第16話【2】

 ナイフを左手に持ち替え右手で4本の投げナイフを掴み、高いジャンプで太陽を背景にこちらへ寄越す。

 毒が塗ってあるかも知れないので手で受け流さずに《魔力短剣マジックダガー》を構え、頭と胸に向かってくるモノだけ弾く。

 その間に目の前まで距離を詰められるが、コイツの接近戦の能力はたかが知れた。

 コイツは確かに強いが、暗殺にばかり心を向け戦いというモノを理解していない。


 闘争本能は全ての人間に宿りし愚物。

 本能という抗い難き甘露を、理性をもって制御するのが人間たる条件。

 そのリミッターの強さを相手よりも正確に理解できる者こそが、その場にける勝利を手中に収めるのだ。


 愉悦は思考を加速させる。

 彼は未だ、狂気に染まっていない──故に遅く、脆く、弱いのだ。


「お前の仕事は俺の始末か? それとも俺の暗殺か? 後者なら既に失敗してるし、引いた方が身の為だぞ」

「語る必要は、無い」

「そうか。ならば死ね」


 つまらないことに割く時間は無い。


 ヤツの左腕を取って軽く捻り、腹に向けて蹴りを一発入れる。

 苦しそうに息を吐いたヤツへ《魔力短剣》を片手に迫りゆき、立ち直されるよりも先にこめかみを蹴り飛ばす。

 建物の壁にぶつかるが、それでもヤツは再び立ち上がろうと歯を食いしばっていた。


 もう一度叩きのめそうと足を踏み出すと、周囲の《素魔力エーテル》が揺らいだ。

 咄嗟に足を止めてその場から飛び退り、魔力の流れを見ようと視線を巡らせる。

 案の定俺の居た場所を不可視の何かが過ぎ去り、地面を抉って霧散した。


 今まで実感が無かったが、本当に俺を殺そうとしているんだな、コイツは。


「足りねぇなぁ。足りねぇよ、お前」

「はぁ……ッ」

「何度立とうと同じだ。お前はマトモだ。だから弱いんだよ」


 一体何本あるのかと言うくらいナイフをこちらに投げつけてくる。

 どれも狙いが正確で弾くのも楽じゃないが、しかし俺の方が速い。

 一歩一歩刺突の雨の中を突き進み、この恐怖をヤツの心に刻み込む。


 苦痛なんかよりも恐怖の方が、何倍も人の心を折るにはうってつけだ。

 ただ痛めつけるだけじゃ、信仰や信念を歪めることは難しい。

 暗殺者ギルドがどんなモノなのかなんて知らないが、それなりに崇高な志しを持っていなければできそうもない。


 殺さないってのは、難しいな。


「クソッ……なんで……!」

「さあな。運が悪かったんだろ」


 俺はそう言って思いきりヤツの腹に拳を埋め込むと、左足を軸にして体を回し右の踵を脇腹へと叩き込む。

 壁に激突して苦しそうに喘ぐヤツの前髪を掴み取り、今にも鼻の先が触れ合いそうな距離で低く囁く。


「依頼人は、誰だ?」

「ッ……! 知らん」

「神は3度の間違いまで許すそうだが、生憎俺はそれほど寛大じゃない。後2回返答を違えたら、お前を殺す。依頼人は、誰だ?」

「──知らん! 俺は知らない!」


 壁に頭を叩きつけ、思いきり左手をヤツの右肘に打ち付ける。

 その手は確かな感触を感じ取り、ソレに伴って凄まじい悲鳴が耳朶じだを叩いた。


 それでも、瞳の光は爛々としている。

 やはり凄まじい意思だな、面倒臭い。

 骨を折った程度では心まで折ることができないならば、3度目のコレもきっと返答は変わらないだろうな。


「依頼人は誰なんだ?」

「それを言うのは、規約違反だ。それを告げるくらいなら、大人しく死ぬ」

「だろうな」


 髪を解放して地面につくばらせる。

 首を満足に動かせないのを確認し、俺は自分の足元にある影に魔力を通す。

 そのまま《影槍シヤドウランス》を作り、両の太ももを貫いて地面に固定した。

 赤黒い血が溢れ出し、地面を濡らす。


 戦局に捨て駒は作りたくない。

 必要な犠牲だとしても、ソレは絶対に次に繋がる一手でなければならない。

 ただその場凌ぎの犠牲手サクリファイスを取り続ければ、いつか必ずツケが回ってくる。

 だから、タダで死ぬのは絶対に許さない。


「心身は常に表裏一体。紙一重の位置に存在してる。両方を同時に殺さなければ、ソレは完全なる死とは呼べない。仮に肉体を殺さないなら、お前はいつまで生きられる?」


 静寂の満ちる路地裏に響く足音。

 かつての自分に後戻りしたみたいだ。

 鎖を繋がれ魔力を抑えられながらも、そこにやって来る貢物に絶望を与える。

 懐かしくて、反吐が出そうだ。


「依頼人は、誰なんだ?」

「何度も、言っているだろう──」


 左手の中指を折った。


「ぐあぁああああああああああああッ!」

「安心しろ。死なない範囲だ。今までも、これからも……な。さて、もう一度だ。依頼人の名前は?」

「ッ……知ら、ない。本当だッ!」


 右手首を横に折った。


「アツ……ッ! クソ、クソッ……!」

「次は肘だ。依頼人の名は?」

「……ギルド長からお前を殺すよう言われただけだ! 依頼の処理はギルド長がしているから、俺は本当に知らないんだ!」


 思いきり左肘を蹴り飛ばし、砕いた。

 今までの骨折よりもむごい音が響き渡り、遂にヤツは悲鳴も上げなくなった。

 瞳に満ちるのも深い絶望だけで、抵抗の意思も殆ど感じない。

 そろそろだろうか。


「ッ……クソ、なんで……なんで、こんなことになったんだ……!」

「さっさと依頼人の名を、吐け。気絶しても無理やり起こすから、逃れることはできないと思えよ」

「本当に、知らないんだ……頼む、許してくれ……何も、知らないんだよ……ッ」


 ……なるほど、どうやら本当らしい。


 ふーむ、さっき言ってたギルド長を通しての依頼だと言うのなら、相手はそれなりに暗殺者ギルドにとってのお偉いさんか?

