第26話【2】
王立神魔魔法学園の図書室は、もはや図書館と形容してもいいほどに広かった。
この図書室はかつて学園を設立した初代学園長が、今後本が多様になることを見越して空間を切り拓いたらしい。
仮に一生を掛けても全て読み終えることはないだろうと思えるほどの数の本が並んでおり、素人目ながらも圧倒される。
一体どうやってこんなに沢山の本を集めたというのだろうか。
アリスに連れられてゆったり歩く。
アクシアは教師に呼ばれているらしく同行していないが、まぁ大丈夫だろう。
彼が居ると俺がアリスの手札の1枚であることのインパクトが薄れるし、寧ろ良かったのかも知れないしな。
ちらほら見える学生は皆3年生で、研究の方へ進級した人たちだろう。
この学園は実践を重視しているが、ソレは戦闘面へのモノだけではない。
あくまで魔法という存在が戦闘へ大きく発達しているだけであって、研究によってソレ以外への道も見つかる。
きっと凄いことなんだろうし、アリスもどちらかと言えばそっちの人だが──正直、好きにはなれないな。
「──あそこに居ますね」
「ん……ほんとだ」
「行きましょう。時間は有限です」
「ああ」
図書室なので声は控えめにそんなやり取りをすると、アリスは杖を鳴らしながら座って本を読むルミナリア先輩の元へ向かう。
ある程度の距離まで近づくと彼は本を閉じてこちらに視線を寄越し、少し目を見開いた後納得したように頷いた。
コレでインパクトは十分だろう。
「こうして会うのは初めてだな、アリス・メビウス・クロノワール」
「お初にお目にかかります、ジョゼフ・ルミナリア先輩。今日はこうして会合の機会を作っていただき、ありがとうございます」
「構わない。それよりも……君はアクシア・オルフェウス以外に外で連れている人間は居ないと記憶していたが、彼は一体?」
「彼はシグマ・ブレイズ。わたしの新たな友人であり、わたしの手足となる方です」
「ふん。リオンもそうだが、君たちは人を使うのが本当に好きだな」
印象は、そんなに良くない……か。
表情自体は今までと特に変わっていないものの、どこか不機嫌に見えるのは気のせいじゃないだろう。
しかしアリスは臆することなく、寧ろ反発するように口を開き会話を続けていく。
「騙すような真似をして、申し訳ありませんでした。ですがひとつ誤解をしていらっしゃるようですね。彼はわたしの『友人』です。そこは間違えないよう、お願いします」
「別に侮辱したつもりはなかったんだがな。さて、お喋りはここまでだ。俺に何か用事があったからこそ、このような回りくどい手を使ってまで会いに来たのだろう?」
「ええ。用事というより、お願いですね──ルミナリア先輩、わたしを生徒会役員に推薦していただけないでしょうか」
単刀直入、実にアリスらしい。
流石のルミナリア先輩もコレは予想外だったようで、驚愕を顔に出していた。
しかしすぐに疑うように目を細め、アリスの双眸をその黄金の瞳で射抜く。
彼女たちの視線の間に小さな火花が散っているように錯覚するほどには、両者の放つ雰囲気はピリついていた。
沈黙が続く。
非常に気まずい。
両者一瞬たりとも目を逸らさず、ずっと相手を見据えているのが余計にソレを助長しているように思える。
恐らくルミナリア先輩はアリスの意図を探ろうとしているのだろう。
しかしアリスはポーカーフェイスが得意。
そこには不敵な微笑みしかない。
「……君を生徒会に推薦して、俺に何のメリットがあるんだ? 交渉というからには何かしら利益が無ければな」
「ふむ、そうですね……もしもわたしが仕事を完璧にこなし続けたら、それをいち早く見出した先輩の信頼度は上がるでしょう」
「確かにな。学園は国から完全に独立した機関であるが故、王族などというフィルターを通して見られることもない。……だが生憎、俺は今の段階でも既にこれ以上無いほどの信頼を得ているんだ。さて、どうする?」
試すようにそう問い掛けるルミナリア先輩は少しだけ口角が上がっており、そんな彼の問いにアリスは一瞬黙り込む。
元よりコレで説得できるとは考えていなかったようで、すぐに口を開いた。
「先輩は魔道具研究がお好きでしたよね。引き篭っていただけあって、わたしもそれなりに精通しています。知識面だけでなく、魔力量の観点からも先輩を手助けできますよ」
「成程、魅力的だ。君の魔力量は王国随一と聞いている。それに先月も『
「むぅ、そうですか……。それでは、彼を一度だけ自由に使う権利、というのはどうでしょうか?」
ん? 俺?
