第23話【2】

 アリスとの激しい口論を終えた俺は疲れを癒すように風呂でほっと息をついた。

 この家の風呂はかなり広く、俺が浴槽に入っていても10人以上は確実に入れる。

 しかもコレが家に3つあるらしいし、いやはや王族は恐ろしいモノだ。

 まぁ経済を回している、と考えればこういう贅沢な生活をしているのも一概に否定したりはできないだろうが。


 さて、何故風呂に入っているかと言うと、寝る前に魔力のやり取りは行った方が良いと思ったからだ。

 口論の時も言ったが、魔力は生命力。

 結構な量を俺に食べられることになるだろうし、アリスは恐らく意識を失う。

 中途半端な時間に眠るのもアレだし、そのまま朝までベッドに居た方がマシだ。


 全身隈無く綺麗に洗い、ラフな寝巻きに着替えて部屋に戻る。

 流石に女の子な上歩くのもやっとなアリスが俺より早い筈も無く、俺は窓を開けて緊張をほぐすように夜風を浴びる。

 冷たい風が頬を撫で、目に掛かる濡れた前髪を優しく揺らす。

 穏やかな夜の景色と凄まじい緊張が、まるで初夜みたい雰囲気だな、なんて考えた愚かな自分を嗤った。


 やがてノックの音が聞こえ、鍵は掛けていないと背を向けたまま言う。

 控えめな音とともに開いた扉から耳馴染みのある杖の音がやって来て、俺の真後ろにてソレは消えた。


 女性らしさを感じるシャンプーの匂いが鼻腔をくすぐり、思わず緊張の息が漏れる。

 ゆっくりと後ろに振り返ると、可愛らしい薄紫のネグリジェに身を包んだ普段よりも幼く見えるアリスが立っていた。


「よ」

「改めて、こんばんは。こうして夜を共にするのは初めてですね」

「そんな紛らわしい言い方しないで欲しいんですけど。夜更けにか弱な少女がひとり男の部屋になんて、シャレにならないぞ」

「だって今日、わたしはあなたに身を捧げるんですよ? 似たようなものです」


 確かに。

 魔力を食らうにはいずれにせよ彼女に触れることになるし、程度の違いなだけであまり変わらないかも知れん。

 そう思うと今すぐにでもやめたいところだが、アリスの覚悟をバカにするようなことはしたくない。


 アリスはそっとベッドに腰を下ろし、杖を傍に置いて息を吐く。

 普段から柔らかそうな頬の肌が上気しているその様は、抑えつけている俺の劣情をコレ以上無いほどに煽る。

 やはり彼女が好きなんだと思うと、叶わぬ恋をしているのが悲しくなる。

 本当にコレが恋なのかはわからないがな。


 俺は窓の外に視線を向け続ける。

 どことなく緊張が俺たちの間に流れ、無言で時間が過ぎ去っていく。

 しかし、何故か気まずさは感じなかった。


 明日の朝まで時間も無い。

 早く済ませた方がお互いの為だ。

 覚悟を決めろ、シグマ。


 一歩、足を踏み出す。

 その瞬間ぴくりとアリスの体は硬直し、緊張でか太ももの上で握られた拳が余計に小さく縮こまる。


 一歩、また一歩。

 あの時は頭に血が登っていたが、アリスもずっと魔力について研究をしてきたんだ。

 ソレを食べられるのがどういうことを意味しているのか、知らない筈もない。


 怖いだろう、恐ろしいだろう。

 だからこそ、一度決めたその真っ直ぐな温かい覚悟を捻じ曲げるようなことは、決してしてはならないのだ。

 きっと何度問い掛けても、彼女の答えは変わらないことだろう。

 俺も彼女に、応えなくてはならない。


 アリスの目の前に立つ。

 動きやすいように自分の胸元を軽く開き、彼女の美しい灰の双眸を射抜く。

 やはりそこに、恐怖は微塵も無かった。


「あ、あのっ……痛く、しないで、優しくしてください……っ」

「………」


 彼女の細い肩に手を掛ける。

 今にも折れてしまいそうなソレを優しく掴みながらベッドに押し倒す。

 無言の合図を感じ取ったのか、アリスはきゅっと唇を引き結んで目を瞑った。


 唇を近づける。

 少しずつ、少しずつ距離が縮まり、細やかな彼女の肌がより鮮明に映る。

 お互いの息が互いの唇に掛かった頃、俺もつられるように瞼を下ろし──彼女の首元に唇を落とした。


「ふぇ? ……痛っ──!」


 一瞬『効率が良いから』と唇を重ねそうになったが、彼女は未だ婚約者も決まっていない王族の娘。

 そんな人の唇を奪うわけにもいかず、次に効率の良い首に糸切り歯で小さく噛みつき彼女を押さえつける。

 血が溢れ出すが、ソレを舐めるようにしてゆっくりと魔力を吸い出す──。


「……うめぇ」


 魔力に味があるのかと言われたら勿論無いのだが、それでも本能的に彼女のソレは過去最高級に美味に思える。

 今までよりもずっと呪いの痛みが早く治まっていくのを感じ、アリスの仮説が正しかったことに驚いた。

 確かにコレなら、今までより遥かに少ない量で済みそうだ。


「ひっ、ん、あっ……! ぅ、うぅんっ……あ、ぐあ……!」


 苦しそうな喘ぎ声が聞こえる。

 俺は耳元で響くその声を無視してその甘美な魔力を食らい続ける。

 いつの間にか彼女は俺の腕を強く掴んで苦しみをこらえるように体を固くしていた。


 やはり、生きている者から魔力を食べるのはかなり苦しみを与えるらしい。