 この国家がそんなモノをのさばらせておくとは思えないし、しっかりとした管理はされているだろう。

 つまり、この国である程度の地位を持った人間からの依頼だと考えるのが自然か。


 王族──もしくはそれに近しい人間。

 アリスという可能性も勿論考えたが、俺と一度戦ったのだからそう簡単にいかないのは知っている筈。

 わざわざ負け戦を行う理由も無い。

 除外して良いだろう。


 そうなると、学園の連中が妥当か。

 先生、レキシコン、ソシエール──。

 候補は沢山居るが、断定はできないな。


 まぁその辺の貴族ではないだろうという予想はできたし、収穫は及第点かね。

 役目は終わったし、コイツは放置しよう。

 本当は殺した方が良いのかも知れないが、これ以上慣れるわけにはいかない。


 きっと暗殺者ギルドが見つけてくれる。

 さて、帰ろう。


「まぁいい。ひとず納得してやる。それじゃあ、ギルド長によろしく伝えてくれ」


 俺はそう言い残し、背中を向ける。

 縋るような視線を感じながらも、ソレを無視して通りまで歩き続けた。

 悲鳴を聞きつけて野次馬に来るようなヤツは居なかったし、今日は幸運だったな。

 デートも楽しかったし、最高の休日だ。


 俺にとって今のは、かつての日常。

 心は揺さぶられなかった。

 やはり俺も、本質は未だあの国の地下室に繋がれたままなのだろう。

 自由を知った鳥の羽は、いつもがれてしまうのかも知れない。


 だから、今は。

 今だけは、この翼を自由にしておきたい。


 そう思った。


*  *  *


 路地裏にだまする苦痛の喘鳴ぜんめい

 男のつくばる地面は静脈から溢れた血で濡れていて、苦痛で動けない彼の体をべっとりと赤黒く染める。

 足を動かすだけで穴の空いた太ももが悲鳴を上げ、手で地面を押そうにも両肘と右手が壊れている。


 あんな化け物とは、聞いていない。

 男はそう内心えんの炎を燃やしながらも、その心に刻まれた圧倒的な存在への恐怖に身を震わせていた。

 あの冷たいごく色の双眸を思い浮かべるだけで本能的に体が震え、歯がカチカチと音を立てる。


 男は、確かに絶望に触れていた。


「──君がそれほど酷くやられるとは、相手は相当な手練れらしいな」

「ッ……ギルド長」

「やあ、ザキ」


 顔を上げることすらしなかった男の前に現れたのは、銀髪の美しい女性だった。

 艶やかな銀髪にこの世には殆ど存在しない黒髪が混ざっており、その瞳も特徴的な形をした瞳孔で、紫色。

 すらりとした身体を緩い服で包む彼女は、躊躇いなく男の血溜まりを踏みつけた。


「今回の失敗は君の失態じゃない。咎めることはないから、私の背に乗れ。すぐに治癒術師のところへ送ってやる」

「すみ……ません」

「謝るな。君のお陰で標的を知れた。私は今回、非常に満足しているぞ。っと、よく見たら両肘が折れているのか。痛いかも知れないが、持ち上げるぞ」