ようやくアリスの駒らしい役割だ。
しかし、この場に
だって俺、先輩と面識ないし、その上実際に俺を見たっていう人は少ないからな。
お世辞にも信頼に足る人間ではない。
「……彼が何か、特別なのか? 至って普通に見えるが」
「ええ、特別ですよ。シグマさん、魔力の偽装を解いてください」
「ここで? 周りに迷惑じゃないか?」
「これだけ離れていれば問題無いでしょう」
「わかった」
明らかに警戒を露わにするルミナリア先輩を横目に、俺は上級以上の魔術師が常にやっている魔力偽装を解除する。
魔力量は最も基本的な他人を測るための要素なので、強い者ほどコレを上手く隠しているのが大抵だ。
俺は昔からコレをダダ漏れにさせていたので、今の段階に至るまでにはかなり苦労した記憶がある。
アリスの指導は些か厳しすぎだ。
魔力を体内で巡らせるのではなく、ペンダントだけに送って後は自然な状態へと戻した瞬間──ルミナリア先輩が息を飲んだ。
アリスがこっそり障壁を張っているので周りには気取られておらず、唯一目を見張る彼の様子が際立っているようだった。
「これは……なんと言う……」
「シグマさんは勝利の擬人化した姿と言っても過言ではありません。一度だけ、どんな戦いに於いても勝利を収める力──どうです? 魅力的でしょう?」
「確かに、魔力量は素晴らしいが……それと実力とは別問題だ。彼が《風凰剣》とやり合えたという話は聞いた。しかし負けたらしいじゃないか。君の表現は、些か誇張しているように思うが?」
「勿論、本気を出していないからですよ。事実わたしは、相手を殺していい場面ならゼータと渡り合えますしね。そして──わたしは一度、彼に負けました」
「……なに?」
「言葉通り、負けたのですよ、わたしは。光属性魔法が最も有効に働く夜にね」
今度こそルミナリア先輩は表情を変え、とっくに魔力を抑え込んだ俺を見る。
畏怖とも疑念とも取れる複雑な感情の視線が突き刺さるが、俺は努めて無表情を保ち彼に言葉を促す。
「少し考えさせてくれ」と言い、ルミナリア先輩は瞑目して黙り込んだ。
アリスは勝ちを確信でもしたのか見慣れた笑みを浮かべており、灰の瞳に映る光は楽しそうに弾んでいる。
逆に俺は緊張で若干腹が痛い。
コレがどれだけ彼女にとって重要なことなのか理解出来ていないから、こんな不安が心を満たしているのだろうか。
やがて、ルミナリア先輩が目を開いた。
その双眸は未だ悩み揺れていて、しかしアリスはソレを見て一層笑みを深くした。
「──今は、生徒も教師も序列戦に忙しい。推薦したところで意味は無いだろう。だから序列戦が終わった後、推薦書を提出することにしよう。どうだろうか?」
「ふふ、ありがとうございます。ちなみに聞きたいのですが、先輩は過去に推薦書を書いたことはありますか?」
「いや、無い。君が初めてだ」
「へぇ……では尚更、教師陣は先輩の推薦するわたしに期待を寄せるかも知れませんね。あのジョゼフ・ルミナリアの推薦だ、と」
「それは俺の知ったことではない」
どうやら、交渉成立みたいだな。
意外にも俺の存在が役に立ったのが、何よりも嬉しかった。
しかしこの国で闇魔法を使うのは避け続けているが、本当にそんな場面が来た時俺はどうすれば良いのだろうか。
火魔法も聖級まで使えるとは言え、戦争の先陣を切るには闇魔法が必須だ。
……まぁ、今から心配しても詮無いか。
今の時点でそんなことが起こるような窮地に陥っているのなら、彼は学園になんか来てる筈もない。
この学園には沢山の強者が居る。
火魔法を鍛える機会だってある筈だ。
それにバレない程度の闇魔法だってあるんだし、ソレを使えばいい話だからな。
「これで話は終わりか?」
「それではひとつだけ。わたしが生徒会に推薦されたことを、お兄様には伝えないでいただけませんか?」
「把握した。知らぬ存ぜぬを貫くとしよう。だが、これは君の派閥に入ったということではないのは、わかっているな」
「勿論です。そこまで求めるほど愚かで傲慢なつもりはありません」
「そうか、ならいい」
ルミナリア先輩はそう言って立ち上がり、俺たちに背を向ける。
そのまま彼が図書室から出ていくと、アリスがほうっとため息を漏らした。
生徒会に入るということは、アリスは今までよりも忙しくなるだろう。
放課後は勿論のこと、学園で共に過ごせる時間が減るのは、少し寂しいな。
まぁ元々表立って絡む機会はあまり無かったので誤差のようなモノだが、それでもやはり寂しいものは寂しいのだ。
こんな兎みたいな人間だっけか、俺は?
「シグマさん、アクシアくんと行っている訓練にわたしも混ぜてくれませんか?」
「……唐突だな。別に良いと思うけど、なんでいきなりそんなことを?」
「先ほど言った通り、シグマさんはこれから魔法を使う機会が増えます。闇魔法が一級品なのはわかっていますが、火魔法の方にも訓練が必要でしょう?」
「アリス自ら鍛えてくれるのか」
「ふふ……。容赦は、しませんよ?」
アリスはギラリと灰の瞳を煌めかせると、口の端を吊り上げて俺を見る。
全属性元素への適性という文字通りの天賦の才を持つ彼女との戦いは、コレ以上無いほどに為になるだろう。
俺も無意識に笑い、頷いた。
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