第22話【2】

 どうしてこうなった。


「あ、あのっ……痛く、しないで、優しくしてください……っ」

「………」


 断りきれなかった俺のせいか。

 それとも、彼女の強すぎる意思のせいか。

 

 細い肩に、緊張で引き結ばれた唇。

 至近距離で見える細い睫毛は震えていて、しかしその下にある瞳はこれ以上ないほど爛々と輝いている。

 心に巣食う恐怖が頭を埋め尽くす。

 大きく息を吸って心臓を落ち着け、ゆっくりと緊張と共に吐き出した。


 そっと距離を詰め、手を添える。

 肩に触れた瞬間ぴくんと小さく跳ねるが、気にしないようにか首を横に振られる。

 彼女の覚悟はとっくに決まっている。

 俺の覚悟も、決まった。


 優しく彼女の肩を掴んでゆっくりとベッドに押し倒し、そして──。


*  *  *


 メビウス王国に来て2ヶ月が経った。


 1週間ほど先にある初めての序列戦に向けてか、俺たち1年生は露骨に実践の授業が多くなっている。

 既に3つのダンジョンに潜り、土属性のダンジョンに至っては第3階層のフロアボスのところまで行ったのは記憶に新しい。

 今回はソシエールではなくレキシコンとアリスと潜ったが、アリスのお陰でかなり楽に攻略できた印象だ。


 アリスはレキシコンを第二王子派閥として警戒しているようだが、今回のダンジョンでは相性は中々良さそうに思えた。

 ふたりとも魔法を主体とした戦い方だし、アリスが全属性元素に適性を持っているのでレキシコンの戦い方に合わせられる。

 土属性の魔力の敵は固いので俺も火魔法を使って戦ったが、結構キツかったな。


 そんなこんなで今日。

 深夜の時鐘も鳴り、街も静まった。

 俺はそろそろ呪いが限界に達しそうなのでダンジョンに潜ろうと思っている。

 人を殺すことに躊躇いを覚えたのは自分でも驚いているが、この国で暮らしていく以上こうするのが義務というモノだろう。


 広い部屋の中でローブを羽織り、鋼蜘蛛アイアンスパイダーの糸に魔力を伝わせる。

 うん、調子は最高潮だな。

 呪いの力が高まっているからか知れんが、闇魔法で造った薙刀──《深淵の呼び声コール・オブ・ジ・アビス》はかなりの純度に仕上がった。

 コレなら今日は第4階層まで潜ってもいいかも知れない。


 そう思いながら魔力を霧散させ、部屋から出ようとノブに手を伸ばした時──。


『シグマさん、起きていますか?』

「ん……? ああ、起きてる」


 ノックと共にアリスの声が聞こえた。

 こんな時間に尋ねてくるなんて珍しいな。

 そう思いながらドアを開けると、どこか緊張した面持ちで彼女は立っていた。


「シグマさん、今日は、その……呪いの代償を求めて外に……?」

「………。おう」

「そうですか……。では、その前に少しわたしの研究室に来ていただけませんか? 見せたいものがあるんです」

「ああ、わかった。このままでいいか?」

「大丈夫ですよ。行きましょう」


 背を向けたアリスはツカツカと杖を突いてもの静かな廊下を歩んでいく。

 その後ろ姿はいつもよりも小さく見えて、かなり緊張しているのが伝わってくる。

 果てさて、見せたいモノとは何だろうか。

 ここまで緊張を露わにするアリスは珍しいと思うが、くだんのモノがかなり奇想天外だったりするのやも知れん。


 研究室に着き中に入ると、相変わらずどこか雑然とした光景が目に入ってきた。

 色々な道具が机の上に広がっており、計算式やらが書き込まれた紙が何十枚と積み上がるその光景は中々壮観だ。

 アリスはそんな中で何枚かの資料と水晶を持ってきて、近くの机に広げた。


「以前シグマさんの魔力を追加でいただきましたが、それで新たな発見をしました」


 そう言いながら彼女が装置に魔力を込めると、ソレは白く光り出す。

 やがて薄暗い研究室には眩しいくらいの光が溢れ出し、俺は若干目を細める。


 俺の反応を確認して彼女は光を収め、今度は以前も見た魔力保存水晶を装置に近づけ魔力を注ぎ込んだ。

 今度は装置の放つ光が水色で、そこまで眩しいというわけでもなかった。

 ほー、魔力によって色が変わるんだな。

 どんな原理なんだろうか。


「最初のものはわたしの魔力で、今流し込んだのはアクシアくんの魔力です。結構な色の違いがあるでしょう?」

「おう。中々綺麗なもんだな」

「そうでしょうか? ……さて、ここからが本題です。シグマさん、今からあなたの魔力をここに流すので、よく見ていてください」

「あ、ああ……」


 妙な凄みと共にそう言われ、曖昧に頷く。

 彼女は満足そうに頷いた後もうひとつの水晶を装置に近づけ、魔力を流し込む。

 するとすぐに装置は眩い光を発し始めた。

 その色は、なんと──白色だった。


 ……なんかイメージと違う。

 もっと暗い色だと思っていたが、案外綺麗な色で光るんだな。

 いや、この装置特有のモノなのかも知れないし実際綺麗なのかは知らんが。


「わたしのものと酷似していたのが、わかるでしょうか?」

「そうだな。これで何がわかったんだ?」

「シグマさんは『魔力を食べる度に次必要な魔力量が増える』と仰いましたよね? これは仮説ですが、その呪いは他者の魔力を自分の中で最適な形に変換し、自身の器に作り替える、というものだと思うんです」

