第1章 入国編

第1話

「──ッ」


 目が覚めた。

 意識が覚醒した。

 ……何故だろうか。


 俺は昨日、確かに死に瀕していた。

 魔力枯渇に出血多量、加えて記憶が確かならクロノワール家の人間に見られた筈。

 生きている筈が無いのに、こうして俺は目を覚ましてしまった──明らかに何かおかしなことが起きている。


 思考は……しっかりと働いている。

 魔力も、7割程度は回復している。

 問題なく活動はできるだろう。

 できると言っても、するつもりは無いが。


「メビウス王国──光の王族のもとで築かれた世界最大の国家、か。なんでわざわざここに来ちまったんかねぇ、俺は」


 敵国であるここに来た理由として、追手がそう簡単に手出しできないだろうという考えがあったのは確かだ。

 が、俺のような異端者がこの国でマトモに生きていける筈も無い。

 一体、当時の俺は何をバカなことを考えていたのだろうな。


 ……アイツらに俺を殺したという手柄をやるまい、なんてクソガキのような意地があったのかも知れん。

 そう考えると、俺もただのガキなのか?

 呪い子だとしても、普通の人間たるに値するモノを持っているのか?


 ……下らねぇな。

 どうでもいいや、そんなこと。


「……天使。そう、天使だ」


 今重要なのは、あの天使──のような少女のことだ。

 クロノワール家の人間。

 天使のような人だったが、俺の敵だ。


 俺の名は、シグマ・ブレイズ・エシュヴィデータ。

 ここから遥か東へ行ったところにあるブレイズ王国の王族──としての地位やその他諸々を放り捨ててきたガキ。

 メビウス王国と敵対し続けているそこからの追手は、俺に勝てるようなヤツならばそう簡単にこの国の中には入れない。

 その辺りの心配は必要無いだろう。


 そして彼女は、クロノワール家の人間。

 クロノワール家は、遠い過去にエシュヴィデータ家が惨敗したと言うところだ。

 最強の属性──光属性の上位魔法を操る人間が生まれる唯一の血筋だった筈。

 闇魔法と光魔法。

 そのふたつ、つまり両家の間にそびつ高い壁は、何百年と続く睨み合いによって造られたモノだ。


 状況から考えて、俺はあの人に助けられたというのが妥当だろう。

 しかし、彼女に俺を助けるメリットが一体どこにあると言うのだろうか?

