Episode.3

 ◆



 俺は生まれてきてはいけない存在だった。


 物心が付くころには既にそのことを理解していた。何故なら生まれた時からずっと両親から罵倒され続けたからだ。


 穂隆は不本意な子だとか、穂隆は邪魔な子だとか、ついには穂隆は私の子供じゃないだとか……。ご飯もろくに与えてもらえず、ただ自分にあったものは狭く何もない部屋だけだった。正直初めの頃は物心が付く前から一般家庭を見てこなかったため、それが普通だと思っていた。


 そのまま小学校に入学した。入学式の時、何かがおかしいなと思った。皆にはちゃんと両親が付いており、賑やかに話している。それと違い俺だけ一切会話もせず、一枚も写真も撮らない。その時確信した。俺は普通じゃないんだって。入学する前から、生まれてきてはいけない存在だということは理解していたが、そこまで深くも考えていなかった。


 それからというもの、同級生と話していくうち段々と俺の異常な窮地を理解していった。親の罵倒も全く減らないためストレスも増えていった。でも俺は誰にもそのことを相談しなかった。誰かに言って、そのことがばれてどんな仕打ちを受けるのかが怖かったからだ。だから俺は無理やりにでも普通を装った。親に迷惑をかけないよう、頑張った。


 そのまま俺は中学生に上がった。友達も少なくはなかった。だけど、親のこともあって俺は誰も信用できなくなっていた。思春期も入って、ストレスもさらに増していた。その時はじめて思った。


 このまま死んだらどれだけ楽なのか。この生きた心地のしない生活から逃れるためには、死ぬしかないと。親も何度か俺に「消えて」とも言ったことあるし、俺が死ぬと親も喜んでくれるだろう。


 それからというものの俺は楽な死に方を色々考えた。それで考えたのが転落死だった。苦しむ暇もなく終わる。一番良い死に方だなと。そして死に場所も考えた。生憎学校以外は外出させてもらえないので、もう学校しかない。学校の屋上しか。


 俺は次の日屋上に行った。思い通り鍵は閉まっている。でも何としてでも屋上に行きたかった。その時は頭の中が死ぬことでいっぱいだったのだ。毎日昼休みと放課後は屋上に向かい、鍵穴に針金を通して開けようとした。一か月もかかった。開いた時の俺はどんな感情だったかももう忘れた。すぐさま俺は屋上に出ていき、端に行く。網が貼ってあったため、簡単には飛び降りられなかった。網をよじ登り、一歩足を踏み出せば落ちるとこまで来た。やっと死ねるんだ、と思った。そして一歩、踏み出そうとして俺は初めて気づいた。俺は死ぬのが怖いんだと。それも足が動かなかったからだ。


 その日は自殺を諦め、家に帰った。親は変わらず俺を無視するし、ろくな飯も与えてくれない。やっぱり俺は死んだ方がマシだと思った。なんであの時俺は死ねなかったのか、死ぬ勇気もない俺を憎んだ。


 毎日俺は屋上へ行った。それでも結局飛ばず、家に帰る毎日だった。


 中三になったある日、俺は親に一人暮らしをさせられることになった。小さいアパートを買われ、三年間は暮らせるだけのお金も貰い、家を出ていかされた。もう家には帰ってくるなという言葉を残し。


 正直一人暮らしをさせられたときは嬉しかった。親の虐待じみた生活から逃れられるからだ。一か月も経ったらストレスもほぼ無くなっていった。でも、何故だか屋上には毎日行っていた。別に死ぬ気もなかったと思うが、辞められなかった。屋上に行くことに何か意味があるのだと思うようになっていたのだ。




 あの時、俺は自殺しなくて正解だったと思う。だって、今こうして何不自由なく、青春をさせてもらえてるから。


 今でも俺は親が嫌いだ。親が現在どうしているかなんて知らない。


 親のせいで俺は人間不信になれた。いつでも俺は人間の裏を見るようになった。人間を恐れるようになったのだ。でも子供だけは違った。多くの子供に裏はない。純粋だった。けどそれと違って大人は闇を抱えていた。


 高校生になって人々は変わった。どこか純粋さも消え、大人になりかけている。怖かった。いつか俺もそうなるんじゃないかって。いやもうなってるのかもしれないな。


 高校生になっても俺は屋上に行くことをやめなかった。理由なんてわからない。もしかしたら、俺と同じ人を探すためだったのかもしれない。案の定、そういうやつも現れたわけだが。


