第32話 毒入りの紅茶

「……シャルリエ伯爵家の光魔法を扱う聖女・アイヴィー。この紅茶を淹れたのは本当に君か?」


 王太子の声色は、穏やかにもかかわらず詰問するような響きを纏っている。


「はい。わたくしが腕によりをかけて淹れた、聖女の紅茶ですわ」

「そうか」


 得意げなアイヴィーを一瞥してから、王太子は顔色ひとつ変えずに、控えていた側近に命じた。


「至急、解毒薬を」

「……!? 御意!」


(えっ!? あ! そうだわ! まさか……!)


 側近が部屋から駆け出していく一方で、エステルはカートの前でぽかんとしているアイヴィーに走り寄る。


「アイヴィー! もしかして、私が淹れた紅茶を王太子殿下にお出しした……!?」

「な、何を言っているのかわからないわ。私はそんなことをしていないもの。きちんと自分で淹れたのよ。お姉様、妙な言いがかりをつけないで……!」

「でも」


 さっき、エステルはどす黒い紅茶をカートの上に置きっぱなしにしていた。きっと、アイヴィーはそれをお湯で薄めて出したのだろう。


(空きポットがあったし、茶葉の音もしていたから思い至らなかったわ……! すぐに解毒薬を……)


「エステル嬢。そんなに焦らなくても大丈夫だ。ルシアンに聞いたことはないか? 私たちは毒に慣らされていると」

「しかし、顔色が……」


 エステルと王太子の会話に、アイヴィーはやっと状況を理解したようである。


「……毒!? この紅茶に毒が入っていたっていうの!? 私知らないわ……ただ、この紅茶にお湯を足しただけよ」

「それが毒だったの」


 いとも簡単に主張を変えたアイヴィーへ短く告げ、エステルは淹れてあったミルクティーをカップに注ぐ。すっかり冷めているが、解毒薬としては問題がないだろう。


「私にはルシアン殿下と同じように闇属性の魔力が備わっています。それを利用して作った解毒薬になるミルクティーです。同じカップで申し訳ございませんが、私が毒見を」


「それはダメだ」


 ルシアンの声がして、エステルは入口を振り返る。扉のところに、黒猫姿のクロードを伴ったルシアンがいた。表情は極めて不機嫌そうである。


「あの、ルシアン殿下。いま、本当にそういう場合では」

「わかってる。わかってるけど、止まらない」

「え」


 ふざけている場合ではないというのに、何ということだろう。


「兄上とはいえダメだろう。毒見なら俺がする」

「この状況です。それではその毒見が必要です」

「「…………。」」


「……もしかして、それはエステルが?」

「はい、私が」

「同じカップで」

「もちろんです」

「それは悪くな……、」


 慌てて何か言葉を飲み込んだらしいルシアンの顔色が紫色に染まっていく。どうやら聞かせたくない言葉だったらしい。


「オマエ気持ち悪すぎ……」

「わ……かってる……だからもう喋りたく……ない……」


 クロードのストレートすぎる一言が聞いたらしいルシアンは、こめかみを押さえて固まった。さらに顔が紫になる。これ以上の醜態をさらすぐらいなら、死んだ方がましらしい。


「!? ルシアン殿下!? 大丈夫ですか!?」


 二人と一匹のやりとりを見守っていた王太子はふっと笑う。


「完全に意味不明なものを見せてもらったが、毒見は不要だ」


 そのままエステルが淹れたミルクティーをごくごくと飲む。一瞬で額からはいつの間にか滲んでいた脂汗が引き、いつもの顔色に戻る。そして感心したように呟いた。


「これはすごいな。王都の左側……エステル嬢のカフェがあるエリアで瘴気の発生が減っているというのは本当のようだ」


 それに、息が整ってきたルシアンが何とか答える。


「……兄上。これは……仮説ではありますが、エステルは違った形で聖女として活躍ができるのでは、と」

「内側からの浄化か。規模を考えると現実的ではないが、これは、騎士団や王宮薬師たちの間でも重宝しそうだな」

「定期的に水源を浄化するという考えもあります」

「それが手っ取り早いな。瘴気の発生に先回りできるうえに労力も少なく済む」


(……お二人は何の話をしていらっしゃるの……)


 初めは何のことを言っているのか理解できなかったエステルだが、だんだんとわかってきた。エステルが作るお茶やお菓子に一定の効果があることを認めてくれているのだろう。


「もしかして……そのお話は私が作ったお菓子や紅茶を食べてもらえる機会が増えるということでしょうか?」


 エステルの問いにルシアンが応じる。


「ああ。エステルは本当に『顔だけ』なんかじゃない。類まれな才能を持ち闇魔法で浄化を行える特別な聖女なんだ」

「私が……!?」


 会話を聞いていたクロードが呆れたように呟く。


「つまりオレが宣伝した通り、闇聖女でいいじゃん」


 全然よくない、と言いたいところだったが、エステルはさっき夜会の会場で令嬢たちに褒められたことを思い出す。


 その宣伝文句のおかげでみんなが自分のカフェに来てお菓子を食べていってくれるのなら、何よりも楽しいことだった。


(この使い魔は生意気なことも言うけれど……“闇聖女”、ちょっと悪くないかもしれない……)


 そう思ったところで、ルシアンが場の空気をガラリと変える厳しい言葉を投げかける。その相手はもちろんアイヴィーだ。


「さて、アイヴィー嬢。言い訳があれば聞く」

「わ、私のせいじゃないですわ! 私はただ……エステルお姉様が準備した紅茶を注いだ……ただそれだけで」

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