 敵国、しかも彼女の家が最も敵視している人間らのうちのひとりなのだ。

 生かしておく道理は無い。


 ……目的が読めないな。

 まぁ、別に俺個人が敵視しているわけでもないのだから、先入観のまま物事を考えるのはよしておくとしよう。

 とりあえず今勝手に動くのはあまり良くないだろうし、このままこの部屋で誰かがやって来るのを待つのが無難か。


 ──と、思っていたその時だった。


「ん、んぅ……っ?」

「あ?」


 誰か居た。

 今まで窓の方にしか視線を向けていなかったせいか、扉の近くの椅子に腰掛けて眠るその人に気づいていなかったらしい。

 人の気配には敏感な方だと思っていたが、やはりどこか気が抜けているようだ。


 見覚えのある金塊を鋳溶いとかしたような髪。

 ゆっくりと開かれた灰色の双眸。

 ……居たのかよ、この人。


 しっかし、相も変わらず綺麗な人だ。

 本当に俺と同じ種族なのか疑うくらいだ。

 いや、光と闇なんて対照的な血を持つ俺たちは、もはや違う種族なのかもな。


 女神のような命の恩人である彼女は、ゆっくりとその唇を開いた。


「あら、起きていたんですね」

「……どうも」

「具合はどうですか? 闇の魔力を保有している方に光属性の治癒魔法を掛けたので、少しでも違和感があったら言ってください」

「いえ、特には。体も魔力も大丈夫です」

「そうですか。それなら良かったです」


 本当に心配しているのだろうか。

 駒が使える状態か確かめただけ、なんて可能性の方が彼女の立場を考えれば高い。

 素直に言葉を飲み込むことは今の俺にはできそうもなかった。


 あまり疑いたいわけではないが、だからと言って素直になって死んでは折角命を拾った意味が無くなってしまう。

 信頼しつつ、警戒もする。

 中々難しいが、やるしか道はなさそうだ。


 ふわりと微笑みながら安堵され、俺はその表情の裏に潜んでいるであろう意図を探ろうと目線を巡らせる。

 しかしどこにも違和感は無く、俺の観察力では彼女には敵いそうにはなかった。

 あまりにも全てが自然過ぎて、本当に俺のことを心配しているのだと勘違いしてしまいそうだった。


「さて、まずは自己紹介をしましょう。お互いのことを何も知らぬままでは、話し合いも覚束無いでしょうしね」


 そう言いながら彼女は傍らにあった杖を手に取ると、ソレを床に突きながら立ち上がって俺に頭を軽く下げる。

 もう片方の手でスカートの端を摘みながら行われるその所作は、彼女がここの王族であることをまざまざと物語っていた。

 ……デカい借りになりそうだな、本当に。


「わたしの名前は、アリス・メビウス・クロノワールです。是非『アリス』とお呼びいただければと思います」

「……シグマです」

「家名は?」

「知っているんでしょう」

「ふふ、そうですね。確かにそうでした。シグマ・ブレイズ・エシュヴィデータさん。シグマさん、とお呼びしても?」

「どうぞ」


 女の子に名前を呼ばれるだなんて、一体何年ぶりのことだろうか。

 少し照れる。

 無論、表情筋は動かさないが。


 人と関わりを絶たれてから早10年。

 敬語を忘れていなかったのは不幸中の幸いとでも言うべきなのかも知れんな。

 あまり失礼な態度を取って処分されては叶わんし、激しく抵抗する意思が無いことをしっかりと示さねば。


 あくまでしたに、しかし従属はしない。

 俺はコレでも、人間だ。

 上手く立ち回っていこう。


「さて、どこから話しましょうか。あなたも王族なのですし、軽く会話を交わすのはお好きですか?」

「いえ。寧ろ若干苦手です」

「ふふ、それを聞いて安心しました。わたしも建設的な話以外はあまり好まない故、単刀直入に言いますね」


 そう言いながら彼女は部屋のドア付近に置いてあった椅子をベッドの近くに持ってくると、それに浅く腰掛ける。

 肩に掛かる金髪をさらりと払うと、こほんと咳払いをひとつしてから強い目線を俺に寄越してきた。

 あまりの圧と美貌に、内心後ずさった。


「まず、わたしはこの国の第三王女です。そしてメビウス王国は未だ男尊女卑気味な部分がある上、お兄様方は十分に王族としてやっていける能力を持っているのです。

 故に、わたしは家族──いえ、この国自体から少々軽く見られています。最近は抵抗の意思よりも諦念が心に満ちていましたが……そこにあなたが舞い込んできた」

「お……自分ですか?」

「楽にしていいですよ。俺、と自称してもらって構いません。……ここからは頼み、というモノになるのですが──シグマさん、わたしと組んでいただけないでしょうか?」


 ……組む?

 彼女は別に国家転覆を図っているわけでもなさそうだし、俺に協力できるようなことは少ないと思うんだが。

 大して頭が良いわけでも、身体能力が突出しているわけでもない俺が協力したところでそう変わる筈も無い。


 そもそも、彼女から感じる魔力──制御できていてコレなのだから、相当な量の魔力を有している筈。

 大抵のことは自身でできるだろう。

 あんな重症を負っていた俺を傷痕ひとつ残すことなく完治させているし、魔法の扱いも十二分に思える。

 俺が協力する余地は無いような……。


「わたしは来月から王立神魔魔法学園へと入学します。そこは『王立』とは名ばかりの独立した機関なので、そこで何かを成し遂げられたならば大きなアドバンテージとなる筈。

 しかし、見た目通り体の弱いわたしにできることは少ないので、挙げられる成果はかなり限られてきます。そこで──」

「俺……に、あなたの駒、それもクイーンになって欲しい──ということですかね。あなたの自由に動かせる駒に」

「そういうことです。と言っても、あまり激しい動きは求めないですよ? 護衛や言伝などが主になると思います。無論、住居の提供や権力的な保護を約束します」

「………」


 正直、条件としては悪くない。

 彼女なりの考えがあり、俺をその過程の中で利用しようという明確な意思がある。

 変に裏を探り合う必要も無い。


 しかし、やはり敵国であるここで生きていけるのかと問われれば、難しいと答える他ないというのが現実だろう。

 提案の内容はコレだが、将来奴隷のような扱いを受けないとも限らん。


 苦痛と共に生きるくらいなら、死んだ方がマシというのが俺の正直なところだ。

 未来に賭け、提案に乗るか、蹴るか。

 クソ、悩む……。


「──断ったら、俺は?」

「ふふっ……さあ?」


 あ、死ぬわ、コレ。


 闇は光に敵わない。

 これは魔法というモノが創られた時から決まっている不変の事実である。

 俺が彼女に勝つのは、ほぼ無理と言っても差し支えないだろう。

 王族の血に流れる高純度の光の魔力。

 ソレをモロに食らえば、俺の命はあっという間に散ってしまうに違いない。


 死にたいか? 否。

 生きたいか? 否。


 どちらにしろ構わない。

 後は、俺の意思だ。


 正直、恐ろしい。

 常に敵対の視線を受けながら生きる。

 ソレに耐え得るのだろうか、俺は。

 断りたい気持ちの方が強いのでは?


 ……しかし、彼女は恩人だ。

 それもただの恩人ではなく、正真正銘『命の恩人』である。

 彼女からの借りは大きい。


 受けた恩は、返さねば。

 こんなでも俺は、王族だ。

 たとえ大嫌いな血であろうと、ソレは王族として──いや、それ以前に人として当然の義務である。

 逃げることは、自身が最も許せない。


 ──答えは決まった。


「……できる限り、動きましょう」


 俺はゆっくりと頷いた。

 彼女が満足そうに微笑んだ時、俺は自らの回答は正しいモノだったと確信した。


 灰色の目を細め、窓から入る風によってなびく美しい金髪を押さえながら向けられた彼女の微笑は、あまりにも美しかった。

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