 その命、絶対に守り抜いて見せる。俺の存在意義は、君だから。




 ◇




 柏屋と会ってから三カ月以上経った。


「暑いね~」


「あぁ、もう9月ってのにな」


 夏休みも終わり、厚さが残る残暑の中俺たちはいつものように屋上にいた。


「あれ、どうしたんだ優音。今日は何も持っていないようだが」


 会ってから一か月経ったくらいから、優音は毎日弁当を持ってくるようになっていた。心境の変化だったのだろうか、素直に嬉しかった。


 だが今日、毎日当たり前のように弁当を持ってきていた優音が珍しく持ってきていなかった。あの見かけは真面目な優音が忘れ物なんて普通はない。ということは今日は普通ではないということになる……。


「ちょっとね、穂隆に聞いてほしいことがあってさ」


 珍しいな。もう安定したと思っていたのだが。


「どうした?」


「前にも言ったけど、私さ、この能力が嫌いなの」


 命令をすれば相手は何も思わずにそれを実行する能力。下手すれば世界を変えられるかもしれない能力だ。ただし例外もある。それは俺。未だに理由はわかっていないが。


「言ってたね」


「私さ、昔この能力で母親を殺したことがあるの」


「…………」


 驚きで何も言葉が出なかった。


 優音がそういうことをするやつだとは思わないけど、本当だったら嫌いになるのもおかしくはない。


「まあ、本意で殺したわけじゃないけどね」


 なら安心か……いやじゃあなんで殺した?


「六歳くらいの時だったっけ。私も気が付いたら既にその能力を使えていたんだよね。でもその時は、その能力の恐ろしさを何も知らなかった。まさかあんなことになるなんて」


 優音の表情が一気に沈む。相当辛いことがあったのだろう。


「海に行っていたの。家族三人で。そして私たちは思いっきり遊んだ。泳いだり、砂でお城を作ったり、お弁当を食べたり……忘れられない思い出だった」


 正直、羨ましかった。俺なんて、小学校中学校どれも何も思い出はなかった。何もさせてもらえなかった。ただ家で、部屋にこもって勉強をする毎日。それと比べたら、優音は本当にいい両親に恵まれたんだと思う。


「そして、帰る前にもう一回海に入ろうって思って、浮き輪をもって海辺に行ったの。そしたら手から浮き輪が滑っちゃってさ、そのまま海の向こうへ流れていったの。私焦っちゃってさ、お母さんに浮き輪取ってっていっちゃったのよ。そしたらどうなったと思う?」


「取りに行った?」


「そう、取りに行ってしまった。そんなに泳ぎが上手いわけでもないお母さんは、既に遠く離れた浮き輪を追いかけるように海に飛び込んじゃったのよ。取りに行ける距離じゃなかったし。でも、私の命令は絶対だったから、お父さんも静止せずにそのまま見ているだけだった。私は飛び込んだ後必死に呼び止めたんだけどね、やっぱり聞こえなかったみたい。そのままお母さんは見えなくなって、もうどこかにいっちゃった」


 優音の頬に一筋の雫が伝った。


「だから、私が殺したんだって。私のこのどうしようもない能力のせいで、私の事をいつも気遣ってくれた大切な母親が、死んじゃった……」


 俺は初めて人に同情心を抱いた。自分のせいで、人を気付つけることがどれだけ辛いか。想像すらできなかった。


「お父さんが悲しみ始めたのはその一日後だった。当日はお母さんが死んだことすら気付いてなかったみたい。その時に私の能力がとんでもなく恐ろしいものだとわかったの。もう出来るだけ人に命令はしないようにって心掛けた」


 皆にはない能力。誰にも理解してもらえない能力。羨ましいと思ったら間違い。それは孤独へと連れ込まれる呪いの能力だったのかもしれない。


「それでね、私のお父さんは私に母親がいなくなったのがかわいそうだと思ったのか、再婚相手を探すようになったんだよね。正直、私はそんなのどうでもよかった。確かに寂しくはなったけど、違う母親なんていらない。このままお父さんと二人で過ごしたかった。なのに、お父さんは再婚相手の事なんか一切私に言わず、突然家に連れてきた。その時は私が小学一年生の時だっけ」


