第15話【3】

 時は序列戦が始まる3日前に遡る。


 星が散りばめられた夜空の下。


 ひとりの女が人の往来する道をモノトーンの髪を揺らしながら歩んでいた。

 おん色の瞳は全てを見据えているかのように澄んでいて、しかしそのアメシストの中に一切の光は無い。

 全身を覆い隠す黒のローブでその姿勢は露わになっていないが、足音すらも立てない身のこなしは彼女を常人たらしめない。

 だが、そんな彼女に視線を向ける者は誰ひとりとして存在しなかった。


 その所作はあまりにも自然で、そこに人が存在しているということを凡人では認識することすら叶わない。

 そんなことはあり得ない、と言いたい者も多くいるだろうが、こと彼女に限ってはあり得てしまうのだ。


 グレイシア・エルゲンノート。

 又の名を《風水の旅人》

 メビウス王国の陰の頂点、暗殺者ギルド長その人であり、そして──ブレイズ王国国王直属の諜報員兼、戦争屋であった。


 彼女は足を止めて手元のメモを見やる。

 そして最後に時鐘が鳴ったのがどのくらい前なのか回顧し、自身の中にある体内時計と照らし合わせた。

 今の時刻は午後9時頃。

 彼女はその結果に満足そうに頷き、高価そうな飲食店へ足を踏み入れた。


「いらっしゃいませ」

「どうも。待ち合わせをしているんだが、モニカという女性は居るか?」

「失礼ですが、お名前を伺っても?」

「カルマだ」

「カルマ様、ですね──畏まりました。こちらにどうぞ」


 ウェイターは恭しく礼をしてからグレイシアのことを店の奥へと連れていく。

 周囲に存在する全ての物質、魔力に意識を向けている彼女は、特に監視などが置かれていないことを確認し息をついた。

 いくら彼女が卓越した戦闘力、隠蔽能力を持っているとしても、これだけ豪華で目立つ建物で戦えば目撃者が出る。

 暗殺者ギルド長として、正体の露見は避けなくてはならないのだ。


 ウェイターに連れられるがまま歩みを進めていくと、可憐な女性が目に入った。

 モニカと思しき女性はグレイシアを目にすると、親しげに手を上げてウェイターに礼を言う。

 ふたりきりになったところでグレイシアも席に着き、どこか芝居がかった口調で世間話を始めた。


「ご機嫌麗しゅうございます。分不相応ながらメイドの『頭』として、このような機会を作っていただき感謝致します。貴方様の『お噂』はかねがね耳にしておりますよ。息災でしたか?」

