聖騎士/咎人

「うおおおおっ!!」


 雄叫びと共に繰り出される一撃。両手で握った聖剣を左上から右下へと斜めに振るう左袈裟斬りによる攻撃を仕掛ける仁であったが、カルは変形した左腕の剣で聖剣を受け止める。

 昨日のようにはいかないと、仁と鍔迫り合いを展開するカルは得意気になって叫んだ。


「どうだぁ!? 昨日は不意を打たれたせいでやられちまったが、正面切って戦えばこんなもんだ! そう簡単に勝てると思うな、ぶべえっ!?」


 攻撃を防いで得意になっていたカルだが、仁は即座にその動きに対処し、握り締めた左拳を彼の顔面に叩き込んでみせた。

 蒼い炎を纏った拳の一撃を受けた悪魔は後方へと軽く吹き飛び、体勢を崩すと共にその場に膝をついてしまう。


 その隙を見逃さなかった仁の猛攻によってじわじわと追い詰められていったカルは、先程までの余裕たっぷりな強気な態度を完全に崩壊させながら必死の防戦を続けていく。

 強化された左腕の剣を振るい、どうにか聖剣を弾いて攻撃に転じようとする彼であったが、仁の重く鋭い斬撃を防ぐので精一杯のようだ。


「くっそぉ! くそおっ!! 俺は強くなったんだ! こんなっ、ガキなんかに負けるはずがねえんだよぉっ!!」


 まだ新米としか思えない聖騎士との戦いで、自分が一方的に押されている状況を認められないカルが吼える。

 これまでずっと人間を襲ってはその圧倒的な力で惨殺し、食らってきたはずの自分が同じ人間にまるで歯が立たないだなんて……と、心の隅で怯えを抱きながらも、彼はそれを振り払うかのように虚勢を張り、叫び続けた。


「人間風情が、俺に楯突くんじゃねえっ!! 俺は、俺はっ……! お前たちを、食らって――っ!!」


 見下しているはずの人間に、狩りの獲物でしかないはずの人間に、自分が追い詰められるだなんてことがあってはならない。

 自分は強くなったのだ。誰も自分を倒すことなどできないのだ、と……そう、叫ぶカルはこの時点で二つのミスを犯していた。


 一つは、彼は決して強くなってなどいなかったということ。

 最低級の悪魔である彼は、人間界で力を振るっていく中で大きな勘違いをしてしまっていた。


 周りが弱い生物だらけなお陰で、仲間たちからも見下されるような弱い悪魔であった自分でもやりたい放題できる。

 好きに人を殺し、食らい、か弱い人間の抵抗など意に介さずに暴れ続けた彼は増長し、自分が強くなったと都合のいい妄想に浸るようになった。


 それは高校生が小学生の遊びに混じってやりたい放題しているような、なんとも情けない行動。

 自分を高めるのではなく、自分より下の存在しかいない場所で好き勝手していた彼は、いつしか自分の実力を過信するようになってしまっていた。


 そして、もう一つのミス。先に挙げた自身の実力への過信が招いた、致命的な失敗。

 それは、彼が仁へと反撃を仕掛けてしまったこと。防御を解いて、攻撃をしようと思ってしまったことだ。


 仁は決して、高い実力を持つ聖騎士というわけではない。

 剣術も体術も習得しているわけではないし、闘いの心得だって有してはいない。


 だから、もしもカルが防戦一方の戦術を取ったならば、勝てはせずとも生き延びられる可能性はあった。

 相手の防御を崩す方法を知らない仁の攻撃を耐え続け、どうにかして彼の隙を見切り、この場を逃走することができれば、カルは今夜の戦いを生き延びられたかもしれない。


 だが、彼はそうしなかった。無意識の内に命よりも己のプライドを優先し、守りを解いてしまった。

 その瞬間、この戦いの勝敗は決まってしまったのである。


「ふっ……!!」


 左のストレートよろしく繰り出されるカルの突きを、腕が変形して作られた剣による刺突を、紙一重で見切る仁。

 体を逸らして攻撃を回避した後、握り締めた聖剣を上段に構えた彼は、伸びきったカルの腕目掛けて真向斬りを見舞う。


「あっ、ぎゃああぁああぁあああっ! う、腕っ、俺の、腕がぁぁぁぁっ!?」


 今度は鍔迫り合いなど起きなかった。

 昨晩の出来事を繰り返すように、聖剣によって左腕の肘から先を斬り落とされたカルが黒い血飛沫を撒き散らしながら悲鳴を上げる。

 嗚咽し、絶望し、慟哭する彼がよろよろとよろめく中、仁は聖剣を中段に構え直すと共に討つべき敵の姿をその両目に捉えていた。


「ま、待て、待ってくれ! 俺の負けだ! 見ろ、この左腕を! もう俺は戦えない! 悪かった、反省するよ! 人を襲ったりしないって約束するから、どうか命だけは助けてくれ!」