 優音の感情に左右されるように、空も段々と曇ってくる。


「お父さんは私に『優音の新しいお母さんだよ』と言ってきたけど、私は断固として認めなかった。私を生んでくれた親は一人しかいないから。私も反抗して新しい母親という人の口を聞かないようにした。それから三カ月くらいたってからかな、その人はまたお父さんと離婚したの。こんな娘いらないって。お父さんは泣いていた。けど私は嬉しかった。これでまたお父さんと二人で暮らせるんだって。だけどそれも一瞬にして崩れ去った。お父さんは二年に一回はまた再婚相手を見つけてきたの。辞めてって言ったのに……」


 優音のお父さんは優音のために、再婚したのか。だが、それは悪い判断だったと。


「だから私は親が嫌い。この学校に来たのも、またお父さんが見つけてきた相手に家を追い出されちゃったからなの。でもこれで良かったのかもね。だって、こうして君と会えたんだもん。それだけは感謝してる」


 あぁ、俺もそう思うよ。だって、優音は俺が初めて理解し合えた友達なんだから。


「私、一生このままがいい。穂隆と一緒に高校生活を送りたい。何の希望もなかった私の青春が、ここに来て初めて味わえたの」


「優音……俺もそう思う。俺も、優音と会って全てが変わった気がした。言葉で言い表すのは難しいけど」


「わかるよ。私も、最後に君と話せてよかった」


「最後? どういうことだ?」


「ううん、何でもない。さ、戻ろ。そろそろ五限目始まるし。あ、聞いてくれてありがとね」


「え、あ、あぁ……」


 久しぶりに見た。もう一か月以上も俺にその笑顔は見せなかった。嘘の、笑顔……。それも悲しそうな、すぐに消えてしまいそうな……。


 俺が何かを言う前に優音はそそくさとその場を離れた。


 今日あのタイミングで優音が突然言ったのには何か意味がある。なければその様なことはしない。何かを、ここで捨てたみたいな感覚だった。




 その後も、優音に喋りかけてもはぐらかすばかりで、一切向こうから話しかけてこなくなった。


 教室ではたしかにいつもあまり話してなかったが、今日ばかりは完璧に俺を避けているようだった。周りには相変わらず愛想笑いでその場を過ごしている。 


 五限の休み時間。俺は思い切って優音に話を持ち掛けることにした。


「なあ、優音。今日──」


「あ、ごめん友達に呼ばれてるから行くね」


 そう言って優音はその場を離れて、女子たちが集まっているとこに割り込んでいった。女子達は、優音のいきなりの登場で少し戸惑っていたが、すぐに優音を話の中に入れてまたわいわいと騒ぎ立て始めた。この反応から見るに、呼ばれているは嘘だったのだろう。やはり完全に俺を避けている……。


 六限も始まり、グループワークも何もなかったのでそのまま話さずに今日の授業は終わった。


 終礼が終わると、俺は反射的に帰る用意を始めた。用意が終わると、横にいる優音に声をかけ──ようと思ったが、いつの間にか優音の姿は消えていた。机の横に掛けてあるバッグはそのままだ。ということはまだ、この校内にいるということになるのか? トイレに行っているという可能性もあるが……。少しだけ待ってみるか。


 五分ほど、優音が帰ってくるのを待った。何のために待っているのか、今思うと何故俺がこのようなことをしているのかわからない。だけど、何故か俺は優音に会わなければいけない気がした。


 五分待って何も変化はなく、教室も静かになっていた。優音がバッグを忘れるはずもない。だから絶対この校舎にいるはずだ。


 確か、今日は先生の出張か会議か何かで部活はなかったはず。優音は部活なんて入っていないし、一体どこにいるのだ……。


 何となく、思い返してみる。優音と話した最後の言葉……『あ、ごめん友達に呼ばれてるから行くね』……いやそれじゃない。もっと前の……まさか、それはないと信じたい。いや、俺がやろうとしたことなんだ。あいつがやってもおかしくない。ということは本当に……?


 俺は嫌な予感がして、足の赴くままに走った。


 何故最初から気付かなかった。今日の行動全てを考えてみたらわかる話だ。俺はまだ何もしてやれていない。それまで、俺を置いていかないでくれ……! 間に合え……。


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