犠牲者/加害者

 ……無防備に、不用意に、人気のない夜の道を行く女性が一人。

 ふらり、ふらりと左右に揺れるその足取りは酒に酔った人間のそれで、実にゆっくりとしている。


 もしもここが治安の悪い地域であったなら、間違いなく犯罪の被害に遭っていただろう。

 強盗か、誘拐か、あるいは強姦か。そんな不埒なことを考える者を引き寄せる誘蛾灯のような煌めきが、彼女の背中から発せられていた。


 ここに一人、そんな光に誘われて彼女を追う男がいる。

 ひたり、ひたりと足音を殺して女性との距離を詰めるのは……悪魔に憑依された、あの男だ。


 人ならざる者である彼は、狂気の笑みを浮かべて今夜の獲物である彼女へと無音のまま接近していく。

 気配すら感じさせずに女性の背後に立った男は、興奮を抑えきれないといった様子のまま手を上げると、彼女の肩にそれを伸ばそうとして――


「……そこまでだ」


「っっ……!?」


 ――背中に剣の切っ先を突き付けられている感触を覚え、小さく呻いてからその動きを止めた。


 戦々恐々としながら首だけを動かして振り向いた彼は、そこに昨晩邂逅した仁の姿を見止めて冷や汗を流す。

 そして、今の今まで追いかけていた女性の姿が消え、代わりに悪魔祓いの少女が姿を現す様を目にして、焦りの感情を強めていった。


「随分と堪え性のない悪魔さんだね。こんなにわかりやすい罠にあっさり引っかかるなんてさ」


「昨晩は必死に逃げたはずだけど……その翌日にまた人を襲おうとするだなんて、随分と不用心じゃないかい?」


「あ、いや、その……」


 前後から挟まれ、逃げ場を失った男がどうにかこの窮地を脱しなくてはと頭を働かせる。

 昨日とは打って変わった冷酷な表情を浮かべる仁の様子に気圧されて彼が何も言えずにもごもごと口ごもる中、悪魔の解析を終えた花音がその情報を相棒へと伝えていった。


「出たよ。名前はカル、階位は最低ランクの第六位。結構人を食ったはずなのにこの成長度合いってことは、元々弱い悪魔なのかな?」


「あ、あはは……お嬢ちゃんは手厳しいなあ! でもまあ、あんたの言う通りだよ! 俺は仲間たちの中でも才能がない、弱い部類の悪魔でねえ!」


「余計な口を利かない方がいい。うっかり、僕の手が滑るかもしれないよ」


 どうにか隙を作ろうと花音の機嫌を取るような軽口を叩くカルであったが、仁の脅しによって途中で口を噤むしかなくなってしまった。

 背後から剣の切っ先を、前方からは銃口を向けられている状況のまま、暫し無言の時を過ごした彼は、その重圧に耐え切れなくなったとばかりにその場に土下座すると、昨日と同じように命乞いを始める。


「頼む、見逃してくれ! 俺だって本当はこんなことしたくはないんだ!」


「昨日今日と二日連続で人を食おうとしておいて、どの口がそんなことを言うの? 全く信用できないんだけど?」


「ああ、ああ! あんたの言うこともわかる! でも、これはしょうがないことなんだよ! こいつは、悪魔の本能ってやつなんだ!」


「……悪魔の、本能?」


 土下座をしたまま、情けを乞う哀れな表情を浮かべたまま、必死に命乞いをするカル。

 自身が発した言葉に仁が反応するや否や、彼は花音よりも説き伏せやすそうな彼へと狙いを変え、言葉を重ねていく。


「俺だって本当は人を殺したり、食ったりなんかしたくないんだよ! でも、食わなきゃ生きていけないんだ! 俺の中の悪魔が、人を襲って食えって囁き続けるんだよ! なあ、あんたならわかってくれるだろ? 俺は悪魔に憑りつかれて、自分でも望んでいない殺人に駆り立てられてるんだ! 俺だって、俺だって……被害者の一人なんだよぉぉぉっ!!」


 同情を誘う訴えを仁へと叫びながら、地面に顔を伏せてわんわんと泣き出すカル。

 そんな彼のことを黙って見下ろしていた仁は、小さく息を吐いてから口を開く。


「……嘘をつくなら、もう少しマシな嘘にしなよ」


「………」


 ぴたりと……彼の言葉を聞いた途端、あれだけ派手に泣きじゃくっていたカルの動きと声が止まった。

 それも予想していた反応だと大して驚きもしなかった仁は、冷酷な視線を向けながら淡々と悪魔を問い詰めていく。


「本当にお前が本能と食欲に突き動かされ、生きるために仕方なく人を食っていたとしたら……どうして襲った相手の体の一部をわざわざ現場に残した? 理性を失うほどの空腹を覚えていたはずのお前が、どうして仕留めた獲物を食い残す? ……本当は、食うことなんてどうだっていいんだろう? お前が望んでいたのは、人を殺すことだ」


「………」


「お前は人を食うために殺してたんじゃない。殺したかったから殺して、そのついでに犠牲者を捕食していただけだ。わざわざ現場に死体の一部を残していくのは、自分のしたことをアピールするためか? それとも、人々を恐怖で煽るためか? どちらにせよ、悪趣味極まりないけどね」


