第2話

 アリス・メビウス・クロノワールと契約のようなモノを交わしてしばらく。

 いつの間にか昼食の時間だと言うことで、俺は彼女に連れられて食堂へと赴いた。


 メビウス王国にはしょうと呼ばれる不思議なモノがあり、太陽がほぼ天辺に来た時に鳴ると丁度半日を指すらしい。

 1日に4回、等間隔で鳴るとか。

 そんな時鐘の2回目が鳴ってから昼食を食べるのがこの家のルールだそうだ。


 しかし、軽視されていると自称する彼女はこんなこともそうなのか、いつも家族の中で最も遅い時間帯に食事をするらしい。

 別にわざわざ分ける必要も無いだろうと尋ねてみたが「王位争いをするわたしたちの仲は決して良いとは言えないので、これで良いんですよ」と言われてしまった。

 本人がこう思ってるのなら良いが、やはり王族はどこでも歪なんだな、と思った。


 俺は例外だが、俺の兄弟らもあまり良い関係性を築けてはいなかったそうだしな。

 ……まぁ、今となってはアイツらもどうでもいいんだが。

 母国から逃げ出し、あまつさえ敵国の王女の駒として動くのだから、家族のことなんて考えてる暇も無いだろう。


 食堂は大きかった。

 王族なのだからここで食事会などをすることもあるだろうし、立派なことには納得できるが……しかし装飾過多ではないな。

 ギラギラしていない、良い雰囲気だ。

 権威を見せびらかすように装飾ゴテゴテの場所だったらと思っていたが、杞憂だったようで安心である。


 証明は明る過ぎず、かと言って手元や相手の顔が見えない程暗いわけではない。

 部屋は赤を基調とし、落ち着いて食事をするイメージがすぐに浮かんできた。


 テーブルマナーとか大丈夫だろうか。

 最近は投げ出される硬いパンを手掴みでムシャムシャしていた記憶しか無い。

 仮にも王族なのに作法が壊滅的では失望されかねんし、どうにかマナーの記憶の引き出しを開けなければ。


「どうぞ、お掛けください」

「今更ですが、俺も頂いて良いんですか?」

「勿論ですよ。手札は最善の状態で保っておかなければ──なんて。単にわたしだけ食すのも居心地悪いと思っただけです」


 どっちが本音なんだか。


 そんな悪態をくわけにもいかず、俺は大人しく彼女の向かい側に腰を下ろした。

 ……椅子ですら柔らかいのかよ。

 流石は王族、と言ったところか。

 背もたれも柔らかい皮で包んであるお陰か体を預けても痛くなく、寧ろずっと座っていたいと思ってしまう程だった。


 アリスと交わす言葉は多くない。

 自己紹介の時に言ったように、無駄話や世間話はあまり好まないようだ。

 こちらも話は苦手なのでかなり助かる。


 無言で目を閉じどこか集中した様子の彼女をぼーっと見ていると、メイドらしき人が昼食を持ってきてくれた。

 アリスはトマトパスタ、俺は柔らかそうな見た目のパンがいくつかだ。

 病み上がりでいきなり油を摂取して胃を刺激した結果具合が悪化、なんてことになっては叶わん──ということらしい。


 ……死ぬ間際、パンでも食べたいと思っていたのが口に出ていたのだろうか。

 いや、流石に偶然か。

 にしても、今まで食べてきたパンとは違ってかなりふっくらしているな。

 美味しそうだ。


「大地の恵み、海の恵み、空の恵み。主が与えしすべての恩寵に感謝を。いただきます」

「……いただきます」

「あら、別にあなたはわざわざ言わなくても良いんですよ? これはメビウス王国民の文化ですので」

「命を頂くので、これくらいは」

「ふふ、噂も当てになりませんね。命に感謝するような人々ではない、と散々お父様はあなたたちのことを形容していましたよ」


 ……いや、その通りです。

 いただきますなんて言ったのは初めてだ。

 感謝したことなんて、ただの一度も無い。


 力ある者が力無き者から奪い、喰らう。


 それがブレイズ王国の大原則だ。

 命なんて自らと相手を量る為の要素。

 感謝なんてする程特別なモノではない──というのが、あの国の常識なのだから。


