第7話

 わかっていた。

 こうなることは、わかっていた。


 俺がマトモに人間として生きることは、決して叶わぬ願いだというのは。

 全てを投げ出しても、この忌まわしき呪いが解けることは無いというのは。


 ああ、こんなことになるなら──メビウス王国になんて、来るんじゃなかった。

 大人しく死んでおけば良かったのだ。

 命なんて無価値なモノを失うことを恐れる臆病者の自分が、何よりも憎かった。


「シグマさ──!」

「うるせーな……死にてぇのか、お前」

「ッ……!」


 自分が何を言っているのかわからない。

 思考がマトモに働かない。

 このままじゃ、ダメだ。

 早く、早く。


 早く──殺さないと。


*  *  *


 メビウス王国に来て約1ヶ月が経った。


 ペンダントやローブへ魔力を通したりするのにも完全に慣れてきた頃。

 身の回りの世話をしてくれるここのメイドさんらともそこそこの仲になってきた。

 まぁそこそこと言っても、料理を持ってきてもらった時にお礼を言いソレに笑顔を向けてもらえる程度のモノだが。

 皆可愛いので舞い上がりそうなのを抑えるのに必死なのは、ここだけの話である。


 平和な日常にも慣れ、楽しみと思える日々が過ごせるようになってきた今、俺にもいくつかやりたいことというのができた。

 色々あるが、まだ俺に叶えられることはひとつたりとも存在しない。

 もっと頑張らなければ。


「それではおやすみなさい、シグマさん」

「おやすみなさい、アリスさん」


 魔法学園への入学は2日後。

 本当の意味での生活がようやく始まる。

 楽しみも不安もあるが、そんなモノに構っていられる程の暇も無いだろうな。


 俺は確かに人間だが、同時にアリスの駒。

 彼女の期待通りの動きを成さなければ、捨てられても文句は言えない。

 それに、俺の存在が表に出た時どんな被害が生じるかも知れん。

 力を、付けなければ──。


「はぁ……はぁ……」


 明日の為にも部屋に入ってすぐベッドに寝転がったが、なんだか……息苦しいな。

 空気が上手く吸えていないのだろうか。

 体の感覚が曖昧で、どこか変な感じだ。


 別に疲れるようなことはしていない。

 適当に筋トレやら魔法の練習やらをしただけで疲れるほどヤワじゃあない筈。

 何が起こって──?


「ぐ、うぁ……! ア、アァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!」


 頭が痛い。

 体の節々が悲鳴を上げている。

 全身を駆け巡る魔力が、言い表せない程の激痛を伴いながら荒れ狂っている。

 なんだコレ。

 痛い、あまりにも、痛い。


 乾いた口から、絶叫が漏れた。

 いきなり何が起こって──!


「クソが……なるほどなァアアアアアアッ! スッカラカンにしてやったのに、テメェはまだ俺ン中居やがったのか!」


 神様のクソ野郎が。

 クソみてぇな俺がそんなに面白いか。

 だからテメェらは俺に無理やり不味いエサを食わせて生きながらえさせてんのか。

 この呪いは神とやらが俺の一生で遊ぶ為に付けた、深いモノなんだろうか。

 そうだったら、嗤えるな。

 反吐が出るくらいに。


 乱暴に、しかし壊さずに扉を開ける。

 早く外に行かなければ。

 このままじゃ、喰い殺される──!