 アリスが以前使った光魔法のように魔力自体を吸収するのではなく、命を齧り取っているのだから当然なんだろうが。

 抵抗の力も弱く、ただただその苦痛に耐える声が耳朶じだを叩くのが辛い。

 もう少し、もう少しで終わるから……。


「んんんっ……んあっ、うぅ……っ!?」

「ッ……ッ……!」


 落ち着かせるように頭を撫でる。

 するとぴくぴくと痙攣していたアリスはやがて体から力を抜き、穏やかな寝息が耳元で聞こえ始めた。

 どうやら気絶してしまったらしい。


 その後も数秒だけ食らいつき、完全に呪いの痛みが無くなると同時に口を退ける。

 アリスの首元にはくっきりと俺の歯型が残っていて、近くに用意していた濡れタオルでそっと拭った。

 そのままタオルを押し付け、止血する。


 アリスの寝息は至って正常だ。

 手首に手を当てて意識を集中させ魔力の流れを見てみるが、ソレも特に異常は無く無事に終わったようだった。

 どれだけ痛かったか、辛かったかは俺に知る由もない。

 しかし、こうして無事に終わって、本当に良かったと思う。


「……寝顔は、随分と無垢なんだな」


 いつも不敵な笑みだったりからかうような笑いだったりを見てきたので、こうも年相応な表情を見るのは久しぶりな気がする。

 普段は大人びて同い年だというのを忘れてしまいそうになるが、彼女だってまだ思春期真っ只中の少女。

 大切にしなければ、いつ手のひらの隙間から零れ落ちてしまうやも知れない。

 今の彼女を見て、ソレがいっそう怖く思えて仕方が無かった。


 体に掛かった髪を軽く退けて部屋に送る為に横抱きにしようとした時、キラリと光るモノが視界に入る。

 ソレは、青色のペンダント──俺が以前彼女に贈ったモノだった。

 着けてくれているのが嬉しいと同時に、命を懸けてでも幸せにしたいというあの言葉に真実味が増すように思えた。


「……アリス、愛してるよ」


 俺はそっと彼女の額にキスをして、そのまま抱いて部屋を出た。

 俺の部屋で寝かせるわけにもいかないし、近くに待機していたらしいメイドさんにその後は任せることにした。

 この人はご飯を作ってくれたり軽い世話をしてくれたりする顔見知りなので、メイドさんの中では一番信頼できる。

 アリスについての話で盛り上がったこともあるくらいだし、任せて大丈夫だろう。


「何があったのかは、聞かないでおきます」

「……すみません。誓って手は出してませんので、安心してください」

「へぇ? ではこの首のキスマークは?」

「ちょ、いや……キスマークにしてはデカすぎやしませんかね?」

「冗談です。アリス様のこと、承りました。翌朝まで様子を見ておきますので、シグマ様はお休みになってください」

「お願いします」


 こっわ、マジで冷や汗かいた。

 アレ絶対冗談を言う目じゃなかったって。

 一歩間違えれば殺されるところだったんじゃないか、たぶん。


 俺は何故か勝てる気のしないメイドさんの圧力に身震いしながら部屋に戻り、速攻でベッドへと潜り込んだ。

 俺も精神的に疲れたし、しっかり寝て明日以降に備えた方が良いからな。

 それじゃ、おやすみなさい。


 瞼を閉じ、掛け布団を被る。

 その瞬間、自分からは決してしないフローラルな香りがしてソレを弾き飛ばした。


 ……どうやら、今夜は眠れそうにない。


 俺は深く嘆息し、瞼を強く閉じた。

 香りは余計に強くなった気がした。


*  *  *


 ──夢を、見ていました。


 それが一体何なのか、わたしにはこれっぽっちも理解できません。

 しかし、それが夢だということだけが漠然と感じ取れたのです。


 暗い部屋、鎖で壁に繋がれた両腕。

 大きな首輪が着けられているのか、下を見ることすらも叶いませんでした。

 ここは一体、何処なのでしょう。

 勿論、見覚えもありません。


 いつもよりも不自由な体で、数時間ほどが経ちました。

 突如として暗闇に光が差し込み、わたしは無意識に顔を上げ『それ』を見ます。

 部屋に入ってきたのは、どこか見覚えのあるひとりの男性でした。

 しかし、やはり記憶には無い。


『今日の贄だ。しかと味わえ』

『陛下……ぐっ!』

『今の貴様は一線級ではないにしろ、中々良い魔力を持っている。中途半端な力とコレを知った貴様に相応しい役割だろう?』

『私の忠誠は、それを知ったところで揺らぐような生半可なものではありません!』

『我らに未だ下を眺めるような弱者は誰ひとりとして必要無い。なに、安心しろ。貴様が居なくとも、奴等は上を目指せるさ』


「………」


 贄。

 わたしと同じ手錠を掛けられて地面に転がされた、男性が『贄』と言ったそれは──紛れも無い、人間でした。

 幾多もの剣による傷跡が目立つ彼は、陛下と呼ばれた男性が扉に向かう背を見つめ何度も何度も呼びかけます。

 しかし、彼は応えない。


 やがて部屋の扉が閉まり、鍵が閉まる。

 その瞬間脳内に先の男性の声が響き、同時にわたしの両手を拘束していた手錠の鎖が壁から外れました。


『精々足掻きたまえ、元騎士団長』


 それを機に、わたしは虐殺を始めました。

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