 美しい所作でフォークを繰る彼女から目を逸らして俺もゆっくりとパンを掴む。

 少しずつ力を入れていくと、あっという間にソレは真っ二つになった。

 ……本当に柔らかいし、温かい。

 わざわざ俺の為に用意してくれたのだろう。

 なんだか、胸がじんわりとした。


 バターをバターナイフでひと塗りし、恐る恐る口に運ぶ。

 ここまで来たら毒が入っているかなんて疑うこともないが、しかし久しぶりのマトモな食事に少々緊張しているようだ。

 手が無意識に震えていた。


「……!」

「ふふ。美味しいですか? この国で栽培されている小麦はかなり上質ですし、料理人も腕の立つ方ですから。お口に合うと宜しいのですが」

「ええ。……とっても、美味しいです」

「それなら、良かったです」


 それきり食堂は静寂に包まれる。

 いっそ耳が痛くなる程で、しかし決してそこに気まずさがあるわけではない。

 不思議な沈黙だった。


 フォークと皿が立てる音や咀嚼音すら鮮明に聞こえると、彼女は少しだけ恥ずかしそうに頬を赤くする。

 今まではひとりで食事を摂っていたと言っていたし、その辺りは考慮できていなかったのかも知れない。

 俺は特に気にすることもなく、ただ無心でパンに齧り付き続けた。


「……そう言えば、俺の黒髪を見ても誰も変な態度を取りませんね」

「身近な使用人は説得しておきました。いざとなったら──いえ、忘れてください」

「いざとなったら殺せる……と?」

「忘れてください、と申しました」

「ハイ」


 この人、可愛くて綺麗なのに……怖い。

 どこからこんな圧力を出しているのか、いっそ疑問に思えるほどだ。

 目線だけで死ぬかと思った。

 いや、実際《素魔力エーテル》の乱れがあったし、可能性としてはゼロではなかったのかもな。

 ……やはり下手にいった方が良さそうだ。


「──驚きました。今のを感知するとは」

「……? 何の話ですか?」

「《素魔力エーテル》です。まぁいずれ話すことになるでしょうし、今は置いておきましょう。そんなことよりも、あなたのことを聞いてもいいですか?」

「どうぞ。と言っても、特筆するようなことを経験してきたわけではありませんが」


 俺の人生なんてつまらないモノだ。

 いや、もはや『人生』と形容することすら烏滸おこがましい程に不格好なんだがな。

 そんなことを考えながら、俺は彼女からの問いに答えた。


「それではまず、何故昨日あそこで血塗れになりながら倒れていたのですか? あなたは魔力も血も尽きかけていたのに、我が国の兵には一切の損害もありませんでした」

「……少々王国に嫌気が差しまして。これからも何十人と追手が来るならいっそ手出しできないここに、と思って逃げ込みました。どうせ死ぬなら、せめてアイツらに手柄をやりたくなかったんですよ」


 一応正直に答えておく。

 我ながらかなり胡散臭かった。

 しかし嘘は苦手なので、無理に策を巡らせるよりは信頼を得られる可能性にかけた方がマシだろう。


「ブレイズ王国の人間。目的の為、王族を捨て駒として使う可能性……いや、黒髪の王族をわざわざスパイに起用するとは……でも可能性としては捨てきれない……?」

「………」

「そもそも、光属性が闇属性に勝っていたのは過去の話……今のわたしたちが彼に確実に勝つことは可能……?」


 まぁこうなるか。

 逆の立場なら俺は助けることすらせずに追い討ちを掛けることだろう。

 不安要素は排除するに限る。


 しかし、彼女は俺という手駒になり得る存在に価値を感じてくれている。

 きっと疑いはこの先ずっと残るだろうが、その中である程度信頼してもらえるよう動く必要がありそうだ。


「──こほん。つまり、あなたは追手との戦闘で傷付き魔力を消費していた、ということで間違いないですか?」

「……ええ、まぁ」

「なるほど、わかりました。他にも聞きたいことはありますが、それはあなたも同じ筈。互いに今は飲み込むことにしませんか? ブレイズ王国に対する思いなども気になりますが、聞かれたくないでしょう?」