「シグマさん」

「……退け、邪魔だ」

「ようやく、敬語を抜いてくれましたね。しかし邪魔とは少々傷つきますよ。……こんな遅くに何処へ?」


 ……アリスか。

 ああ、相変わらず綺麗だな。

 可愛くて、無垢で、美しい。

 ──思わず食ってしまいそうな程に。


「……何か、我慢させていましたか?」

「退けって、聞こえなかったか」

「素直に退いたら、あなたは一生戻ってきてくださりそうにありませんからね。手放すにはあまりにも惜しい」


 そんなに俺に価値を感じてくれてるのか。

 幸せだな、人に求められるってのは。

 あなたにここまで存在を認められて、似合わないが幸せな毎日なんだよ。

 あなたとまだ、あんな風に穏やかな日々を過ごしたいんだよ、俺は。


 だから今は、放っておいてくれないか。

 じゃなきゃ──殺してしまうだろうから。


「貫け──《影槍シャドウランス》」

「《削除デリート》」

「クハッ! 詠唱無しで俺の闇魔法を掻き消すだなんて、光魔法は厄介だなァ!」


 体が言うことを聞かない。

 彼女にこんな穢れた闇の──屍の積み重なった力を向けたくなんてないのに。

 なのに、彼女の魂が、魔力が、あまりにも魅力的過ぎて目が離せない。

 殺したい。

 喰らいたい。

 ──死にたくない。


 理性が薄れていく。

 生存本能なのか、闘争本能なのか。

 本能の赴くまま好きな人にすら手に掛けるだなんて……まるで獣じゃねぇか、俺。

 生きる楽しみを知ったせいで、こんなに生きたいと願ってしまうのかも知れんな。

 こんなとこ──来るんじゃなかった。


《影槍》を死角から何度も突き立ててソレの対処に意識を向けさせ、その間に距離を詰めて殴り掛かる。

 しかしアリスがたったひと言《削除デリート》と口にするだけで俺の闇魔法は消し去られ、俺の方へと視線を向けられる。

 だが、彼女の足では対応もできまい。


 そうどこかで考えながら《影踏シャドウ》で作った影の手で彼女の杖を取り、バランスを崩そうと足払いをひとつ。

 転んだ隙に一発──そう思った矢先、凄まじい光が俺の視界を焼き切った。

 思わず硬直してしまい、その隙に何かを腹に叩き込まれ壁にぶつかる。


 だが、別に痛くない。

 この体の内側を貪られるような痛みに比べれば、まったく気にならないモノだ。


 ああ、なんだろう、この昂りは。

 久しぶりの美味しい獲物に対して、柄にも無く興奮しているのだろうか。


 わからない、わからない、わからない。

 だけど、なんだか、凄く愉しい。

 理性が吹っ飛ぶ、本能が疼く。


 俺は思考が麻痺していくのを自覚したまま穴を空けんばかりに壁を蹴り飛ばし、アリス目掛けて突っ込んだ。

 先程よりも多くの魔力を影に伝わせ、未だチカチカする視界でアリスを見る。

 彼女は辛そうに、俺を見ていた。


 拳を振るう、風魔法で軌道をズラされる。

《影槍》を背後から突き出す、一瞬にして掻き消される。

 対処は上手いが、手数の違いがあるのだ。

 少しずつ拮抗が崩れていくのが感じ取れ、唇の端が吊り上がるのがわかった。


 やがて距離が縮まっていき、彼女が突き放そうと《疾風ソニックウィンド》を使ったタイミング。

 俺は足元の影で自分の腰を絡め取り、そのまま風魔法を使い続ける彼女の首を深く、力強く掴み取った。

 その瞬間、口元が赤い三日月を描いた。


「痛ッ──!」

「この国最強はこんなモンかァ!?」

「っあ……イヤァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!」


 手のひらを《影槍》で貫き、はりつけにする。

 俺は殆ど魔力も削れていないし、体に傷も付いていない。

 対して彼女は結構な血を流している。

 俺の勝ちだ。


 もう彼女は動けない。

 このまま、アリスの心臓を──。


「ふふ……結構、怖いんですね。死ぬという感覚があまりにも身近すぎます」

「………」

「ひと思いに、どうぞ。わたしが死んだところで悲しむ人なんて居ませんから。あ、ですが苦痛は少ないと嬉しいです」


 悲しむ人が、居ない……か。

 そんなことはないだろう。

 アクシアに、メイドたち。

 それに──俺だって。


 ……俺だって?

 わかんねぇ。

 クソ、白けた。


 俺は今まで、何をしてたんだ?

 アリスを前にして、何をしようとした?

 この床に広がる血は、何なんだ?


