Episode.4 エピローグ

 ◆



「屋上ってさ、なんでいつも閉まっているかわかる?」


 突然の質問だった。


 夏休み明けの話。二人屋上で弁当を食べていた時、優音が突然そう言いだしたのだ。


 まあ、そこら辺の話はよく知っている。俺も中学の時気になって調べたし、俺のために閉まっていたことものちのち気付いた。


「生徒が自殺しないようにだろ?」


「そ、生徒が自殺しないように」


 俺もそのせいで簡単に自殺できなかった。効果はあるのだろう。


「でも自殺願望の人って本当少ないんだよね。屋上って、こんなにも綺麗なのに……開放しないのはもったいない気がするの」


 確かに、それは俺も同感だ。だけどそうなるとこの静かな時間が奪われてしまう。皆にも味わってほしい感覚だが、やっぱりどうしても独占欲が上回ってしまうな。


「私も本当は独占したいよー」


 優音は俺の思考を読み取ったのか、そう言った。


「けどね、私が独占しちゃったら、よからぬことが起きそうなの」


「よからぬこと?」


「うん、よからぬこと。この網を飛び越えて、その下へと……」


 それが何を意味するか。


「今は穂隆がいるから大丈夫だけど、ひとりになったとき、私はどうするんだろうね……」


「じゃあ俺がひとりにさせなければいい話だ」


「何かっこつけちゃって……えへ、言ったからには絶対私をひとりにさせないでよ?」


「あぁ、しょうがねえな。俺も、そういう時期があったからさ……」


 その時、俺は優音をひとりにさせないと誓ったはずだ。


 あいつが一人でどこかに行っちゃったら、あいつはどうなるんだよ……。駄目だ、絶対、そんなことはさせない……!




 ◇




 俺は優音がいるだろう扉を開け言い放った。


「やめろ優音!」


 曇った空が広がり、俺の声が貯水タンクなどに反響する。


 いつも俺が飯を食べている場所に目を向けると、今まで毎日のように見てきた姿が目に映った。だが今までと違う。


「あぁ、やっぱり来ちゃったか……穂隆くん」


 優音は俺を振り返り、懐かしい敬称付きの俺の名前を呼んだ。


 優音が立っている場所は、網を越えたところ。この校舎の屋上は、網と塀の二段階転落防止を取っている。優音はその塀に立っていた。一歩足を踏み外せばそのまま命を落とす、そのような危険な場所に立っているのだ。


 俺は全速力で優音がいる網の方に向かった。そして網に手をついた時──


「来ないで!」


 優音が叫んだ。今まで、聞いたことのない声量で。


 俺は思わず止まってしまい、少しの距離を開けたままその場に立ち尽くしてしまった。


 少しの間が開き、優音は言った。


「……お父さんが……再婚したって……」


 そう、だったのか……。だから、今日その話を……。


「この力を使えば、そんなこととっくに辞めさせられたのに……自分が、醜いの……」


「そんなことない。優音は、醜くなんてない」


「穂隆に……私の何がわかるのよ!」


「俺に優音の何がわかる、か」


 俺は優音の何がわかるんだろうな。ただ、似たような境遇だったから、俺は同情をしていただけなのかもしれない。だとしたら、俺は何もこの子のことが分からないのかもしれない。


 わからないかも、しれないけど……。


「俺は……優音の事が好きなんだ」


 俺の言葉に、優音の身体が硬直する。


「だから、俺は君を助けたい。何もわからないかもしれない。何も出来ないかもしれない。だけど、いつものように寄り添うことくらいなら、俺にだって出来る。悩み事も、全部俺が受け止める。辛い時だって、俺にその痛みを分けて欲しい。俺はずっと君といたいんだ」


 優音の足元に、きらりと何かが落ちた。


「だからさ、俺のもとに来てくれないか……」


「…………私も、穂隆が好き……」


 胸が痛んだ。普通の痛みではない。感じたこともない痛みだった。


 落ち込んだ、とかじゃなくて嬉しい痛みなのだ。痛くないのかもしれないけど、言葉で表現するには痛みだとしか言えなかった。


「だけど、やっぱり私にはこの道が一番楽かな……。ごめんね」


「優音!」


 優音の足が少し、前に出た。少しずつ……。


 俺は唇を噛み、網に掛けている手に力をいれた。そして地面を蹴り、思い切り自分の身体を持ち上げた。中学の時のように、毎日そうしたせいで、身体が覚えていた。網の上りかたも、全部死にたかったために。


