第5話【2】

 魔法学園から帰宅し適当に書斎の本を読み漁って暇を潰していた俺は、突然アリスから呼び出しを食らった。


 顔つきはリオンに目を付けられた時のソレとは違って柔らかく、ただ単に用があっただけらしい。

 また何か問題が起きたのかと心配したが、杞憂だったようでひと安心。


 彼女のゆったりとした足取りに連れられていると、なんだか少し周りと雰囲気の違う扉の前に着いた。


「ここはわたしの……研究室のようなものですかね。魔法しか才能の無いわたしが、それについて調べる時に使う部屋です」

「へぇ……。俺が入っても良いのか」

「ええ。信用していますから」

「そりゃなんともまぁ、光栄だな」


 あの時の忠誠の誓いは、少なからず彼女の信用を得るのに役立ったのだろうか。

 そんなことを考えていると、彼女は鍵を開けて扉を開いた。


 中は見た目ほど広くない──というか、色々なモノがあって狭く感じる。

 俺が今過ごしている自室は広すぎるくらいなので、なんならこのくらいの方が落ち着きそうな気さえした。


 様々な魔道具が机に置かれているのを見て俺はすぐに扉を閉めようと手を掛ける。

 しかし、アリスが軽々と開けていたソレはうんともすんとも言わずに沈黙した。


「……え、あれ? もしかして、壊した?」

「ああ、すみません。わたしの魔力を流しながらでないと開きも閉まりもしない魔法陣が描かれているんです」

「へぇ、特定の魔力にのみ反応する……か。このペンダントといい、凄い技術だな」

「暇だっただけです。あなたが来るまではこれ以外に対して無気力だったので」


 そう笑いながらアリスがノブを握ると、緩やかに扉は音を立てずに閉まった。

 彼女はそのまま近くに置いてあったランタンをひっくり返し、部屋を照らす。

 薄紫色の光が影を切り裂いたその景色は、どこか幻想的にも思えた。


 あの光は魔照石のモノだろう。

 長年掛けてダンジョンや地下などで魔力が凝縮された際、何らかの外的要因によって生まれる特殊な魔法石。


 置いておくと自然に光を発して中の魔力を吐き出してしまうが、水に漬けて保存すれば好きな時に光を利用できる。

 かなり便利なモノだが、その採掘量の少なさ故普及には至っていないらしい。

 本物を見たのは初めてだが、綺麗だな。


「さて、シグマさんに来てもらったのは他でもありません。あなたの魔力を少し調べてみたいと思いましてね」

「俺は良いが、魔道具が壊れる可能性だって十分あるぞ。大丈夫なのか?」

「成功の為の失敗、言わば布石の一環です。多少の犠牲は仕方の無いことでしょう」


 そう言いながら彼女は幾つもある机の真ん中に置いてあった水晶を差し出してきた。

 魔法学園の入試の際使用した魔力量測定水晶と似ているが──というか水晶なんて大抵は似てるな──コレは何だろうか。


「じゃん。わたし特製、魔力保存水晶です。わたしの魔力量の3割程度を保存できる、我ながら最高傑作の代物ですよっ」


 ふふん、と可愛らしいドヤ顔と共に差し出されたソレは、なんと未だ誰も成功していないと噂の魔力保存ができるらしい。


 魔力──《形式魔力タイプ・マナ》は何かに流し込んだまま放置しているとすぐに《素魔力エーテル》へと変わり、使いにくくなってしまう。

 誰もがそのままの状態で保存しようと試行錯誤したが、挑戦した全員がその難しさに舌を巻き手を引いたとか。


 つまり、俺の眼前にあるコレは、恐らくこの世界にふたつとないであろう貴重すぎる水晶なのだ。

 触れることすら烏滸おこがましいソレを、アリスは躊躇うことなく差し出してきたのだ。

 彼女は自分が成し遂げた偉業を自覚していないのだろうか。

 コレを売るだけで下手したら城が建つ──とまではいかなくとも、匹敵するだけの価値が確かにある。


 冷や汗が背筋を伝っていった。

 言葉が出ないという感覚は、こういうことを指しているのだろう。

 絶句──今の俺には相応しい言葉だ。


「これに手を触れて、ゆっくり魔力を注いでください。一気に流し込んでは割れてしまうかも知れませんから」

「あいわかった。1時間くらい掛けるわ」

「そんなにいりません。満杯にするには長くても10分程度で大丈夫ですよ」


