第3話

《魔法》


 ソレは、創造神ガイアがこの世界を創ると共に万物に与えた『魔力』を用いることによって起こる奇跡のこと。

 火を起こし、流水を生み、風を吹かせ、地を蠢かせ──そんな生物単体では不可能な事象を引き起こす。

 神のわざを現世に顕現させる為の世界との対話、と記されることが多いモノだ。


 魔法は基本6種類の属性から成っている。

 火、水、風、土、光、闇の6つだ。

 光と闇はあまり使われていないが、しかし魔力を知覚できる者になら使えるモノだ。


 そんな6つの属性元素はそれぞれ司るモノが異なり、火ならば『熱』、水なら『形』といった風に様々だ。

 それらを上手く組み合わせ、変幻自在に自身の思い描く事象を具現化できるようにするのが上位魔術師への道では重要となる。

 風単体では竜巻だが土と共に使えば強大な砂嵐になったりと、魔法の可能性は未だ無限大なのである。


 そんな魔法には大まかな階級が存在する。

 下から順に下級、中級、上級、王級、聖級、冥級、神級といった具合だ。

 中級程度までは才能があれば誰でも使えるらしいが、王級以上となると自分の持つ魔力と波長の合うモノでしか使えないとか。

 と言っても、王級以上の魔法を放つような機会はそうあるとは言えないのだが。


 神の力を一時的に借りて起こす奇跡。

 神などという存在を認めていないシグマにとっても、魔法が奇跡のようなモノであることは疑いようの無い事実だった。


 世界が生まれた時、偶然に偶然が重なり、様々な運命が重なり合って生まれた摩訶不思議なモノ──魔力、魔法。

 それは世界に満ちる《素魔力エーテル》と、物質に宿る《形式魔力タイプ・マナ》によって形作られる。


 この世の理すらも変えてしまうような絶大な力を有する、神のちからつぶて

 魔法は、とても素晴らしいモノであった。


 しかし、ソレは奇跡であると同時に──忌むべきモノでもあるのかも知れない。


 彼、シグマは──魔法が大嫌いだった。


*  *  *


 ──コンコン。


「シグマさん、入っても宜しいですか?」

「どうぞ」


 2回のノックの後部屋に入ってきたのは、片手で杖を突いている黒いワンピースを着たアリスと、衣服を抱えた少年だった。

 少年の瞳には敵意が満ちており、しかしそれは俺に対するモノもあるがアリスにも向けられているように見える。

 肉付きはそこそこ良いが、身長があまり高くないせいか年下のように見えた。


「こちら、シグマさんへ選んだ服です。魔法学園では制服が支給されますが、普段着はこちらを着てください」

「わかりました。えーと……」

「ああ、失礼。こちらはわたしのお傍付きのようなもので、アクシアと申します。昔からわたしに仕えてくれる物好きです」

「なるほど。よろしくお願いします」

「……誰が貴様なんかと」


 嫌われているようだ。

 いや、実際アリスが異常なだけで、コレが普通の反応なんだが。

 身近な使用人は説得したと言っていたし、納得していなくとも了承はしている筈。

 こちらから刺激するようなことが無ければ比較的安全だろう、きっと。

 主人の言いつけを破るようにも見えん。


 俺は内心苦笑いを漏らしながら彼の持つ服を丁寧に貰い受ける。

 シンプルな白のシャツに伸縮性のある黒いパンツ、サファイアのような宝石でできたペンダント。

 複雑な刺繍がされていたりはしないが、しかし肌触りなどから相当お高いモノであることが窺えた。


 極めつけは、この灰色のローブだ。

 持った瞬間にわかる魔力伝導性の高さ。

 こんなに魔力の伝わりやすい素材は、上位魔法を扱うような魔物からしか手に入らないだろう。

 しかも刺繍に使われている薄紫色の糸──コレは鋼蜘蛛アイアンスパイダーの糸に魔法石を練り込んで作ってあるようだ。


 よく伸び、丈夫で、魔力を帯びる。

 ブレイズ王国の刺繍糸の中では最もお高いソレは、大きな稲妻を形作っていた。

 衣服の中では最上級の素材をふんだんに使っていることがありありと伝わってくる。

 魔術師は喉から手が出るほどの性能をしているのが、着なくてもわかってしまった。


「……えっぐ。なにコレ」

「ふふ、喜んで貰えましたか?」

「こんなのを俺が使っていいんですか?」

「あまり関係無いかも知れませんが、見てくれは良くするに限りますからね。身なりが整っているだけで結構変わりますから」

「……ありがとう、ございます」


 何から何まで、借りてばかりだ。

 果たして俺は彼女からの多大過ぎる恩を一生のうちに返すことができるのだろうか。

 自分の力がそれほどではないことを理解しているからこそ、俺はソレが不安で仕方が無かった。


 俺の言葉を満足そうに聞いたアリスと不機嫌なアクシアが部屋から出ていくと、扉の向こうから何かを言い合う声が聞こえてきた。

 それなりに戦えるとは言え夜眠っている時に寝首を掻かれんとも限らんし、どうにか彼からも信用を勝ち取りたいところだ。

