をつきながら遠い目で天井を見つめた。


*  *  *


「君に直接、私からの依頼を出したい」


 ──アイシャ・アルバートを殺してくれ。


 立つ鳥跡を濁さず。

 着々と進む身を引く準備は、一体どれほど先のことを見据えてなのか。


《風水の旅人》……いや、ここでは《常夜》と呼ばれる女の前に跪く少女は、無言で頷きその依頼を承った。

 彼女もまた、常人として生きることのできなかった者特有のくらい目をしていた。


 表で観測されない間、裏でもまた時間が過ぎている。


 その差異が埋まるのは、もうすぐだ。

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