第12話【2】

「ふむ……」


 自身の机に彼──リオン・メビウス・クロノワールは向かい、今日ある人物からの報告を纏めたノートを見て息を漏らした。

 普段の学園で見せるような生徒会長然とした態度は無く、どこかリラックスした表情を浮かべている。

 しかし、彼の目は僅かにも笑っていない。


「シグマ・ブレイズ……プリシラ・ソシエールの力もあったとは言え、まさか自力で突破するとはな。想像以上だ。奴らを派遣したのも無駄になったか」


 口の端にふっと笑いを貼り付けた彼はゆっくりと立ち上がり、ベッドに寝そべる。

 そのまま天井を見上げ、自らの手を眼前に掲げながら呟きを漏らす。


「ブレイズ──聞いたことも無いし、そんな名を家名にする者も居まい。敵国の名を背負うなんて、馬鹿げた真似だ」


 ブレイズ王国、それは彼ら王族が築き上げたメビウス王国にとって最大の敵。

 全ては力の優劣で決め、慈悲も神すらも存在しない人間の国。

 そんな彼らの信仰、理念に背く国の名を好き好んで残すような貴族は既に自ら滅んでしまったという記録もある。


 シグマ・ブレイズは、非常に怪しかった。

 入学式の日、彼はカナリア・エグゼとジョゼフ・ルミナリアの模擬戦にいて、試合の全てをその目に捉えていた。

 彼女たちの戦いはリオンでも付いていくのに必死な程のモノなのに、新入生であり実戦経験が少ない筈の彼がである。


 無論パフォーマンスを意識していた為他の生徒も見れはしただろうが、その隙までも見抜くことは簡単ではない。

 幾度も彷徨さまよう視線の先にはいつも彼らの動きが映っていて、どこをどう突けばいいかわかっているかのようだったのだ。


「しかし、クロノス先生やあいつのお陰で奴が只者ではないのはわかったな。アリス以外が先生をくだしたと聞いた時は驚いたが、この結果なら納得だ」


 リオンは今日の1年生の授業に於いて、ひとつ根回しを行っていた。

 それは『シグマの班を最初に水属性のダンジョンへ向かわせる』というモノだ。

 結果がどうであれ使う予定の無い駒が消えたところで何も変わらないからと、他の生徒にも実験に付き合ってもらったのだ。


 しかし、その結果は上々。

 彼らは──彼は、無事帰還した。

 中級治癒魔法で治せない傷も無く、五体満足の状態で帰ってきたのだ。


「水属性ダンジョンの第4階層をあの人数で生きて帰ってくるとは、少々見くびっていたらしい。アリスが奴を取り入れる前に、潰した方が良いやも知れんな」


 彼はどこまでも冷たい赤の瞳を得体の知れない彼の男を睨むように細める。


 灰色の髪に、ごく色の瞳。

 どこまでも『普通』なその姿と──おぞましい魔力に嗤いを漏らす。


 アレは、化け物だ。

 彼の思い描く王国に、あの男は不必要だ。

 ならば、抹消するのが──道理である。


 リオンは次の計画を練り始めた──。


*  *  *


「えーっと……《泡沫王蟲クオ・アラネア》は……あった」


 学校の授業でのダンジョン攻略も終わり、俺は今日も今日とて書斎で気になる本を読み漁る時間を過ごしている。


 本というのは実に面白い。

 教本であれ小説であれ、未知を既知にできる本は素晴らしいモノである。

 他者の想像の世界を覗くのも面白いし、俺には到底思いつかないような体験を描いた研究の記録など、その分野は多岐にわたる。

 そんな中、俺は昔の大冒険者が書いたというダンジョンに関する本を読んでいた。


 無事に終えることのできたダンジョン攻略だが、気になることがいくつもあった。


 まずは魔物の平均的な強さだ。

 首を斬ったり魔石の心臓を突いたりすれば無論一撃で絶命していたが、腹を斬った程度では死なないヤツも多かった。

 だが第2階層の魔物の魔力量はそんなに多くないので、ソレでも殺すことは可能な筈なのだ。

 ましてや俺より剣の威力の高いソシエールでさえそうなのだから、不自然だと思うのも無理はないだろう。


 次にフロアボスの《泡沫王蟲》だ。

 過去に名前を聞いたことはあったが、ああして対面したのは初めてだった。

 しかし──あんなのが仮に第2階層のボスならば、第3階層以下に行ける冒険者はかなり少なくなってしまう。

 あんな強さが上層で許される筈ない。

 あの再生能力も考えると、不自然すぎだ。


 案の定、《泡沫王蟲》は3階層以降のフロアボスになっており、2階層には出現しないという記述があった。

 地域やダンジョンによって差はあれど、上層で出てくる魔物ではないわけだ。

 つまり、俺たちは少なくとも第3階層以下へと転移していたことになる。


「ランダム転移……じゃないよな。皆同じ場所に転移したし。だが学校側も確認くらいはしてるだろうし、魔法陣に不備があったとは思えないんだよなぁ……」


 ただの杞憂なのだろうか。

 この国のダンジョンのレベルが特別高いという可能性を否定する材料は無い。

 記述がないだけで、そうでないことを否定するのは悪魔の証明に他ならないのだ。

 断言は確かに難しいだろう。


 しかし、だからと言って納得はできない。

 確実に何かある──と、思う。


 俺は頭を悩ませながら本のページを繰る。

 この本は魔物の大まかな危険度が区分けされているモノで、その中で《泡沫王蟲》はA級と書かれていた。

 魔物のランクはSSからDまであり、その中でのAと言うと上位の方である。

 まぁSとA級に絶対的な差があるのは周知の事実だが、それでも強い魔物であることに変わりはない。


 やはり、何か臭うような。

 エグゼ先生は俺たちの傷の具合からか特に何も言わなかったと思っていた。

 だが、仮にあちら側が仕掛けてきたなら?

 元々俺たちが第3階層以下に転移することを知っていたのだとしたら?

 学校側が俺たちのうちの誰かを狙い撃つために何か策を張っていたとしたら?