 優音の片足が崩れた時と同時だった。


 俺は優音を抱きしめ、網と塀の間の空間に連れ戻した。


 ずっと運動してこなかったためか、緊張のためなのか息が上がる。


 俺は優音を抱きしめたまま、その場に居続けた。


 どうしても、死なせるわけにはいかなかった。自殺を止めたのには少し、悪いと思っている。俺が辛い未来をここで継続させることになったからだ。


 優音は、いまだに泣いていた。ずっと、嗚咽を漏らして、泣いている。


「優音……ごめん。俺は……君とずっといたかったんだ……」


 腕から、優音の熱が伝わってくる。暖かい。


「うぅ……責任……取ってよね……」


 ついに言葉を出したと思ったら……はは、優音らしいな。


「ああ、俺が責任取るよ。いつまでも、絶対に、見捨てたりなんかしないから」


「うううもう好きいい!」


 いきなり優音が俺に抱き返してきた。強く、離さないという意思が現れるくらいに。


「俺も、好き」




 ◇




「本当に、行くのか?」


「うん……」


 優音が自殺しようとした時から一週間。


 学校帰りは優音に家までついていくようにしていた。すぐに壊れてしまいそうな優音を、ひとりにはさせないようにと。


「まあ、優音の好きなようにすればいいと思うけどさ」


「ありがと。やっぱり、私はお父さんの事を見捨てられないの。次はちゃんと新しいお母さんとも仲良くするから」


「そうか、なら良かった。絶対いい子ちゃんを描くんだぞ?」


「わかってるってー。穂隆も、変わったよね」


「俺が変わった? うーん、そうかぁ。そうだよな。変わった気がする」


 空を見上げた。雲一つない快晴だ。


 暖かい風が俺たちの横を通り過ぎる。


「優音のことが好きって気持ちを隠さないようにしたら、俺も丸くなったものだ」


「だよね~。私自身も穂隆のおかげで変われた気がするし。人が変わるのって、やっぱり人の助けが無きゃね。自分だけで変わるなんて無理だよ」


 人は、ひとりでは生きていけない。そう簡単に変わることもできない。けど、出会いがあるのならば、変えられる。全ては出会いから始まるのだから。お互い、協力し合えば、何でもできる。


「そういえばさ」


「なあに?」


「あの時死ぬ気なかっただろ」


「え……なんでわかったの?」


「だって、死ぬ気があるのならばとっくに飛び降りてるだろうし。完璧に俺を待ってたよな」


 俺が優音の自殺を止めようとした時、明らかに遅れた。十分も優音はあそこで立ち尽くしていたのだろう。俺と話すために。


「……今更そんなこと言わないでよ。恥ずかしい。確かに死ぬ気なんてまっさらなかった」


「俺もな、本当は死ぬ気なんてまっさらなかったのかもしれないな。だからわかったのかもしれない」


「ふーん。言ってなかったけど、私穂隆の事何も知らないからね?」


「あ……本当だ。俺の過去の話何も優音に伝えてなかったな」


 完璧に忘れていた。優音ばかり俺に話してくれて、俺は優音に何も話していない。これはいけない。


「んーもう聞く時間もないし、また会ったときね」


「わ、わかった」


「どうしたの?」


「いや、もう俺たちは離れるんだなと……」


 優音は、父親の再婚に合わせまた転校することになった。こうゆうことはよくあることだって優音は言ってるけど、俺は普通に悲しい。


「ま、また会えるよ。私たちは深い絆で結ばれてるんだからさ」


「そうだと信じたい」


「もー心配性なんだから。私の目を見て」


 俺は言われるがままに優音の目を見る。


「澄んだ、綺麗な目……」


「そ、もう私は昔の私じゃないんだから。嘘なんて吐かない。私を信じて。ね、穂隆」


 会った時の優音を思い出した。濁った目だった。嫌いな笑顔だった。だけど、今はそんな影もなく、コロッと入れ替わったのかと思えるほどの綺麗な優音だった。


「そう、だな。君の目を見て思った。今の優音だったら信じれる」


「なによ、前の私だと信じれないみたいじゃない」


「事実だからしょうがないだろ」


 実際腕にシャーペンを刺すくらいだからな? 傷もそこまで深くなかったから痕は残っていないが、あの記憶だけは絶対忘れない。


「シャーペンのこと根に持ってるでしょ」


「なんでわかったんだ!?」


「だから穂隆の事だったらなんでもわかるって言ったでしょ?」


「そ、そうだけど……」


 やはりこいつはやばいやつだった。


「そういえば、能力はどうするんだ?」


「どうするって……いつも通り封印するよ。あ、けどたまには使ってもいいかなーって。その方が穂隆の特別感が増すしね」


「ん、そう気負わずにな」


「だねー。あ、家見えてきたー」


 見えてきたのは、ボロボロの安っぽいアパート。優音はずっとこんな辛い生活を続けてきたのか……。俺も人のこと言えないが。


「それじゃ、今日はここまでかな」


「うん、楽しかった。今まで、本当に……」


 優音の声が沈んでいく。


「本当に……楽しかった……」


 赤くなった横顔に、また一滴。


「そう泣くな。また絶対会えるって言ったのは誰だよ」


「うん……だけど……やっぱりさみしいよぉ……」


「俺も寂しいよ。だけど、ここで寂しがっても意味ないだろう?」


 君が決めたことなんだ。俺は何も言わない。


「……うん。わかった。ありがと。じゃあ帰るよ!」


「ん、気を付けてね」


「それじゃ、またいつかね!」


 そう言って優音は家に向かって走っていった。もう未練などないような姿だ。


「最後に、俺は君の声が嫌いだった。笑顔が嫌いだった。だけど、やっぱり俺は君が好きだ。君の全てが好きだ」


 まさか俺がこんな感情を持っているとはな。生まれた時に全てを失っていたと思っていた。


 でも、君が気付かせてくれた。俺は、皆と一緒の人間なんだって。どこにでもいる高校生なんだって。


 ありがとう、優音。


 優音の背中を追い続けた。優音が何もなく家に入ったのを見て、俺はその場を振り返った。もう後ろは見ない。あとは俺が家に帰るだけ……。


「はは……俺が泣くなんて……俺が泣くなんて……」


 俺の頬に涙が伝った。初めての涙だった。涙の味は、酸っぱかった。

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いつも開かない扉の奥で。 穏水 @onsui

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