「………」


 事実をぶつけられ、何も言い返すこともできず、土下座の体勢のまま、顔を伏せたまま、仁に詰られ続けるカル。

 そんな彼へと、仁に代わって花音がこう言い放つ。


「もう、今度は逃がさない。人を殺める快楽に溺れし悪魔、カル……あんたはあたしたちが倒す!」


「……く、くくく、クカカカカカカ……!!」


 もはや説得は不可能だと、同情を誘っての命乞いは無意味だと、花音の言葉を聞いてそう理解したカルが被っていた被害者の皮を被り、残忍な本性を露にする。

 底冷えするような狂気の笑い声を上げる彼の姿を黙って見つめていた仁は、ゆっくりと立ち上がったカルと、その肉体の器となった男と視線を交わらせながら、彼の本音を聞き始めた。


「あ~あ、ガキ相手なら騙せると思ったんだが、そう上手くはいかねえか……! でもよぉ、やっぱ俺は被害者だぜ? なにせ俺がこんなふうになっちまったのは、お前ら人間のせいなんだからなあ!!」


「……どういう意味だ?」


「決まってんだろぉ? この男はなあ、同じ人間に殺されたせいで俺に憑依されたんだ。別に恨みを買っていたわけでもない、ただそこにいたっていう身勝手な理由で同じ人間にぶっ殺された。だったらよぉ、俺が同じことをしても何にも悪くねえよなぁ!? 人間が人間を殺していいっていうのなら、悪魔が人間を殺すことだって許されるはずだろぉ!?」


 げひゃひゃひゃ、と下品な高笑いを上げるカルのことをじっと見つめる仁。

 自分自身の身勝手な言い分こそが正論であるかのように語るカルは、そこから恍惚とした表情を浮かべて非道な話をし始める。


「楽しかったぜぇ……! この男を殺した奴も、俺に襲われて食われた奴らも、悲鳴を上げて泣き叫びながら無残に俺に殺されていくんだ! 悪魔の中じゃあ弱い俺だがな、人間が相手なら好き放題できる! それに、この男も俺と似たような境遇だったらしくてなぁ……俺が人を殺すと、嬉しそうにはしゃいでくれるんだよ! 俺の中にあるこいつの魂は、人殺しを望んでる! だからよぉ、俺はこれからも殺して、殺して、殺しまくるんだ! 弱くて身勝手な人間どもをなぁ!」


 咆哮と共に、カルの肉体に無数の刺し傷のような跡が出現し始めた。

 それが最初の通り魔事件の犯人の手口と同じ、鋭い刃物でメッタ刺しにされた際の傷跡を再現しているのだと理解した仁と花音の前で、人間の皮を脱ぎ捨てた悪魔が真の姿を現す。


「見ろよぉ、この左腕……! 残さず人間の血肉と魂を食ってやったらなぁ、こんなに立派に再生してくれたんだぜ? やっぱり食事は残さず食べなきゃダメだな! ぎゃははははははっ!」


 昨晩、仁に斬り落とされたカルの左腕は、鋭い刃物を思わせる形状となって再生していた。

 ぺろりと、自身の腕を舐めた悪魔は、残忍な笑みを浮かべると一旦距離を取り、仁と花音に向けて大声で叫ぶ。


「お前らも、俺が殺してやるよ! メッタ刺しにして、八つ裂きにして、痛みと絶望を味わわせながら殺してやる! 聖騎士も悪魔祓いも関係ねぇ! 俺は、俺は……強くなったんだ!! げひゃひゃひゃ!! ひゃ~っひゃっひゃっ!!」


「……下品な奴だね。これ以上、あいつの笑い声を聞いてたら耳が腐っちゃいそうだよ」


 弾倉に銃弾がしっかりと装填されていることを確認した花音が、カルを屠るべく戦いの構えを取る。

 だが、そんな彼女を手で制した仁は、一歩前に出ると……僅かに花音の方へと振り向いて、小さな声で言った。


「下がっていてくれ。あいつとは、僕が戦う」


「……!!」


 彼の言葉と、その横顔から何かを感じ取った花音が息を飲む中、カルと向き直った仁が自分を落ち着けるように息を吐き、悪魔を睨む。

 昨日の演技で見せた弱々しい人としての姿を脱ぎ捨てた、残虐な悪魔としての自身を露わにした彼に対して、仁が呟く。


「彼はもう、人間じゃあない。彼の命を救うことは、もう叶わない。そうだとしても……!」


 覚悟の呟きと共に蒼炎を灯した聖剣を、横一文字に振るう。

 宙に浮かぶ蒼い炎の跡が見つめ、その先に立つカルの姿を睨んだ彼は、剣を真っ直ぐに振り下ろし、十字架を描きながら叫んだ。


「今はただ、僕にできることをっ!!」


 仁の前に描かれる蒼炎の十字架。そこから飛び出した鎧が彼の体を覆っていく。

 脚を、腕を、胴を、胸を……白銀と蒼の鎧が包んでいき、最後に決意の表情を浮かべた顔を覆う兜が装着され、仁は神の祝福を受けた聖騎士へと転身を果たす。


 一歩、歩みを進めるごとにその足跡に蒼い炎が燃え盛る。

 鎧の関節部からも蒼炎を噴き出させる仁は、その瞳に討つべき敵の姿を捉えると、構え直した聖剣を手に真っ直ぐに悪魔へと突っ込んでいった。

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