 壊したらマジで万死に値するぞ、コレ。

 彼女は今一度書斎にある魔法についての文献を読んだ方が良いな。

 俺が言えたことじゃないが、非常識だ。


「それに測定水晶と違って魔力伝道性は普通なので、そもそもの話一気に流し込むのは大変ですから。ご心配なさらず」

「………、おう。じゃあ、いくぞ」

「ええ、お願いします。違和感を感じたらすぐに手を離してください」


 無論だ。


 俺は大きく息を吸って頭を冷やし、ゆっくりと手のひらを水晶の表面に触れさせる。

 この部屋で日に当たることもなかったせいか少し冷たく、それもあいってか興奮が治まっていく。

 余裕が生まれたのを自覚しながら、俺は普段よりも丁寧に魔力を練って注ぎ始めた。


 魔法を使う際に一番大切なのは魔力量だ。

 総量が多い程より複雑に魔法の条件を決めることができ、速度や爆発の範囲、持続時間などを自在に変えられる。


 しかし、あまり広く知られていないがソレと同じくらい大切なモノがある。

 ソレというのが『純度』だ。

 魔力は元々生命力として身体中に存在し、魔法を使う際に適切な状態に変化する、言い換えれば純度を変化させて対応する事象を引き起こしている……らしい。


 今回にいて言えば、彼女が欲しいのは魔力の状態で言えば所謂いわゆるニュートラル──最高純度のモノなのだ。

 故に、丁寧に練り込んでなるべくニュートラルに……《素魔力》に近い状態にしてから注ぎ込まなければならない。


 魔法を使う時とは勝手が異なるせいか、冗談で言った1時間があながち現実になりそうな気もしてきた。

 中々、難しいな……測定水晶に流れるのを阻害する何十倍も難易度が高く思える。


 彼女は恐らくそのまま流していいと言うだろうが、やるからには役に立ちたい。

 コレは、単なる俺のエゴなのだ。


「すぅ……ふぅ……」

「色はわたしの時と同じ、ですか。光の具合も似通っていますし、肉体の方に何かカギがあるかも……?」

「調べなきゃ、わかんねぇだろ」

「そうですね。別に急いでいるわけでもありませんし、ゆったり進めましょうか」


 そう傍で微笑まれ、俺は心臓が急に飛び跳ねたような感覚に陥りながらも魔力操作を乱さず続けた。


 そのまま数分雑談をしていると、突如として魔力が入っていかなくなった。

 アリスにそのことを尋ねると、どうやらソレが満杯の合図らしい。

 彼女はほくほく顔で水晶を受け取ると大事そうに机に置いた。


 にしても、結構な魔力が減ったな。

 コレが彼女の3割か──普通の人間にしてはかなり多いように思えるが、まぁその辺りにはまだ踏み込めない。


 信用と信頼は紙一重。

 俺は今信用を得られているが、だからと言って過去を軽々しく聞けるほど信頼されているわけではない。

 あまり気にしないでおくとしよう。


「さて、これでひとまずの目的達成です。あとは幾つかシグマさんに尋ねたいことがあるのですが、まだお時間はありますか?」

「ああ。と言うかあんまやること無いし寧ろ暇すぎるくらいだな」

「それは良かった。では少し試して欲しいものがあるので、待っててください」


 そう言って立ち上がると、アリスは壁際の机の上に置いてあった何かを手に取る。

 ソレを眺めて机に戻し、別のモノを手に取ってまた眺める。

 そう何度か繰り返すと納得がいったのか、軽く頷いてこちらに視線を寄越した。


「こちらです」

「……なんだコレ。剣の柄、か?」

「正解です。正確に言えば短剣の、ですね。昔興味本位で作ったものなのですが、わたしはこの通りなので扱えなくて。少しだけ魔力を込めてみてください」


 言われた通り短剣の柄に魔力を込める。

 すると本来ならば刀身のある部分が淡い光を発し始め、やがてそこから1本の光の筋が飛び出した。

 ソレはまるで陽炎のように揺らめき、しかし確かにそこに形を作っている。


「もしかして、コレ──」

「おそらく想像の通りで、魔力で刃を形作っています。魔力の刃ならば物理耐性を持つ魔物の肉も断ち切れるのでは、なんて思ったのがきっかけですね」

「へぇ。魔力だからか、軽いな。重さが柄の部分だけだから剣とかには向いてないかも知れんが、短剣は確かに良いかも……」