 すーっと、頭が冷えていく。

 熱い昂りが治まっていった。


 魔力を霧散させ、彼女を下ろす。

 同時にゆっくりと後ろを向き、自分が犯した行為から目を逸らした。


「あ……っ」

「……朝には、戻ります。すみません」

「シグマさ──!」

「うるせーな……死にてぇのか、お前」

「ッ……!」


 なんで殺さなかったのか。

 なんで殺されなかったのか。

 何もかもがわからなくて、恐ろしい。

 何も考えたくない。

 思考がマトモじゃない。


 今何か考えたら、足を止めてしまう。

 とりあえず、外に出よう。

 そこで何か殺せるモノを探そう。


 そうだ、この国には光の魔力を有する魔物が居るというダンジョンがあったな。

 光の魔力は他の魔力よりも濃度が高いという噂を聞いたことがあるし、人を殺さなくても良いかも知れん。

 そこに行って狩り尽くして、食うか、俺が呪いに喰い殺されるかだ。


「もう……こんなの、嫌だ」


 視界が僅かに霞んだ。


*  *  *


「わたしは、何を間違えてしまっていたのでしょうね……腑甲斐無い」


 血が流れ出る手のひらを見つめながらわたしはそう呟きました。


 いつも無表情で、しかし時には可愛らしい笑みを見せてくれるシグマさん。

 あんなに悲しそうで、辛そうな彼の顔は初めて見ました。

 ある程度の幸福は提供できていたと思っていたのですが、一体何を我慢させてしまっていたのでしょうか。


 しかし、相手が少なからずこちらを殺す気があったとは言え、あそこまで闇魔法で完封されるとは思いませんでした。

 相手の力量すら見極められないとは、最強を語るには力不足が過ぎましたかね。

 まだまだ精進が必要そうです。


「──あ、アリス様! 大丈夫ですか!?」

「……アクシアくん」


 防音魔法を使っていたのですが、やはりバレてしまいましたか。

 あれだけ強く壁にぶつかったり魔法を使ったりすれば当たり前ですがね。


「心配を掛けてすみません。大丈夫です。少しヘマをしてしまっただけなので」


 ……そんなに怖い顔をしないでください。

 わたしとて好きで彼にやられたわけではないのですから、許して欲しいです。

 あなたの姫の可愛いお願いですよ。

 なんてね。


「ッ……シグマ、ですか」

「ええ、まぁ。ここまで一方的にやられるとは思っていませんでしたが」

「やはりアイツは危険です。今からでも殺しておくべきですよ」

「その場合、恐らく彼を治療したわたしも殺されてしまいます。わたしは彼に死んで欲しくないですし、死にたくありません」

「でもッ──!」

「アクシアくん、出しゃばり過ぎです。これはわたしと彼の問題。あなたに口を出せる程の力はありませんよ」


 ……辛いですね。

 こんなにも良くしてくれる彼を、拒絶し否定しなければならないのは。

 彼にもシグマさんと仲良くして欲しいのですが、この調子ではしばらく時間が掛かりそうです。

 彼の悔しそうな顔から目を逸らしました。


 っと、そろそろクラクラしてきましたね。

 闇の魔力を直に食らったダメージも回復できましたし、そろそろ治癒魔法を使った方が良さそうです。


「──《治癒ヒーリング》」


 彼が手加減してくれたので、手に穴が空いただけで傷自体は小さいものです。

 中級──最下級の治癒魔法でも十二分に治癒ができる範囲で助かりました。

 わたしの多くて濃い魔力なら、中級でも上級の治癒と同じ効果が出ますしね。


 ……彼はわたしの目を見ながら、朝には戻ってくると言っていました。

 恐怖と後悔の映る暗い瞳には、ただのひとつも嘘が映っていなかった──彼は絶対に戻ってくると確信できます。


 彼が帰ってきたら、事情を聞きましょう。

 そして、彼の背負うものを少しでも軽くできるよう尽力しなければなりません。

 彼には、幸せになって欲しいですから。


「よいしょ……。アクシアくん、ここの片付けをお願いします。わたしは明日に向けて少し体力を温存しておきます。決して、彼に立ち向かわないように」

「ッ……承りました」

「ありがとうございます。そして、本当にごめんなさい」

「いえ。これが僕の役目ですから」


 ……本当に、ありがとうございます。

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