第27話 ルシアンにとっての夜会(ルシアンサイドのお話)

 ◇


「とりあえずよかったな。闇聖女が一緒にパーティーに出てくれることになって」

「闇聖女じゃない。エステルだ」


 エステルのカフェから戻ったルシアンは、クロードと共にこれからの作戦を立てていた。作戦といってもシンプルなものである。


「とにかく、アイヴィー嬢は邪魔だな。消そう」

「王子様言葉遣い」

「王都から消すのはありだろう」


「そうすると、闇聖女エステルの負担が大きくなるんじゃね? あの子、自由に生きたいんだろ?」

「……そのことなんだが。最近、王都の一部の地域で瘴気の発生頻度が減っているのは知っているか?」

「知らね」


 側近兼使い魔は興味なさそうに寝転がってしまったが、最近、瘴気の発生頻度が下がっていることは事実だった。


「瘴気は魔法だけでなく人の営みによって蓄積し害をなす。そして、光魔法での浄化が外側からのものなら、闇魔法による浄化は内側から行われる。……瘴気の発生頻度が減っているのは、王都の南側――エステルのカフェがある地域だ」


「へえ」

「しかも、少しずつ広がりを見せている。エステルが闇魔法を使ったカフェを営業していることと関係ないはずがない」


 ルシアンは、エステルのカフェのおかげで内側からの浄化が進んでいると予想している。もちろんそれだけでは聖女の仕事としては限界がある。けれど、取り入れ方次第ではこれまでの聖女とは全く違う、しかもより優れた方法で浄化できる可能性があった。


(何よりも、瘴気は発生しない方がいい)


 真剣に考え込んでいると、クロードが不思議そうに聞いてくる。


「それにしてもお前さ。なんでそんなに闇聖女と一緒にパーティーに行きたいの?」

「……ただ、楽しかったからだ」

「ひえ」

「もちろん、エステルが本気で嫌がるなら呼吸を止めてでも諦めるつもりだった。だが、」

「あー。明らかに、迷ってますけどめちゃくちゃうれしいですの顔してたな」

「あれを見たら、押さずにいられるか。……かわいかっただろう?」

「それ同意したら闇魔法出る?」

「肯定しても否定しても許せない気はしてる」

「理不尽!」


 使い魔の叫びを聞きながら、ルシアンは死に戻り前のパーティーのことを回想した。


 ◆


 その日、エステルをエスコートすることになったルシアンは、万全の準備を整えた上で会場に立っていた。


 エステルの前ではできる限り冷静でいたかった。しかし、逆三角形の形の顔をした男の前では頭に血が昇りかけた。


 堪えて笑いに変えその場を収めることに成功したものの、怒りは収まらない。とにかくここからエステルを逃してやりたかった。


 何とか会場の喧騒からエステルを連れ出したところで、ベンチに並んで座る。しばらくは他愛のない話をした。それだけで楽しかった。しかし、すぐに状況は一変した。


「――エステル嬢?」


 エステルがグラスに口をつけた瞬間、緊張しているように見えていた彼女の表情は一瞬で緩み、その代わりに喋らなくなってしまったのだ。


 慌てて、ルシアンはグラスの匂いを嗅ぐ。


(これは酒だ)


 恐らく、慣れていないのに酒を飲んだせいで気分が悪くなったのだろう。誰かを呼んで介抱を――そう思い立ち上がった途端、ぎゅっと袖を掴まれる。


 驚いて見下ろすと、頬を染めてふにゃりと微笑むエステルの姿があった。


「どちらへ行かれるんですか、ルシアン様」

「……るしあんさま」


 甘ったるい声で呼ばれた親しげな自分の名前を、思わずルシアンは復唱した。


「あっ……間違えてしまいました。ルシアン殿下でした。今日は緊張してしまっていて……つい」

「……ルシアンでいい」


 つい本音が出た。


「まぁ。ふふふ。そういうわけにはまいりません」


 両頬を押さえたエステルの銀色の髪は、月の光に照らされてキラキラと輝いている。少しだけ潤みピンクを帯びた瞳に、自分の影が見える。


 その距離で微笑まれたことに気がついてルシアンは息を呑み、再度エステルの隣に腰を下ろした。


「気分が悪くはない?」

「ふふっ。とっても楽しいです……!」

「それは……よかった」


 冷静で完璧な婚約者を演じていたはずなのに、無邪気なエステルの様子に口調が軽くなってしまう。それでも酔いが回ったせいでニコニコと笑う彼女から目が離せない。


「なんだか、今の言い方がとても懐かしい気がします」

「懐かしい?」

「そうです。以前……ううん、ずうっと昔にこんなふうにお話ししたことがあるような、そんな気持ちです」

「……」


 実は心当たりがあったルシアンは口を噤む。けれど、エステルは気にせずに続ける。


「私、お菓子を作るのが好きなんです」

「そうか……」

「でも、家族以外の人に食べてもらえる機会ってなくて」


「確かにそうだな。毒見が必要になる」

「ええ。でも、子どもの頃に参加したお茶会で、私が焼いたケークサレをおいしいって食べてくれた子がいて」


「……」

「今、ルシアン殿下とお話をしていて、そのことを思い出しました」

「……どんな風に思い出したのか聞いても?」


 声がうわずるのを堪えながら、ルシアンは隣に視線を送る。エステルは頬を上気させ、変わらず楽しそうに話している。


「その日、私はこっそり自分が焼いたケークサレをお茶会に持って行ったんです。まだ子どもだったので、毒見のこととか全然わかっていなくて。当然、誰にも食べてもらうチャンスはなく、つまらない時間ばかりが過ぎました」


「……」

「それで、ひとりで庭の隅の木のところまで行ったんです。そうしたら、先客がいらっしゃって」


 エステルは、ふふふ、と上機嫌で続ける。


「私と同じように、お茶会のはみ出し者になっていた男の子が一人。そこから何の話をしたのかしら。ううん。私ばかりお話ししていた気がします」

「そして、ケークサレを二人で食べたのか」


「ええ。なんとその子、全部食べてくれたんです」

「……きっと、ものすごくおいしかったんだろう。おいしさに励まされて、何か思い悩んでいたのを忘れ元気になったのかもしれないな」


「そうだったらとてもうれしいです。……これは、私が認められて楽しかった唯一の思い出なのかもしれません……とても懐かしくて幸せな思い出です……」

「…………」


 エステルの話題に少し迷っていたルシアンは、決意を固めて隣に視線を移す。すると、彼女はくうくうと寝息をたてていた。


 ルシアンはそのまま人を呼んでエステルをシャルリエ伯爵家まで送り届けた。


 慣れない酒を飲んでの会話だ。覚えていないだろうと思いつつ、気遣う手紙を送ってみた。


 いつも通りの形式的な返事があって、仕方がないと思いながらもルシアンは肩を落としたのだった。


 ◆


 ちょうど回想を終えたところで、クロードが聞いてくる。


「お前が闇聖女を好きになったのっていつだっけ?」

「……母に連れられて参加した茶会だ」


「なんだっけ。闇属性持ちですごいけど実際気持ち悪いって陰口叩かれて、立場上キレることもできなくて、庭の端っこでいじけてたとこを餌付けされたんだっけ?」


「違う。とびきりかわいい笑顔で励まされて、手作りのお菓子をもらったんだ。普通、落ちるだろ」

「ああ。男は単純だにゃ」


 そういうことだった。

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