第13話【2】

「ふあ……。あー、ねっむ……」


 本格的な実践授業も終わり普通の日常へと戻った俺たち学園生は、特に特別なことはせずに日々を過ごしていた。


 昼休みの今、俺は校舎の裏あたりにあったベンチに座って陽の光を浴び、サンドイッチを齧っている。

 メイドさんが用意してくれるご飯は毎回美味しくて、感謝してもしきれない。

  今日のサンドイッチもただ具材を挟んだだけではなく、レタスや肉などもしっかりと味付けがされている。

 手間暇掛けて作っているのがわかる、俺には勿体無いくらいの贅沢品だ。


 この学園には食堂があるので大半はそこで食事をするのだが、俺が人混みは嫌いだと零すとアリスがソレを避けさせるためかメイドさんに弁当を作るよう命じたのだ。

 メイドさん曰く、朝食の材料を余すことがなくなるので寧ろありがたいらしい。

 朝は少食なので、ここでバランスを取ることができるのは俺にとって一石二鳥だ。


 暖かい日差し。

 美味しい食事。

 穏やかな日常。


 ……幸せだ。


「──おや? 先客が居たのか」


 目を閉じて眠りかけていた時、そんな声が聞こえて俺はハッと意識を取り戻した。

 危ない危ない、もうすぐで午後の授業に遅れるところだった。


 俺は起こしてくれた感謝を述べようと声のした方向へ視線を向ける。

 その瞬間、いつかのような感覚を覚えた。

 凄まじい魔力量と、まるでそこにあるのが当然かのように空気中に満ちる、無味無臭の熱い殺意。

 息をするのを、忘れてしまった。


 赤みがかった紫のボブヘア。

 ひと房を三つ編みにして結っており、その下にある肌はあまりにも白い。

 瑠璃のような紺碧の瞳には一切の光が宿っておらず、人形なのではないかと疑ってしまいそうな美しさだ。

 優雅な立ち姿には、微塵の隙も無い。


「食堂で食べないのかい? 出てくるモノは中々だと思うがね」

「……食事は静かにしたい性分でして」

「フハッ、なるほどね。確かにボクも他人と仲良しこよし喋りながら食事をするのは嫌いだし、気持ちはわかるよ」


 そう言いながら彼女は優雅な足取りで俺の方へと近づいてくる。

 俺が退こうと腰を上げかけると、彼女は手でソレを制してきた。

 まだ俺に用があるのだろうか。


「こんな場所で会ったのも何かの縁だ。制服の真新しさも見ると、キミは新入生のひとりなのだろう? 是非仲良くしてくれ」

「……うす。シグマです」

「おお、確かに自己紹介がまだだったね。ボクはゼータ、ゼータ・クルヌギアだ」

「……!」


 この人が……現序列、第1位。

 通りでこんな常軌を逸した殺気を滲ませながらも、体は思考に従わず本能的に安堵を覚えさせられているのか。

 本能が『彼女は安全だ』と訴えてくる。


 不思議な感覚だったが、なるほど納得だ。

 強者の雰囲気を殺気と勘違いしたらしい。


「その様子だと、どうやらボクの名前は知っているようだね。はぁ、新入生くらいには色眼鏡無しで見て欲しいんだけどなぁ」

「……いや、無理があるでしょう」

「そらそうだ。頂点の肩書きも、良いものばかりではないということか。手放したくても手放せないし、まったく不便極まりない」


 吐き捨てるようにそう言い、彼女は俺の隣に少し距離を置いて座った。

 そのまま手に持っていた飲み物をあおると、ふっと息をついてこちらに視線を寄越す。

 至近距離で見ると、そのがんに嵌ったサファイアの美しさがよくわかる。

 この世のモノとは、思えないほどだ。


 彼女はまわすように俺のことを足先から頭頂までぬるりと見ると、面白そうに口の端を吊り上げた。

 その笑みにゾッとした雰囲気を感じ、俺は一歩後退る。

 毒蛇に首元を絞められているような、そんなおぞましさを感じる微笑みだった。


「へぇ……。まさかリオンの妹よりも魔力量が多い人間が存在するとは。それに、とっても濃密なものだ──面白い」

「………」

「どうだい? 軽く決闘でも。キミが勝ったら何でもしてあげるよ。無論、人道に反しない程度でお願いしたいがね」

「遠慮させていただきます。全戦全勝、文字通りの最強であるあなたと戦いたい新入生なんて何処に居るんですか」

「フハッ、まぁそうか。しかし、去年最初の序列戦では新入生8人と戦ったよ。案外居てもおかしくはないんじゃないかな?」


 なんでだよ。

 初っ端この人に序列戦を申し込むとか、もはや狂気の沙汰だろ。

 こうして相対してるだけでも、わかる。


 半端な挑み方じゃ、赤子の手を捻るよりも簡単に叩き潰される。

 アリスと同等──本気のアリスを見たことがないので確かではないが、そう言っても過言ではないだろう。


「勝算のない賭けに興じるのは、ソレをもってして余りある力を持つ人間の特権です。俺みたいなヤツには無理ですよ」

「フフ、懸命な判断だ。ボクの願いを聞くのは相当なお人好しか、バカだけさ」


 自覚ありかよ。

 余計にタチ悪いじゃねぇか。


「ふぅ……風が気持ちいいね」

「そうですね」

「食堂で繋がりを作ろうとしてる人たちには味わえない、贅沢品だ。こんなとこに進んで居るのは、キミもあぶものだからかい?」

「さあ、どうでしょう。客観的に自分を見るのは苦手なもので」

「冷たいね。まったく情報を開示しない」

「知らない人には決して付いていくな、信用するな、と母親に教わったので」


 勿論、大嘘である。


「おやおや、これだけ話してもまだ顔見知りですらないのかい? 寂しいねぇ」

「名前を知ってるだけで知り合いなら、俺はガイアとも知り合いになりますよ」

「神を呼び捨てにするな。ここは王国なんだから、すぐに目を付けられちゃうぞ?」

「……すみません」

「気にしないでくれ。ボクは神なんてこれっぽっちも信仰していないからね」


 王国民なのに、珍しいな。

 ここはひとつの宗教がとても強いとアリスは言っていたが、信仰していない人も居ないわけではないらしい。

 神を信じないところも、戦いに何かを見出してしまっているのも俺とそっくりで──気持ち悪い人だ。


 コレが所謂いわゆる『同族嫌悪』ってヤツか?