「なる、ほど……?」

「……理解は一先ず置いておきましょう。そして今の実験です。わたしの魔力とシグマさんの魔力は波長が似ている──すなわち、非常に相性が良いのです」


 お、おう……。

 やべぇ、アリスが何を言いたいのかぜんっぜんわからないんだが。

 呪いの話を出したんだし関係しているとは思うが、コレで何ができるんだ?


「シグマさん、これは実験的な意味も含んでいるので、頼みたいのですが──わたしを食べる気はありますか?」

「────は?」

「そ、そんな怪訝そうな目で見なくてもいいじゃないですかっ」

「ねぇよ、1ミリも。あるわけないだろ」

「む……」


 少しムッとした表情を浮かべるアリスはこれも仮説なのですが、と前置きして今の言葉の意味を詳しく話し始めた。


 まず、俺の呪いは食べた魔力の変換効率が悪いのではないか、というのがひとつ。

 効率が悪いからこそ大量の魔物や魔力量の多い人間を殺す必要があるのではないか、ということである。


 そこで今の実験だ。

 アリスの魔力は俺の魔力と波長やらが似ているので、大きく変換する必要も無いのではないか、と予想しているらしい。

 もしもこの仮説が正しいなら、呪いを効果的に抑制できるのでは──と。


「どうでしょう?」

「なぁ……アリス。お前、魔力を食われるってのがどんなことなのか、いまいちよくわかってないだろ」

「っ……シグマ、さん?」


 声が震える。

 コレは、怒り……なんだろうか。

 無意識に『お前』なんて出てしまうくらいにはきっと、怒っているんだろう。


「アリス、魔力は生命力とほぼ同じだ。確かに魔力は回復するモノだし、普段は意識する必要なんて無い。それでも──命なんだよ」

「ッ……!」

「頼むから、自分の命をそんなに軽々しく扱わないでくれ──お願いだ」

「う……っ」


 俺を見上げていたアリスは気まずそうに言葉を詰まらせ、ゆっくりと俯く。

 しかしすぐに深呼吸の音が聞こえ、次の瞬間俺は思いきり引っ張られていた。


 ただでさえ体の弱いアリスのモノとは思えない力で胸元を掴み取られ、彼女の眼前まで目線を下げさせられる。

 そこにある灰の瞳には、思わずこっちが息を飲んでしまうほどの熱情が宿っているように見えた。

 ……なんて目、してんだよ。


「あなたに従う義務などありません。契約ではわたしが雇い主。あなたはわたしに従っていればいいんです」

「だけどな──」

「黙りなさいッ!」

「ッ……!?」


 アリス……?

 こんな声も、出せたんだな。

 ここまで感情の見える荒らげた声は、初めて聞いたかも知れない。


「ふぅ……すみません、取り乱しました」

「………」

「シグマさんはブレイズ王国で、きっと戦争もしてきましたよね」

「……ああ」

「わたしも経験があります。9歳の時、初めて戦争へと赴きました。そこで沢山の兵士を殺し、国民を死なせました。……もう二度とあんなことはしたくありません」

「………」

「ですが、今は平和です。国民も皆笑い、わたしたちも幸せに暮らせている──シグマさん、ここでくらい平和を享受しても、いいんですよ」


 ……平和、か。

 確かにアリスの魔力は魅力的だ。

 彼女の言うことがもし本当なら、俺は命懸けでダンジョンに潜る必要も万一国民を殺すことも無くなる。

 それはきっと平和で、幸せなことだ。


 だが──。


「それは、アリスの命に釣り合わねぇよ」

「そんなのは百も承知です。それでも、命を懸けてでも、あなたを幸せにしたい──我儘を聞いていただけませんか」

「……できるわけ、ないだろ。今の俺にとってアリスは、一番大切にしたいものなんだ」


 俺の必要な魔力がどれくらいかも知れん。

 彼女の命を俺なんかの為に無用な危険に曝すなんて、絶対に嫌だ。


「では、言い方を変えましょう──わたしの魔力を食べなさい。これは命令です」

「ッ……!」

「こう言えば、あなたは断れない。卑怯と罵っても構いません。それでもわたしは、あなたを本気で幸せにしたいんです──お願いします、シグマさん」


 胸元を掴む力がどんどん弱まり、やがて声も少しずつ萎んでいく。

 俯く彼女の肩は震えていて、俺に向けて頭を下げるその様子に乾いた息が漏れた。

 今にも壊れてしまいそうなその姿を見た俺が断れる筈もない──アリスはやはり、優しすぎる。

 

 俺はぎこちなくも彼女をそっと抱きしめ、その震える背中を擦る。

 杖から力を抜きもたれ掛かってくるアリスを安心させるように、深く頷いた。


「……わかった。ありがとう、アリス」


 本当に、ありがとう。

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