召天

 聖剣を構え、二度目の跳躍。

 体勢を立て直しきれていないギジボ目掛けて剣を振り下ろした仁の一撃は、すんでのところで太い腕に防がれる。


 硬い毛皮はそう簡単に刃を通さず、そう簡単には斬り落とすことはできなさそうだ。

 そう判断した仁は即座に剣を引くと、距離を置いて敵の弱点を探り始める。


(腕が硬いなら脚も同じだろう。首もそう簡単に狙えそうにはない。と、なれば……腹部か)


 生物の急所である腹を斬ることができれば、ギジボに致命傷を与えることができるかもしれない。

 毛皮の量も多いが、剥き出しにもなっているあの場所ならば刃が通る可能性もあると、そう考えて柄を握る仁からの鋭い視線を受ける悪魔は、怒りの唸りを上げながら反撃に移った。


 低く屈んでから、ウサギの脚力を活かして宙へと跳躍したギジボが全体重を乗せた上空からの一撃を仁へと放つ。

 見るからに重く強烈な一発を受けて堪るものかと防御よりも回避を選択した仁は、地響きを鳴らしながら着地したギジボの背中へと聖剣を振るうも、やはり大したダメージを与えることはできなかった。


(想像以上に毛皮が厄介だ。刃が通らない……!)