「そう、ですね」

「それでは、深い詮索はもう少し時が経ってから、ということで」


 助かる。

 あまり思い出したいモノでもないからな。

 いつか向き合わなければならない時が来るのかも知れないが、その時はその時だ。

 今はただ、この新たな生活を楽しもう。


「先程『王立神魔魔法学園に入学する』と言いましたが、シグマさんにも入学していただいても宜しいですか? 壁を挟んでは動かせる範囲も狭まるので」

「構いませんが……来月入学なんですよね。今更俺の入る席が空いてるんですか?」

「ええ。あそこは完全実力主義なので、力ある者は基本拒みません。わたしの口添えもあれば受験資格くらいは得られるでしょう」


 受験って。

 感覚で魔法を覚えてきた俺は魔法が何たるかなんてわからないし、筆記試験を突破できる知識は無いぞ。

 仮に落ちたら役立たずとして殺されるかも知れないが、たった1ヶ月で受験に必要な知識を詰め込むのはほぼ不可能。

 こんな終わり方なのか、俺の人生……?


「……心配し過ぎですよ。完全実力主義、と言ったでしょう? どの程度魔法を扱えるか試すだけです」

「なるほど。しかし、俺のモノが基準を満たせているかイマイチわかりません」

「確かにそうですね。では食事を終えたら少し見せてもらえますか? 魔力も上級魔法を使える位には回復したでしょう?」

「はい」


 食事をした──エネルギーを補給したお陰か7割程回復した魔力は、ゆっくりと普段と同じように体内で循環している。

 大抵の魔法では枯渇しないだろう。

 それにこの国はブレイズ王国と異なり国内の戦いが少ないのか、《素魔力エーテル》の濃度が他より幾許か高めだ。

 最悪ソレを使えば良い。


 しかし、ブレイズ王国では一応上位の魔術師だった俺だが、彼女の期待に応えられるのだろうか?

 実践でしか発展してこなかったブレイズ王国と違い、ここでは魔法に関する研究などもされている筈。

 そもそもの魔法の基準が比べ物にならないような高さなら、結構マズいのだが。


 ……まぁ、なるようになるか。

 コレでも呪いの力を持ってるんだ。

 大抵の壁は乗り越えずとも壊すことはできるだろうし、あまり気負い過ぎる必要も無いだろう。

 緊張のし過ぎで実力が発揮できない、なんてことになってはシャレにならん。

 リラックスだ、リラックス。

 普段通りで良い。


「──ごちそうさまでした」

「……ごちそうさまでした」


 昼食──俺にとっては朝食も同然だが──も食べ終え、俺たちは手のひらを合わせてそう言った。

 本気で感謝している人がどれほどなのかはわからないが、こうして口にするだけで多少は意識も変わるのだろうか。

 命への感謝……不思議な感覚だ。


「では、先程の部屋で少しお待ちください。すぐに着替えを持ってくるので」

「……そういうのって、メイドとかがやるわけじゃないんですか」

「そうですが、説得したとは言えあなたと1対1で対面しては何が起こるかわかりませんからね。メイドが減るのは嫌ですので」


 俺が為す術も無く殺られる可能性は考慮してくれないんですか、アリスさん。

 それとも、ここのメイドは護身術などが主で魔法はそれほどのモノではない、ということなのだろうか。

 まぁどちらにしろ、俺はアリス以外にこうべを垂れるつもりは基本無い。

 関わりを持つことも殆ど無いだろう。

 気にするだけ無駄だ。


「……では、お言葉に甘えて。軽く身嗜みを整えてお待ちしています」

「ええ。これから先の普段着──外行きの服になるので、気合いを入れますよ。何せ初めての直属の部下ですからっ」


 ──奴隷じゃなくて安心した。


 勿論口には出さずに安堵する。

 ブレイズ王国では戦いに負けた者の扱いは勝者の自由となり、他は一切の関与をしないのが常識。

 奴隷になったヤツは、沢山見てきた。

 彼女は本当に、優しい人のようだ。

 俺たちとは、違う。


 輝かしい微笑みに心を掻き乱されながらゆっくりと頭を下げる。

 今まで味わったことのない不思議な感覚に身を焦がしながら、俺はゆっくりと先程の部屋へと歩き始めた。


 あの美しい笑顔が、頭から離れなかった。

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