「……それはできない。君は悪魔だ。君を見逃せば、また次の犠牲者が生まれる」


 もう何度も繰り返した命乞いで無様に許しを請おうとするカルの言葉を、冷たく振り払う仁。

 感情を上手く読み取ることができない顔の造形をしている悪魔だが、今のカルが絶望していることだけは間違いないだろう。


 聖剣を構え、その切っ先を自分へと向ける仁の姿を目にしたカルが、ひぃっと喉を鳴らす。

 それでも生を諦められない彼は、最後の足掻きを開始した。


「……斬る、のか? 本当に俺を斬れるのか? 俺は悪魔だが、俺の中にはこの人間の意識が確かに存在している! 俺を殺すということは、その人間を殺すということだ! お前は、人殺しになるんだぞ!?」


 カルの最後の作戦、それは仁の心の動揺を誘うことだった。

 自分の中に存在する人間の意識と魂を主張し、彼の心に人を殺めることへの罪悪感を植え付けることができれば、その刃には迷いが生まれるはずだ。

 それを突くことさえできれば、この場を逃げ延びるだけでなく、もしかしたらあべこべに彼を討ち果たすことができるかも……という淡い期待を抱くカルであったが、次の瞬間にその希望は木端微塵に打ち砕かれる。


「ああ、斬るよ。僕はそれを覚悟してここに来た」


「なっ……!?」


 平然と自分を斬り捨てることを宣言する予想外の仁の返答に、唖然として言葉を失うカル。

 虚勢でも出まかせでもなんでもない、本気の覚悟を滲ませながら迫る彼は、カルへと……いや、その器となってしまった人間へと語り掛けていく。


「あなたがただ不幸な人間だったということはわかってる。生きたいと願う想いが悪ではないことも理解してる。それでも……あなたを見逃すことはできない。あなたを見逃せば、また次の犠牲者が生まれる。大切な人を失った誰かが哀しみの涙を流す。そして何より……あなたという人間の魂が犠牲になる。悪魔の中に存在するあなたの心が、人を殺める度に醜く歪まされていくとしたら、その苦しみが無限に続いていくとしたら……その悲しみも、ここで断ち切らなくちゃならないんだ」


「う、う……うわああああああっ!!」


 もはや進退窮まったと、そう理解したカルが自棄になって最後の反抗を試みる。

 武器どころか片腕すら失った彼は、残された右の拳を強く握り締めるとそれを振りかざし、仁へと突進していく。


 仁の瞳には、自分に向かって突進してくる悪魔の姿が……人間に見えていた。

 通り魔に殺され、生きたいという願いを利用された上にカルに憑依され、今も彼の中で苦しみ続けている男性の姿を確かにその目に捉えた仁が、聖剣の柄を強く握る。


 一歩、詰まっていた距離を更に縮める。

 二歩、脚を前に出しながら横薙ぎに剣を振るう。

 ザクリという鈍い感触を覚えながら、すれ違いざまにカルの胴体を斬り付けながら……三歩目で地面を強く踏み締めた彼は、たった今、自分が斬り捨てた男性に向けてこう呟く。


「あなたを罪人だと断じることなんて、僕にはできない。あなたを裁く資格なんて僕にはない。僕にできるのは、あなたを斬って楽にしてあげることだけだ。それがどれだけ僕にとってつらく、悲しいことだったとしても……絶対に逃げないって、そう決めたんだ」


「あ、ああ、あ……っ!? ぎゃあああああああああっ!!」


 自分の体に刻まれた蒼い残光に気付いたカルが絶望の悲鳴を上げる。

 呻き、苦しみ、嘆いた後、傷口から噴き出した蒼炎に身を焼かれた彼の叫びが、夜の闇にこだまする。


 戦いの決着……それを感じ取った仁が転身を解除するのと、カルが人間の姿に戻るのは同時だった。

 お互いに振り返り、死にゆく者と彼を殺めた者として二人が見つめ合う中、涙を流すカルが口を開く。


「人、殺し……人殺し……!! 俺はただ、生きたかっただけだ。死にたくなかっただけなんだ。たったそれだけの願いを、お前は奪うのか? お前には、俺の願いを否定する権利があるとでもいうのか!?」


「………」


 これがカルの最後の抵抗なのか、それとも彼に憑依された人間の意識が表面に出てきて喋っているのか、仁にはわからない。

 ただ黙って、彼は肉体を崩壊させていく男の話を聞き続ける。


「人殺し、お前は人殺しだ。誰が何と言おうと、お前は俺を殺したんだ。その罪を、一生背負え。人間を殺した罪に苦しみ続け――がはっ!?」


 仁を指差し、怨嗟の言葉を吐き続けていた男の額に風穴が空く。

 次いで響いた銃声と共に左胸と腹部にも銃弾を見舞われた彼は、大きく目を見開いたまま地面に倒れ込み、肉体を爆発四散させた。


「……最期の最期まで見苦しいんだよ。悪魔は悪魔らしく、地獄に堕ちな」


 そう、吐き捨てるように消え去ったカルへと言い放った花音が、仁の背後から姿を現す。

 銃口から立ち上る硝煙を息で吹いて飛ばし、ホルスターへと拳銃を収めた彼女は、仁の顔を見つめると彼へと言った。


「トドメを刺したのは、あたしだから」


「ああ、でも致命傷を与えたのは僕だ」


 花音が自分を気遣って悪魔にトドメを刺したことはわかっていた。

 これ以上、カルに話をさせないために、彼を殺したのは自分だと仁に言うために、わざと目の前で急所を撃ち抜いてみせたのだと……そう理解しながらも、仁は敢えて彼女の優しさを拒む。