 アリスに従っていたとしても、彼女が心配で不穏分子を排除しようと俺のことを──なんて可能性は捨てきれない。

 しばらく気は抜けないだろう。


 嘆息しながら服を脱ぎ、シャツを着る。

 薄いがよく伸びてくれるのでかなり動きやすそうだし、温度変化にも耐性があるのかどこかひんやりしていて気持ちいい。

 パンツの方も伸縮性抜群な上、通気性も抜群という素晴らしいモノだ。

 冬は寒いだろうがその頃には多少なりとも自分の金もあるだろうし、あまり心配する必要は無いだろう。

 ……それまで生きているかは知らんが。


 元々着ていた寝間着のようなモノを畳み、最後にローブをゆっくりと羽織る。

 体の中を巡っていた魔力の流れが変わり、鋼蜘蛛アイアンスパイダーの糸を辿っていくのがわかった。

 どの程度魔力を込めていいのかイマイチわからないが、コレならば下級魔法程度なら直に食らってもすぐに立ち上がれるだろう。

 サイズは少し大きいが、俺は今15歳。

 まだまだ成長の余地はあるだろうし、すぐに気にならなくなる筈だ。


 たった3枚の服だけで普通ならばありえない程の金や手間が掛かっている。

 それだけのモノを掛けるだけ、彼女は俺に利用価値を感じてくれているのだろう。

 こんな呪い子の俺に、だ。


「……恵まれ過ぎだな、本当に」


 無意識に口角が上がっていた。


 しかし、自分の心に満ちた『コレ』が何なのかは、わからなかった──。


*  *  *


 外に出た。


 やはり王族ということもあるのか庭園の広さはいっそバカバカしい程で、俺たちはそんな中にある開けた場所に来ていた。

 メイドなどは誰も付いてきておらず、俺とアリス、アクシアだけがそこに居る。

 俺の魔法の程度を確認するらしいが、的のようなモノが無くては撃とうにも庭園の草木を傷付けてしまう。

 どうすれば良いのだろうか。


「ふぅ……少々運動不足ですかね。まさか家の中を歩くだけでこうなるとは……」

「以前から車椅子を提案しているのに突っぱねるのはアリス様でしょう。何故頑なに杖で歩くのですか?」

「たとえあなただとしても、わたしの足を任せることは決してできません。それに最悪風魔法で浮けますしね」

「………」


 悔しそうだな、アクシア。

 だがアリスのそれは信頼していないとかではなく、ただ単純に車椅子そのものが好きじゃないだけに思えるが。

 車椅子を自分で動かすのは疲れるし、かと言って常にアクシアに押してもらうのも申し訳が無い──とかだろうか。

 まぁ全て憶測だし、本人がどう思っているかなんてこれっぽっちもわからん。

 興味も無いしな。


 そんな彼らのやり取りを横目に俺はゆっくりとローブも含めた全身に魔力の流れを行き渡らせる。

 一度限界スレスレまで魔力を使い果たしてしまったし、なるべく早く普段通りに戻さなければ。

 リハビリを怠って最大魔力量が減ったりしてはたまったもんじゃないからな。


「それではシグマさん。わたしに向かって得意属性の下級魔法を撃ってください。一応言っておきますが、闇属性は禁止ですよ。学園で使わせるわけにもいきませんからね」

「……えーと、大丈夫なんですか? 下級とは言え食らったらマズい気が──」

「わたしの魔力は光ですよ? 光は全属性に対して耐性、特攻を持っているのは有名な話ですし、そう簡単にわたしの魔力障壁は破れませんから」

「……わかりました。では、火を」


 少し心配だが、彼女から漏れ出る魔力量から考えて言葉通り障壁を突き破ることは不可能だろう。

 俺が少し距離を取って向き直ると、アリスは不敵な笑みを浮かべて俺の双眸をその美しい灰色の瞳で射抜いていた。

 彼女が右手を掲げるとその前に半透明の壁が現れ、アクシアや庭園の草木を覆う。


 庭園で火魔法を使うとはこれ如何に、とも思うが、生憎俺の魔力は水魔法や土魔法を使うには相性が悪い。

 彼女も得意属性の下級を、と言っていたし咎められはしない筈だ。

 それにこの庭園は結界が張ってあるからそう甚大な被害は出ないだろう。


「ふぅ──いきます」

「ええ。よろしくお願いします」


 ゆっくりと、口を開く。

 下級魔法なので無詠唱でも放てるが、あえて口に出すことで意識を集中させる──。


「文明の始祖たる蓮炎の精霊よ。

 我が呼び掛けに応え、其の雄大なるちからを今我に授け給え。

 地を焼く紅き聖炎を上げ、清廉なるほのおで総てを焼き焦がさん。

 ──《火弾ファイアボール》」


 詠唱と共に手のひらサイズの火の玉が俺の眼前に生まれ、ソレは赤く燃え盛り膨大な熱と光を周囲に放ち始める。

 ソレを見たふたりが驚いたように目を見開くが、特に気に留めることもなく一直線にアリス目掛けてぶっ放した。


 スピードはそれなりで、ある程度魔法に慣れた者ならば躱すのは容易いだろう。

 だが今は別に殺し合いをしているわけでもないし、実力を測るなら威力の方でやってもらった方が良い。

