第0章 プロローグ

第0話

「はぁ……はぁ……ッ」


 意識が朦朧としている。

 思考がマトモに働かない。

 呼吸をする度にあばらが悲鳴を上げ、眼球の奥深くがズキズキと痛む気さえする。


 ここまで来たのに、死ぬのだろうか。

 いや、どうせダメ元でやって来たんだし、別に嘆くようなことでもないか。

 元々、俺のような人間がこれ以上生きるのが間違いというモノなのかも知れん。

 無様な死に様だが、まぁいい。


「かはっ……! 内臓でも、潰れたか?」


 吐血なんてここしばらくしていない。

 流石に闇魔法を行使し過ぎたようだ。

 それなりの魔力量とは言え何十もの人数を殺していれば枯渇するし、反動が大きなモノになるのは想像にかたくない。

 本当に、どうやらここまでのようだな。


 既に時刻は深夜。

 人が出歩くにはあまりにも遅い。

 助けを求めようにも、叫ぶどころか口を開くだけで肺が血で埋まってしまいそうだ。

 たとえ声を掛けられても、喘鳴ぜんめいを上げることすらできないだろう。


 そんなことを考えながら夜空の星を眺めていると、噂をすれば何とやらとでも言えばいいのか、遠くから足音が聞こえてきた。

 話し声は小さく、しかし肌で感じる神聖な魔力が肌を刺すようで気持ち悪い。

 今までの追手とは異なるようだが、どちらにしろここでの俺は異端の者。

 殺されるのが道理だろう。


「──おや? 誰かいらっしゃいますね」


 可憐な少女だった。

 血で見えにくい視界に映る流麗な金糸。

 特徴的な灰色の瞳は儚げなのに強い意思を感じさせるようで、死ぬ間際の俺は彼女に見蕩れてしまった。


 まさか俺のようなヤツでも、天国とやらに行けるのだろうか。

 この天使に連れられて。

 ハッ、思考がバカになってるな。

 元々だったか?

 何も、わかんねぇ。


「……まだ息はあるようです。治療院は閉まっているでしょうし、我が家に運んでもらっても良いですか、アクシアくん?」

「僕個人の意見としては、放置したいです」

「何故ですか? まだ助けられますよ?」

「この黒髪、王国の者ではないでしょう。世界で黒髪を持つのはあの家だけ──殺すのがクロノワール家としての意向ですよ」


 ……クロノワール家。

 ククッ、まさか最大の敵に会うとはな。

 生きたいとは思わないが、せめて痛くしないでくれないですかね。

 これでも一応、人間なんだ。


「………。助けます。アクシアくんが運ばないのなら、わたしが運びましょう」

「まぁ、聞いただけで意思は既に決定していたようですしね。わかりました、僕が運びましょう。その前に治癒魔法を」

「いえ、それはわたしが──」


 ああ、耳すら遠くなってきた。

 どんな会話を交わしているのだろうか。

 この場で殺すか、魔力を封じた後拷問でもして情報を吐き出させるか。

 どちらにしろ、どうでもいいことか。


 しかし、最期に眼福にあずかれたのは幸運だったのかも知れないな。

 仮に魂のようなモノが存在し、死後の世界があるのなら、俺は地獄でもきっと彼女のことを忘れはしないだろう。

 そのくらい、彼女は美しかった。


「主よ、命を燃やしたの者に、再びの大地を踏み締める力を与えん。

 しろきは清廉なる命の輝きを、あかきは雄大なる意思のほのおを。

 矮小な存在たる我の呼び声に応え、偉大な主の慈悲を彼の者へと与え給え。

 安楽と言う名のたまわり物を今此処ここに。

 ──《完全治癒オーバー・ヒーリング》」


 温かい何かが流れ込んでくる。

 心地よくて、懐かしくて。

 それでもどこか、恐ろしくて。

 様々な感情、感覚がごちゃ混ぜに掻き回されるような、不思議な時間だった。


 ああ、なんだか眠くなってきた。

 走馬灯とやらは見えないが、そろそろ死神が俺の首を刈り取りに来たのだろう。

 やり残したこと、やりたいこと……。

 特にあったわけでもない。

 自らの死など、もはや無いも同然だった。


 だが、そうだな。

 せめて、温かいスープとパンでも食べてから死にかった──なんて言うのは、傲慢というモノか。

 うん、そうだ。


 俺は傲慢などと言う大罪に身を堕とすほど自らのことを愚かだと言うつもりは無い。

 誇り高くこの呪いを全身全霊でまっとうし、最後まで全力で生きた最低最悪の呪い子。

 それでいいじゃないか。

 これ以上を望む意味は無い。


 大人しく、この眠気を受け入れよう。


 ……ただ、なんだろうか。

 どこかその眠気は、優しい何かを内包しているかのように心地よかった。

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