 しかし、そうなると俺たち学生を狙うメリットが無いような気もする。

 俺たちはアリスと別々だし、ただの貴族という設定の俺や他のヤツらを狙うにはいささかリスクが高いだろう。

 いち貴族をどうこうするならば暗殺やら誘拐やらできるだろうし、わざわざ学校の授業を使う意味はどこにも無い。


 ……ひとりで悩んでても詮無いな。

 もうすぐアリスと約束した時間だし、そこで彼女の意見も聞くとするか。


 今日は《魔力短剣マジックダガー》の調整の予定が元々あったので、その時に少し話をしようと頼んでおいたのだ。

 彼女は俺には見えない部分まで見通すことのできる力がある。

 解決はできなくとも、手掛かりを得ることくらいはできるかも知れん。


 俺は読んでいたモノを本棚に戻して伸びをすると、アリスとの約束の場所に向かうことにした。

 彼女とは以前魔力を提供した時に入った研究室で待ち合わせをしている。

 リオンとは生活区域──家の中なのにこの言い方はおかしいかも知れんが──が異なるので鉢合わせることは基本ない。


 特に気を張らずに歩んでいけば、あの俺の手ではビクともしない扉が目に入った。

 その前に立ち、ノックを3回。

 すぐに扉は開かれ、ラフな格好をしたアリスが俺のことを出迎えてくれた。


「こんばんは、シグマさん。どうぞ」

「こんばんは」


 部屋の中に入り、椅子に座る。

 扉を閉めた彼女も俺に向かい合うように腰を下ろし、杖を傍らに置く。

 俺は《魔力短剣》を懐から取り出し、机の上に差し出した。


「さて、そろそろ1週間ですが《魔力短剣》の調子は如何いかほどでしょうか? 扱いにくかったりしませんか?」

「その辺は大丈夫だ。ただまぁ、リーチの問題はあるっちゃあるけど。普段使いにはかなり重宝させてもらってる」

「ふふ、よかったです。見たところ……使っている魔法石もあまり摩耗していませんし、問題は無さそうですね」


 アリスは慣れた手つきで柄を弄り回しながらそう言い、魔力を込める。

 魔力の刃が飛び出したのを確認すると、すぐにソレをしまって返してきた。

 点検と言ってもまだ1週間だし、部品数も多くないだろうからこんなものか。


「そっちはどうだ? 何か俺の魔力についてわかったとか」

「いえ、まだ濃度が凄まじいことしか……。色々な魔道具に込めてみていますが、特に挙動が変わったりもなくて」

「そうか。まぁ魔力の研究なんて発展もしてないんだから難しいだろうし、あんま気にすんなよ」

「……ええ、確かにそうですね。焦るようなものでもありませんし」


 アリスはそう言って儚く微笑むと、立ち上がって研究机へと向き合う。

 本当に研究熱心だな。

 魔法が好き、というだけではこんなにも没頭することはできないだろう。

 一体何が、彼女をここまで駆り立てているのだろうか。


 彼女の集中を乱さないように声は掛けず、その背中をただ見つめる。

 俺の相談内容も既に終わったことだし、そう急いで解決すべきモノでもない。

 夕飯の時でも良いだろう。


「シグマさん、ソシエールさんとはどの程度関係を深められましたか?」

「ん? そうだな……剣のライバル、みたいな見られ方をしてると思う。少なくとも名前は覚えられてる筈だ」

「なるほど。しかし彼女の剣の腕は相当なものなのに、よくライバルと見られるまでになりましたね。彼女は10歳の時に王国の剣術大会で優勝したんですよ?」

「へぇ。やっぱり同年代じゃ頭ひとつ抜けてるってわけか。アイツの剣、めちゃくちゃ速かったんだよな」


 特に《泡沫王蟲》を倒した時の技は、もはやインチキと言ってもいい。

 風神流、終式──《級長戸しなとの風》

 生身ひとつで空間を歪めるなんて、一体どれだけ特訓してきたのやら。


「いえ、当時の剣術大会は大人も普通に混じっていましたし、彼女は王国でも指折りの実力者ですよ。更に力が上がっていると思うと末恐ろしいですね」

「………。約束破ろうかな」

「約束?」

「手合わせの約束をちょっと」

「……! それを行う時、わたしも同席しても宜しいでしょうか?」

「アイツが良いって言ったら、まぁ」

「やった……!」


 めっちゃ嬉しそう。

 ガッツポーズ可愛いな。

 撫でたい。


「シグマさん、わたしのお願いを叶えていただき、ありがとうございました」

「いや、元々そういう契約だし」