「ああ、それはもう元気だ。数ヶ月前までは酷い『不眠』に悩まされていたが、最近友人が良眠の為の茶葉をくれてな。今では毎日ぐっすり眠れている」

「それは良かった。私もお嬢様の将来を考えていると『自然と』目が覚めてしまい、満足に眠れていないのです。宜しければ、その茶葉の種類をご教授願えませんか?」

「勿論だ。心身共に誠実に仕えているのに、不眠のせいで体調を崩す──そんな『ぞっとする』話も中々無いからな」


 そこで言葉を区切り、両者グラスに注がれた水を口に含む。

 ひと息ついて互いを見る目は、先程とは明らかに異なる剣呑なモノだった。


 不自然に強調された語句たち。

Rumor』『不眠Insomnia』『自然とNaturally』『ぞっとするGruesome

 その『頭』文字を取れば──『指輪RING

 手紙で返答した通りのやり取りだ。


 グレイシアの前に座る女性は随分と緊張しているようで、中々どうして可愛らしい。

『裏』ですらあまり広まっていない力を欲する者が居るなんて、案外貴族の情報収集能力も侮れないものだ。

 可愛らしくても、グレイシアは背中を晒すのは避けた方が良いかも知れない。

 まぁ、脅威たりえるかと問われれば、その答えは『否』でしかないのだが。


「間違いないようだな。君が代理……いや、繋ぎの役割を担っている人間か」

「は、はい。まずはお食事をどうぞ」

「確かに入ってすぐ店を出ては怪しい、か。では遠慮なく頂くとする」


 手早く注文を済ませ、グレイシアは初となる実験体に仕える人間を観察する。

 携帯武器の有無、魔力量、筋肉量、自分に向ける視線の動き、脈拍、呼吸、姿勢。

 全てを見透かすかのような彼女の瞳は一切の敵意を感じさせないが、絶対に気を抜くことが許されない強者のそれだ。

 モニカ、という名の女性は先程水を飲んだ筈なのに妙に喉が渇いていた。


「君の主人は私が何を取り扱っているか知っていて、君を寄越したのか? そして君はそれを良しとしたのか?」

「……はい。詳細は知りませんが」

「絶大な力。操るには結構な時間が必要故、すぐに成果を感じられない。そしてその空白の間も苦しみが襲う。それを耐えると?」

「お嬢様が、必要と判断しました。私はそれに従うまでです」

「そうか。率直に言うなら、私もようやくコレの人体実験ができるからありがたい。お互いに利のある話というわけだ」


 そこで一度言葉を区切り、ウェイターが持ってきた料理に手のひらを合わせた。

 美しい所作でナイフとフォークを繰り、肉厚な鶏肉料理を口に運ぶ。

 毒が盛られていないのは既に『魔眼』によってわかっている。


 美味しい、という感覚は無い。

 味覚などという邪魔なモノは排除した。

 魔力探査に優れていれば視覚も捨ててよかったのだろうが、それでは『殿下』に本気で気配を消された時見つけられない。

 いくら戦いに不要と言えど、自身の娯楽の為仕事道具を傷つける道理もなかった。


「君は天使と悪魔なら、どちらを信じる?」


 目線を皿に向けたままグレイシアは問う。

 ここ、メビウス王国は、最高神とその下に仕える神たちを信仰する宗派が強い。

 それが蔓延はびこる環境の中で育ってきたのだ。

 勿論、彼女の答えは──。


「天使……でしょうか」

「やはりそうか。私は職業柄、無神論者なものでね。信仰心は欠片も無い。その上で言うなら──絶対の正義の下でしか動かない天使より、人間に契約を持ち掛ける悪魔の方が、何百倍も信用に値すると思うんだ」