 勢いをつけての斬撃も厚い毛皮に阻まれる。腕や脚は筋肉もついているお陰で更に防御力が高く、生半可な攻撃ではびくともしない。

 向こうの攻撃を避けることは難しくないが、このままではジリ貧だなと考えながらギジボのボディプレスを回避した仁へと、結界の中で柏木親子を守る花音が助言を送る。


「仁くん! あなたの武器は聖剣だけじゃない! もう一つの武器を使って!」


「もう一つの武器……!? そうかっ!!」


 花音からのアドバイスにはっとした仁がギジボへと向き直り、その姿を見つめながら精神を集中していく。

 ゆらり、ゆらりと揺らめく陽炎が彼の周囲を漂い始め、その光景に悪魔が警戒心を強めた瞬間、仁が纏った鎧の関節部から蒼炎が激しく噴き出し始めた。


「はぁぁぁぁ……っ!」


 体の内側から燃え盛る炎を感じながらも、身を焦がされるような痛みは覚えずにいる仁が意識を更に集中させながら左腕の手甲へと聖剣の刃を擦らせる。

 ガギン、ガキッ、という金属音が響くと共に噴き出す炎を浴びた聖剣は刀身を蒼く燃え上がらせ、仁は蒼炎を纏った剣を勢いよく振るって炎の斬撃をギジボへと飛ばしてみせた。


「あぐあっ!? ぐ、ああああっ!?」


 X字を描いて飛んだ蒼炎の斬撃は、ギジボに直撃すると共にその毛皮に燃え移った。

 一瞬にして全身を包んだ炎の熱に呻き声をあげる悪魔の姿を目にした仁はここが好機と見定めると、聖剣を構え直して一直線に敵の下へと駆ける。


「てやああっ!!」


「うっ! ぎぃいっ!!」


 先ほどと同じく、太い腕を盾代わりとしてその一撃を受け止めようとしたギジボであったが、そこにはもう刃を受け止めてくれていた毛皮はない。

 今度は聖剣が受け流されることはなく、太い腕にその刃を深々と食い込ませてみせた。


 ギジボが悲鳴を上げると共に赤黒い血が噴き出し、想像を絶する激痛に悪魔がふらふらと脚をもつらせて怯む。

 更に一歩踏み込んだ仁は再び聖剣に炎を纏わせると、すれ違いざまに無防備な腹部へと右薙ぎの一閃を叩き込んだ。


「あっ、ああっ……!?」


 切り裂かれたギジボの腹部からこぼれ出る、白い光。

 それはこれまで彼女が蓄えていた命と魂の輝きか、それとも彼女の心の奥底に眠っていた息子との美しい記憶か。


 溢れ出していくそれを掴もうと懸命に伸ばした手をわなわなと震わせ、苦悶に喘ぐギジボの姿が黒い煙となって崩壊していく。

 気が付けば、醜悪な悪魔だった彼女の姿は人間のそれに戻っており、涙を溢れさせながら彼女は息子の名を呼び続ける。


「拓也、拓也……! ママが、守ってあげるからね……もう誰にも、あなたを傷付けたりなんかさせないわ。ずっと、ずっと、幸せに――」


 どさりと、音を立てて膝から崩れ落ちた彼女は、それでも懸命に手を伸ばして蒼い炎に包まれる息子の形見を掴もうとしていた。

 段々と彼女の命の灯が消えゆく中、ウサギのぬいぐるみへと伸ばされていた彼女の手を、白く輝く何かが掴む。


 呆然とその光を見つめていた女性は、その光が段々と人の形になっていく様を目にしながら……ひどく温かい何かが自分を包むことを感じていた。

 まるで微睡に身を任せるように、全身から力を抜いていく彼女の耳に、優しく無邪気な声が響く。


『行こう、ママ。これからはずっと一緒だよ』


「……ええ、そうね。拓也……ママはね、あなたのことを、何よりも大切、に――」


 彼女の言葉が途切れたのと、ウサギのぬいぐるみが燃え尽きたのはほぼ同時だった。

 力尽きた彼女の肉体が白い霧へと変化し、天へと昇っていく様子を見つめながら、転身を解除した仁が聖剣を振るう。


『グギャアアアアアッ!?』


「……お前の行き先は天国でも他の誰かのところでもない。地獄へ堕ちろ、ギジボ」


 昇天する二つの魂に紛れ、この場から逃走しようとしていたギジボの魂そのものである黒い煙を斬り、消滅させる仁。

 断末魔の悲鳴を上げて完全に消滅した悪魔を一瞥した彼は、その間に完全に消え去った白い霧があった場所を見つめながら呟く。


「……あの二人、天国に逝けたかな?」


「どうだろうね。息子はまだしも、母親の方は悪魔の誘いに乗って多くの命を奪った。神様は、その罪を許さないかもしれないよ」


「だとしても……僕は、あの二人が幸せであることを祈るよ。彼女がしたことは許されることじゃないけど……せめて死後の世界では救われるって信じてる」


「……やっぱり優しいね、仁くんは。そういう甘いところ、嫌いじゃないよ」


 花音と共に虚空を見つめながら、天へと昇った親子の魂に思いを馳せる仁。

 本当に自分は彼女たちを救えたのかと、使命を果たしたという想いと疑念とが半々の複雑な感情を抱く彼の背後で、静かな拍手の音が響く。


「素晴らしい。ギジボが狙う人間を探り当て、犠牲になる前に悪魔を討伐した。二つ目の試練も文句なしの合格だ」


「伊作司祭……!? どうしてここに……?」


「君たちがギジボの狙いを看破できなかった際、あの親子を守るためだ。我々も無意味に人命が奪われることなど望んでいないからな」


 およそ一か月ぶりに姿を現した伊作が、自分たちが出した課題の意図を読み取った上で完璧な回答と対応を見せた仁と花音への賞賛の言葉を告げる。

 しかし、悪魔が元は人間であったという重大な秘密を隠した状態で自分を試練に臨ませた彼のことを信用し切れていない仁は、ただ無言で無表情な伊作の顔を見つめ続けていた。


「……蒼炎騎士ウリア、そして花音。これで君たちは二体の悪魔を討滅したことになる。残す悪魔は一体。最後の試練に備えて、今日は帰って体を休めるといい。報告とこの親子を家に送り届ける役目は、私が担おう」


 淡々とそう告げた後、伊作は花音へと視線を向ける。

 何かを感じ取った彼女と視線で会話した伊作は、仁にも聞かせるようにこう続けた。


「花音、お前は少し残れ。話がある」


「はい、伊作司祭。……というわけだからさ、仁くんは先に帰っててよ。すぐに終わる話だと思うから、気にしないで」


「ああ、わかった。じゃあ……」


 花音の言葉に頷き、その場から立ち去る仁。

 彼の背を見送った後、改めて花音へと視線を向けた伊作は、彼女へと静かな声で尋ねる。


「首尾はどうだ? お前に課したもう一つの任務は、何事もなく進んでいるか?」


「……胸を張ってYESとは答えられません。ですが、彼の信頼は得られていると思います」


「よろしい。その調子で蒼炎騎士ウリアの称号を持つ者と試練に当たれ。くれぐれも彼に極秘任務のことは悟られるでないぞ」


「はっ……!」


 深々と頭を下げ、仁には秘密の任務を達成するために尽力することを伊作へと誓う花音。

 この一か月、仁との信頼関係を構築し続けてきた彼女であったが、まだ彼に隠していることがあったようだ。


 それぞれの思惑を胸に、悪魔祓いたちは今日も夜闇に紛れて策謀を巡らせる。

 真に恐ろしく醜いのは悪魔か、それとも人間の方か……その答えは、未だに出せていない永遠の議題だ。


 二体目の悪魔、ギジボ撃破。

 課題突破のために必要な悪魔の討伐数……残り一体。

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