「それはそうですが、相応の感謝をするのが礼儀ですよ。そう言えば、何か聞きたいことがあると仰っていませんでしたか? 今なら何でも答えますよ。スリーサイズなどは自信が無いので、ちょっと……あれですが」


 俺は命の恩人にセクハラをかますような恩知らずになった覚えはないんだが?

 スリーサイズとか聞いたら顔を合わせる度に死にたくなる気しかしないし。

 冗談は苦笑いで受け流し、俺は例の件について彼女に聞くことにした。


「……《泡沫王蟲》って知ってるか」

「ええ。確かこの国の水属性ダンジョンでは第4階層のフロアボスですね。……突然それについて聞いてきたのはもしかして、実際に戦ったからですか?」

「ああ。第1階層の青の魔法陣に乗った先を攻略していったら、ヤツが居た」

「ふむ……?」


 アリスは顎に手を添えて思考を巡らせる。

 彼女の視線の先にはいくつもの研究に関する書類が置いてあり、その中には魔法陣の描かれたモノもある。

 ソレらの間で視線が幾度も動き回り、凄まじい速さで選択肢の取捨選択が行われているのがわかった。


 彼女は紙をひとつ手に取ると、そこに羽根ペンで何やら円を描き始める。

 まずは大きな真円を、その中に小さな円をいくつか描き、内側が下になるように特殊な文字を刻んでいく。


 魔法陣だ。

 普通は本などを見ながら描くのだが、流石は研究熱心というわけか、どうやら魔法陣の描き方が頭に入っているらしい。


「まず、ダンジョンの魔法陣は突然現れるようなものではありません。元々地面に描かれているんです」

「どこでもそうなのか? 床が水で満たされてたから何もわからなかった」

「今のところ例外は見つかっていません。そしてここからが本題です。魔法陣はこうして様々な古代文字を刻むんですが、以前研究していた時に面白い発見をしました」


 凄いな。

 ダンジョンは未だ謎だらけなので、些細な発見でも大きな進歩になったりする。

 ソレを今の段階で見つけたとは、かなりの時間を費やして何回も潜ったのだろう。


「フロアボスを倒した時、魔法陣はふたつ光りますよね。そのうちの黄色に輝く方は地上へと転移します。しかしそこに刻まれた古代文字の意味は、簡単に言えば『○階層上へ転移する』というものです」

「へぇ。単純に地上へ転移、じゃないのか」

「はい。では、これを見てください」


 そう言ってアリスは先程から描いていた魔法陣の模写を俺に差し出してきた。

 ソレを受け取って眺めるが、知識の無い俺にとってはちんぷんかんぷんだ。

 古代文字なんて触れたこともないし、魔法陣を使う系統の魔法は苦手だからな。


「これはダンジョンの第1階層から次の階層へと転移させる魔法陣の模様です。その階層の指定は、この文字で行われています」


 ぴとり、と指を差した先には、線が斜めにひとつ刻まれている。

 彼女はそこに新たにインクを垂らし、2本の線を縦に刻み込む。


「先程の文字が表すのは『1』で、これが表すのは『3』──ここまで言えば、あなたならわかったでしょう?」

「……こんなに簡単に手を加えられるなら、誰かが描き換えていてもおかしくはない。不慮の事故とは考えにくい、ってわけだな」

「そういうことです。しかし、これは標的の人物が初めにダンジョンへ潜ることを前提としています。つまり──」

「学園側が、俺たちをハメた……と?」

「否定はできません。シグマさんとソシエールさんだけならまだしも、レキシコンくんを同じ班で許可したのは、恐らくそういう狙いがあったからなのでしょうね」


 レキシコンは今日初めて関わった人物だが、先生の『実力の偏りには手を加える』という発言に十分引っ掛かる実力があった。

 学生証にある序列──俺が183位なのだから、ソシエールは恐らく182位、レキシコンもソレに近い順位だろう。

 万が一生徒が死ぬことが無いよう許可を出したと言うのなら、全て辻褄が合う。


「とにかく、シグマさんはエグゼ先生に興味を持たれていますし、注意してください。あなたに消えられては、困りますから」

「……ああ、そうだな。わかった」


 深く頷き、俺はの人物を思い描いた。


 クロノス・エグゼ。

 生徒会役員カナリア・エグゼの父。

 ヤツは一体、何を考えているのか……。


 不安は無い。

 対処の仕様はいくらでもある。

 だが、警戒はしておくとしよう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る