 そんな仁の反応を受け、寂しそうに目を細めた花音は視線をカルの死体があった場所へと向けると、そこに落ちていたナイフを拾い上げ、それを彼へと見せつけた。


「それは?」


「あの悪魔を呼んでしまったもの。触媒ってやつかな。多分だけど、本当の通り魔殺人鬼が凶器として使ってたナイフだよ。人の命を奪い、血を吸い続けたこれには、怨嗟や憎しみ、狂気に殺意といった負の感情が詰まってる。カルはこれに呼ばれて、現世に姿を現したんだと思う」


 仁へと説明をしながら、血で錆びた薄汚いナイフをそっと布で包む花音。

 丁寧にしまわれたそれを外套の内側にしまった彼女へと、仁が質問を投げかける。


「それを、どうするの?」


「明日、聖堂に持って行くよ。もう二度と悪魔を呼び出すことのないように祓った後で、『C.R.O.S.S.』の下で厳重に保管してもらう。聖剣で破壊しちゃってもいいんだけどさ……どうせ回収できたのなら、任務達成の報告と一緒に持って行こうかなって」


「……そっか、わかったよ。確かにその方が良さそうだ」


 花音の言うことに賛成しつつ、僅かに笑みを浮かべてみせる仁。

 そうやって暫し、その場で見つめ合った二人は、どちらともなく口を開いて相手と話をし始めた。


「確かめたかったことは確認できた? 仁くん、出掛ける前にそう言ってたでしょ?」


「……うん。悪魔に憑依された人間が、もう本来のその人ではなくなってるってことがよくわかった。大切だった想いや人を自らの手で汚し、傷付けさせないためにも……僕たちみたいな存在が必要なんだって、そう思えたよ」


「そうだね。……あのさ、カルが最期に言ってたことだけど、気にしなくていいよ。あれは仁くんに対する嫌がらせで、あの人を殺したのは憑依した張本人であるあいつなんだから」


「ありがとう。でも、気にしないっていうのは無理かな。悪魔になったとはいえ、僕はあの人を斬った。それが正しいことだとしても、一切心を痛めないってのは無理だよ。でも……全ての悲しみを断ち切るために誰かが苦しまなければならないとしたら、その役目は僕が担う。それが、僕の背負うべき咎だと思うから」


「……そんなの、つらいだけだと思わない?」


「いいんだよ、それで。悲しみも苦しみも、生きている人間である証だ。たとえどんなにつらくとも、僕は心を麻痺させたくない。聖騎士よりもまず、人間として生きて……悪魔に憑依された人たちを救うために戦う。命は救えなくても、その想いだけは守れると信じて、ね……」


 まだ、完全に踏ん切りがついたわけではないのだろう。

 そう語る仁の表情はどこか苦し気で、無理に笑っているように見える。


 だが……彼の言葉を借りるならば、これでいいのだ。

 これから仁は悪魔を狩る度に、その犠牲となった人々の無念や苦しみを背負い続けるのだろう。

 背負って、抱えて、乗り越えて……そうやって生き続けていくのだと、彼は決めたのだ。


「……なら、その重荷はあたしも背負うよ。相棒でしょ? あたしたちさ」


「……ありがとう。君も結構、優しい人だね」


「にししっ! 仁くんには負けるけどね~! ああ、そうだ! 大事なこと言い忘れてた!」


 いつまでこの関係が続くかはわからない。もしかしたらこの課題を達成したら離れ離れになって、そのまま一生関わることがなくなる可能性だってある。 

 それでも、彼の傍にいる間だけは、この底抜けに優しい青年の心を支え続けようと……彼の相棒として決意した花音は、そのまま高く掲げた右手を仁の前に伸ばす。


 その手と、自分の顔を交互に見比べてぽかんとしている彼へと、満面の笑みを浮かべた花音は言った。


「初任務、無事に達成! やったね、相棒!!」




 ――翌日、この通りにある電柱の根元に新たな花束が供えられた。

 それが悪魔に憑依されて命を落とした男性へのはなむけであることを知っているのは、この世界で二人だけだ。


 紆余曲折があったものの、こうして仁と花音は一体目の悪魔を討伐し、最初の課題を突破してみせた。

 駆け出しの聖騎士と悪魔祓いである二人の戦いは、これからも続いていく。




 課題突破のために必要な悪魔の討伐数……残り二体。

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