 俺みたいな人間がこの世にふたりも存在しているだなんて、仮に居るのなら神はどれだけ怠惰なんだ。

 裁きってのはそんなに重労働なのか?

 創造の方がよっぽど大変そうだがな。


 そんなこんなでゼータ先輩の鬱陶しい絡みをいなしていると、あっという間に昼休みの時間が終わってしまった。

 結局1ミリたりとも休めなかった。

 しかも別れる時『また会えることを楽しみにしているよ』なんて言われたし、目を付けられてしまったようだ。

 あんな人間に、である。


 ……ああ、なんか。

 未来が楽しみだったのも、一瞬だったな。

 今はもの凄く、憂鬱だ。


「──はぁ」


 その嘆息は、あまりにも深かった。


*  *  *


 シグマ・ブレイズ。

 うーん、そそられる。


 あんな人間を見たのは久しぶりだなぁ。

 リオンを初めて見た時は期待したが、すぐに思い違いだったと気づいた。

 彼の妹であるアリスも面白いが、彼女も所詮王族のひとり──つまらない。


 だが、彼は違う。

 素晴らしい魔力の練り方、隠し方。

 しばしお預けを食らっていたが、ようやくボクにも玩具で遊ぶ機会がやってきた。

 丁寧に遊ぶとしようか。


 ボクは今、とってもご機嫌だ。


「ふんふんふ〜ん……♪」

「……ゼータ?」

「ん? やあ、リオン。この時間に会うのは何気に初めてなのかな?」

「今日も遅刻してきた癖に、普段出席だけ取ったら帰るお前が何故午後になってもここに居るんだ?」

「さあね。気分だよ、気分」


 ぷっ。

 そんな苦い顔をしないでおくれ。

 笑いが誤魔化せなくなるじゃないか。

 あまり笑わせないで欲しいね。


 ボクはクールキャラなんだよ?

 普段から笑っているようじゃ、折角新入生たちに与えるその第一印象が音を立てて崩れてしまうだろう。


 口角は普段通り、皮肉げに嗤う。

 ポーカーフェイスは苦手だが、嘲笑うのが得意なのは救いだったな。

 ここだけ聞くと最低だな、ボクって。

 まぁ、事実そうなんだけどね。


「……お前の場合はそれが誤魔化しでないというのが最もタチが悪いな」

「おっ、キミもボクのことがよくわかってきたじゃないか。感心感心」

「黙れ、殺すぞ」

「2年間で積み重なった幾多の敗北のもとで言われても、まったく怖くないねぇ。自分でもわかっているだろ、永遠の次席さん?」

「チッ……、まぁいい。仮に授業に参加するなら、他の生徒の邪魔はするなよ。お前が加わると実践戦闘が無茶苦茶になる」

「はいはい、わかってるよ」


 ……彼なら。

 あんな魔力を有しているシグマなら、ボクと対等に戦ってくれるのだろうか。

 ボクにかつてのような戦いの高揚を与えてくれるのだろうか。

 ボクに敗北の苦渋の味を、教えてはくれるのだろうか。

 敵意や尊敬、そんなモノではない。

 そう、例えば──友情なんてモノを、感じさせて、感じてくれるのだろうか。


「──無いか。ボクはまだ最強だし」

「何だ? 何か言ったか?」

「いや、何も。そう言えば、キミが入学式の日に声を掛けた新入生の名はシグマで合っているよな?」

「……誰から聞いた」

「そう怖い顔をするな。カナリアだよ。他の生徒の目もある中でなんて、キミはどれだけ思いやりがないんだい?」

「どうでもいい。どうせここを卒業すれば、視線は嫌でも向けられる。その特訓とでも思えばいいだろう」

「酷い人だねぇ」


 強さと有能さもあり、本当なら民にも優しくできる心と力があると言うのに、何故シグマにはそれを向けないのか。

 リオン程度の魔力と目じゃ彼の偽装技術を看破できない筈なのに、何か違和感でもあったのだろうか。

 魔力的な観察眼は無くとも、人間として見る目が確かなのは否定できない。


 その点、ボクは興味が無いからダメだ。

 シグマの奥底に眠るものを見つけることなんてできっこないし、彼が何を考えてるかなんて皆目見当もつかない。

 ボクにあるのは、戦いだけ。

 戦いだけが、ボクをボクたらしめる。


 シグマ・ブレイズ。

 キミは、失望させないでくれるかな。

 また退屈な日々に戻さないでくれるかな。


「……序列戦のエキシビションマッチ、どっちとやろうかなぁ。選択肢がいきなり増えるなんて聞いてないよ」


 アリス・メビウス・クロノワール。

 シグマ・ブレイズ。


 ボクを愉しませるのは、どっちだい?


 珍しく、ボクは戦い以外の場で心からの笑顔を浮かべた。

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