 威力の方に魔力を回したし、同じ魔力量の《火弾》よりそこそこ火力が高い筈だ。

 と言っても、全力で撃って庭園を焼くわけにもいかんし抑えてはいるのだが。


「これは……やはり、危険過ぎる……!」

「下級魔法でこの魔力量、ですか……目を見張るものがありますね」


 そんなことを言いながらアリスが右手をふっと握りしめると、俺の《火弾》は一瞬にして彼女の魔力で掻き消された。

 熱風が肌を撫で、魔力の残滓が霧散する。

 やはりこの程度は簡単に対処されるか。

 王族と言えどもう少し苦戦してくれると思っていたのだが、この国の魔法レベルはブレイズ王国よりも高いようだ。

 予想してはいたが、危ないところだ。

 俺にとっては。


「……素晴らしいですね、シグマさん。これならば合格間違い無しでしょう。闇属性以外にこれほどの力があるのなら、十二分に周りに力を見せることができそうです」

「ありがとうございます」


 褒められた。

 マズい、ニヤケそうだ。

 今まで褒められることが殆ど無かったからなのか知らんが、恥ずかしいし、嬉しい。

 俺は必死に口角を引き下げた。


「それでは、これは興味本意なのですが……闇魔法の方も見せていただけませんか?」

「アリス様! それは──!」

「危険なのは承知の上ですが、それでもわたしは知りたいのです。わたしたちの恐れるエシュヴィデータが、どれほどの力を有しているのかを、ね」

「……闇魔法なんて地味なモノですよ。下級ともなれば、見る価値すらありません」

「それはわたしが決めることでしょう?」


 ……本当に地味なんだが、まぁ彼女が見せろと言っているのだ。

 下級魔法で彼女たちに見せられるモノはいくつかあるが、その中でも最も危険の無い魔法にしよう。

 これで俺のことを侮ってくれたりしたら動きやすいのだが、まぁいい。


 俺が魔力を弄っているのを感じ取ったらしいアリスは再び魔力障壁を生み出すと、先ほどよりも厚く広く張る。

 しかし、ソレが意味を成していないことに内心嗤いながら俺は小さく口を開いた。

 魔力を言の葉にしっかりと乗せ、闇魔法に唯一許された事象を引き起こす──。


「──《影踏シャドウ》」


 その瞬間、何かが脳裏をぎった。

 バチッ、と電気のような何かだったが、小さいソレを気にすることなく俺は《影踏》の制御に意識を向ける。

 闇属性下級魔法《影踏》

 目に見える範囲の影を実次元に具現化させて自在に操る、というモノだ。


 魔力を地面や壁といった影の映るモノを伝わせて操るのだが、人やその他生物に映る影は操ることができない。

 しかし、闇魔法は下級でもそれなりの力を有しているので、油断していれば簡単に相手の首をれる。

 相手の足元に映る影を手の形に変えて拘束したりと、できることは多彩だ。


「わっ……! 闇魔法の媒質は光魔法とは対極に影なんですね。こちら、触っても?」

「どうぞ。と言ってもあまり感触は良くないと思いますが」


 興味津々に、しかしおっかなびっくりアリスは影の手にそのしなやかな腕を伸ばす。

 光の魔力で浄化されたり……は無いか。

 本質的には魔力というまったく同じモノを含んでいるし、波長が真反対でも打ち消す程度で済んでくれる筈だ。


 ──ぴとり。


 アリスの手のひらと、影の手のひらがぴったりと合わさった。

 寸分と違うこと無くその手は彼女の手と合わさっており、まるで鏡に触れているようにも見える。

 と言っても、彼女の触れるソレが真っ黒な影の塊であることを除けば、だが。


「あぁ……っ。温かい……光魔法なんかよりよっぽど、温かくて、優しい魔法……」


 うっとりした表情でアリスはそう呟いた。

 俺も自分に影の手を触れさせてみるが、別に温かくも冷たくもない。

 現実には存在し得ない影という名の『無』がそこにあるだけだ。


 アクシアはアリスの様子に困惑しながらも、影の手に触れることはついぞ無かった。

 1分ほど経つと彼女の表情はすっかり元通りのそれになっていて、満足そうな微笑みと共に合格を伝えてくれた。


 まぁ、結果としては上々に終わったのではないだろうか。

 実力もある程度発揮し、闇魔法がイメージほど危険なモノではないと伝える。

 どちらもできている筈だ。


 アクシアは俺を危険視しているのか数分後文句を垂れ続けたが、アリスがお傍付き如きが王女の言葉に口を挟むな、的なことを言えば悔しそうに黙った。

 何故こうもアリスは俺の肩を取ってくれるのかイマイチわからないが、だからと言って俺の今後が変わるわけでもない。


 ただ彼女へ恩を返し、ほぼ不可能に近いが仮に全て返し終えたのなら、適当に世界を旅でもしよう。

 今回のコレは、最低限の第一歩。

 俺の人生は、まだまだこれからの筈だ。

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