 彼女──暗殺者ギルド長は男を仰向けにして膝裏と背に手を回し、軽々と持ち上げて歩き出した。

 太ももの鈍痛に顔を歪める彼は、しかし彼女の服を自身の血で汚してしまうことに苦しそうな顔をする。


 それをも見抜く彼女だが、しかしどう言っても彼が納得しないことはわかっているので特に口は開かない。

 ポタポタと血を垂らしながら路地裏を進んでいき、暗殺者などの裏社会に住む人々しか知らない地下通路へと入る。

 暗くて何も見えない筈なのに、彼女は一片の迷いも見せずに足を進めていた。


「一発でも入れられたか?」

「いえ……完封されました」

「そうか。それが本当なら、私の予想をますます裏付けるものだな。今回の失敗は君のせいではなく、君を利用した私のせいだ。苦痛を味合わせて、すまない」


 彼女は腕の中で苦しそうに喘ぐ男へ向けて目線と頭を軽く下げる。

 ギルドを纏め上げる彼女が心底申し訳なさそうにそう言うのを見た男は、驚愕で目を見開いた。


 たとえ彼女が彼を利用したとしても、それは彼にとって普通の仕事。

 その程度が違っただけなのに、そんな風に謝られるなんて──自身の不甲斐なさに、男は悔しそうに歯を食いしばる。


「そんな! ギルド長のせいじゃ──痛ッ」

「無理をするな。脇腹の骨も折れているし、呼吸も苦しいだろう。落ち着け、後のことは私に任せろ」

「……わかり、ました」


 そう言い残し、男は気絶した。

 既に痛みと血の流しすぎで意識が朦朧としていたのが、限界を迎えたのだろう。


「……まさか、再び会えるとは」


 彼女は愛おしそうに虚空を見つめ、恍惚とした声でそう呟く。


「私の、祖国。私の、王子。ああ、殿下──何故こんなところで、その力を腐らせていらっしゃるのですか……ッ」


 恨みとも取れる光を目に宿し、彼女はひとりの人物を頭の中に描く。

 かつて近くの国へ侵攻する時、戦争の最前線で立ちはだかる全てを闇元素の象徴である虚無へ導いた《終焉の告げ人》

 またの名を、ブレイズ王国第二王子──シグマ・ブレイズ・エシュヴィデータ。


 かつて家族である王族に虐げられ、それでも祖国の為にその力を振るう御姿は彼女の目に焼き付いている。

 尊きあの方が、何故、こんな場所に。

 メビウス王国へスパイとして送られてきた彼女は、決して見ることはないだろうと思っていた人物の影に戸惑う。


 だが、彼女もかつて《風水の旅人》と呼ばれた王族直属の人間がひとり。

 こんな大きな出来事を放置できるほど野心が無い、力が無いわけでもない。

  自らの任よりも、敬愛する王子への興味の方が彼女にとって重要だった。


「殿下……あなたがどんな選択を取っても、私は祖国の味方です。私の理想を、どうか覆さないでください」


 依頼人の顔を思い出しながらも、僅かな可能性に縋るよう彼女は声を絞り出す。


 しかしその声は、かつてのように誰の耳に届くことも無く虚無へ消えていった。

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