「………」

「私が君の主人に与える力──魔道具が悪魔の力を扱うと言ったら、どうする?」

「………。私では、判断しかねます」


 そうか、と言ってそれきりグレイシアは興味を無くしたように料理を食す。

 不快にさせたかと怯えるモニカは彼女の行動ひとつひとつに体を震わせる。

 なにせ、あの暗殺者ギルド長である。


 あくまで噂でしかないが、その力は《天理の代行人》や《魔導師》に匹敵するとまで言われるもの。

 自分なんて赤子の手を捻るかのように存在を消されてしまうだろう。

 機嫌を損ねては、自分だけでなくお嬢様にまで被害が及ぶやも知れない。

 慎重にならざるを得なかった。


「ご馳走様。美味だった」

「それは、良かったです」

「ここは私が奢る。釣りの計算は面倒だ」

「い、いえ! 私が──!」

「君は私の厚意を無碍にするのか?」

「ッ……!」

「そう怯えるな。私と君との関係が勘繰られてしまうだろう」

「すみません……」


 凡人を揶揄からかうのも意外と楽しいものだな、と考えながらグレイシアはお金を払い、その店を後にした。

 夜は先程よりも更に深くなっており、漆黒の中に点々と輝く星々が際立つ。

 そんな美しい夜空の下、グレイシアの気配が完全に掻き消えた。


「今の私に気づける者はこの国に5人しか存在しない。そしてその5人の動向は既に把握済みだ。君は主人の元へ歩くだけでいい」

「……わかりました」


 どこから聞こえるかもわからないその声に曖昧に頷き、モニカは恐怖を胸の内に隠しながら歩みを始めた。

 自分が悪魔を従えた存在を連れていることなども知らずに──。


*  *  *


「お嬢様」

「開いてるわ。入って」


 モニカは自分の主人の待つ特殊な結界が張られた部屋の扉を叩いた。


 後ろに立っている──本当に居るのか感じ取れないが──グレイシアが言った通り、誰にも人を連れているのを気取られることはなかった。

 そのあまりにも常人離れした所業におぞましさを感じつつ、彼女は扉を開け虚空へ向かって入るよう促す。


 扉を開けても一向に人が入ってこないことに首を傾げるモニカの主人は──突如自分の隣に現れた女性に悲鳴を上げそうになった。


「この程度で驚いているようでは、まだまだ未熟な精神だな、アルバート嬢」

「貴方が……《常夜》?」

「そうか、ここではそう呼ばれているのか。私をどう呼ぼうがどうでもいいが、君からの手紙はしっかりと読んだ」


 そう言いながらグレイシアは数日前に届いた手紙を彼女に差し出す。

 それは間違いなく、彼女──アイシャ・アルバートが書いた手紙であった。


「中々興味深い結界だ。普通は3つ以上重ねると反発し合い強度が落ちるんだが、ここに張られたモノは違う」

「数ヶ月前、アリス・メビウス・クロノワール王女が発見したという魔術式に則って描いた魔法陣のお陰だと思うわ」

「……そうなのか。あまり表の事情に詳しくない故聞きたいことはあるが、生憎私も忙しい身だ。またの機会にしよう」


 グレイシアはそう言ってアイシャの前に置かれた椅子に腰を下ろすと、改めて彼女のことを観察する。

 魔力量──上の下。

 筋肉量──中の下。

 精神力──怯え少々。

 ……問題無し。

 実験対象としては及第点だ。


「君は席を外せ。ここから先はアルバート嬢とふたりで話したい」

「そ、それは──!」

「行きなさい、モニカ」

「ッ……畏まりました」


 モニカは唇を噛み締めながら了承し、渋々といった様子で出ていった。

 扉が閉まり、静寂が部屋を包む。

 先に口を開いたのは、アイシャだった。


「お茶も用意できなくて悪いわね」

「構わない。味覚が無いから楽しめないし、喉も渇いていないからな」

「味覚が、無い?」

「ああ。私が交わした契約内容のひとつだ。さて、契約と言えば、だ」


 グレイシアはひとつの箱を取り出し、アイシャの前に差し出す。

 彼女は恐る恐るソレを手に取り、視線で問うてからゆっくりと開いた。

 そこにあったのは、簡素でありながらどこか惹かれる不思議な指輪だった。


「特に名前は決めていないが、それが君の望む力となる魔道具だ。ここで君に質問だ。天使と悪魔の違いは、何だと思う?」

「天使と、悪魔……。神魔大戦で最高神陣営か、魔神陣営か、とか?」

「それはそうだ。模範解答と言えるだろう。だが私が用意した答えは──本質的には何も変わらない、だ」


 天使と悪魔。

 よく対比されるように描かれるが、実は悪魔というのは天使の成れの果てなのだ。

 いや、実際には神の命に背き下位存在と契約を交わし、神界を追放された──堕天した天使を『悪魔』と呼ぶ。


 天使は神が定めた正義、すなわち正しさのみに従い人を罰し、処断する。

 これは知る人もあまり居ないが、神魔大戦以降人を殺した数は悪魔よりも天使の方が何百倍も多い。

 そして、悪魔が救った人間は天使のそれより何十倍も多い。

 人はいつだって、天使によって滅び、悪魔によって繁栄してきたのだ。


 そんな話をグレイシアは簡潔に話す。

 最高神らを信じているであろうアイシャにとっては荒唐無稽な話でしかないが、しかし否定することもできなかった。

 いや、実際にはただ口を開くことができなかっただけだ。


 あまりにも、彼女が、恐ろしくて。


「それは君が忌み嫌っているであろう悪魔との契約ができる指輪だ。私個人の魔力では、この程度だが──」


 グレイシアはナイフを振るう。

 それはあまりにも速く残像が幾つも刃が通った場所にあり、改めて彼女の力が絶大であることを示す。


「契約の力があれば──こうなる」


 もう一度、ナイフを振るう。

 先程と同じ動作、軌道であった筈。

 しかし、振りきった後に生じる風圧と残像すらも残さない速さが、その間にある限界の壁を超えていることを物語っていた。


「交わす契約は人による。君に応えるのがどんなモノか、どれだけの力を貰えるか。全ては君の心に決定される。力を渇望すれば契約は重くなる」


 ──アルバート嬢。

 それでも君は、ソレを、嵌めるのか?


 それは、まさしく『悪魔の囁き』だった。

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