「シグマさんは近接戦闘が得意ですが、魔剣は目立ちますし剣は持ち運びに不便。それでふと思い出したんです」


 なるほど、確かにそうかも知れん。

炎舞之剣フレアグラディウス》や更に上の階級の魔剣は詠唱の時間がある上目立ちすぎるし、かと言って剣を腰にげるのは面倒だ。


 しかし、コレならば握って魔力を流し込むだけですぐに攻撃に転じられる。

 咄嗟の反撃にも使えるだろう。

 加えて柄の部分しか無いので隠すのも簡単だし、暗器としても役立ちそうだ。


「そちらは差し上げますので、どうぞ使ってください。ああ、不要だと感じたら遠慮無く言ってくれて構いませんよ」

「良いのか? 言っちゃアレだが、研究の成果なんだろ、コレ。そんな簡単に……」

「少し勘違いしているようですが、わたしは役立ちそうだから渡しているというわけではありません。シグマさんだからこそ、渡しているんですよ」


 ………。

 やべぇ、今心臓握られたのかと思った。

 クリティカルヒット、どストライク。

 なんでそう俺の心を的確にくすぐるようなセリフもこともなげに言うのか。


 俺だから、なんて言われて無碍にできる筈もなく、俺はありがたく短剣を頂戴した。

 ちなみに名前はそのまま《魔力短剣マジックダガー》となった。

 実にわかりやすい。

 俺好みだ。


「……じゃあ、アリス。コレの代わりに、というわけでもないんだが、ひとつ受け取ってくれないか」

「シグマさんからの贈り物……! ええ、勿論ですとも! 受け取りますとも!」

「ありがとう。それじゃあ──」


 アリスが表舞台に立つ以上、この先暗殺される可能性だって少なからず存在する。

 四六時中傍に居られるわけでもないので、この魔法を彼女に贈るとしよう。


「慈悲深き死の象徴にして、現世に存在せしすべての死命いのちついばむ者よ。

 永久とこしえの深淵のもと、其の運命を喰らい給え。

 輪廻の環から外れしおんは、何よりも深い慈愛への道標。

 恐るるなかれ、すれば主の慈悲にって何物にもがたい悦びを与えられん。

 ──《嘖む害鳥ホープレスイーター》」


 詠唱を終えると、視界に映るあらゆる影がゆらりと蠢き始めた。

 アリスが小さく肩を震わせた瞬間、溶け出すように無数のカラスが飛び出す。

 俺の周りを飛び回った後、カラスたちはアリスの足元の影へと飛び込んでいった。


「い……今の、は?」

「王級闇魔法の《嘖む害鳥》だ。まぁ護衛みたいなモノだと思ってくれ。襲われたりしたら影から飛び出して守ってくれる筈だ」

「王級……それはなんとも頼もしい。少し怖い気持ちがあるのは否定しませんが、どこか安心もしますね。ありがとうございます」

「こっちこそコレ、改めてありがとう」


 お互いそうお礼を言い合うと、俺は扉を開けてもらって研究室を後にした。

 アリスはまだあそこで色々やるらしいし、俺は夕飯まで書斎で本でも読むとするか。


 ついでと言っちゃなんだが、アリスに読ませるモノも見繕うとしよう。


*  *  *


「えっと……か、カラスさん。居ますか?」


 ──カァアアアアッ。


「わっ、本当に影から出てきた……。光沢は無いのにふさふさしてて、改めて見ると少し可愛く思えてしまいますね」


『カァアアアアアッ、カァアアアアアッ』


「ふふっ。なでなで……闇魔法は不思議な魔法が多いですね。《影踏シャドウ》に《影槍シャドウランス》、加えてこの《嘖む害鳥ホープレスイーター》……研究のし甲斐たっぷりで困ってしまいます」


『カァ……ッ?』


「いえいえ、取って食べたりしませんよ。だからこちらにいらっしゃって?」


『カァッ』


「うーん、見れば見るほど可愛らしい……とても死の象徴と忌避されているとは思えないですね。わたしを守ってくれるのですし、この子だけでも可愛がりましょうか」


『カァッ! カァッ!』


「ふふっ。……これで王級、ですか。冥級魔術師である彼の本気は、一体どれ程のものなんでしょう。いつか見てみたいものです」

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