第26話 誘いは断れません

 ルシアンはそのままエステルをエスコートしてバルコニーへと向かう。行き先を先読みしたウェイターがエステルに飲み物を渡してくれる。


「お飲み物をどうぞ」

「ありがとう」




 ルシアンに連れてこられたバルコニーからは、そのまま庭園へと下りられるようになっていた。さすがに庭園に下りるのは形だけの婚約者を越えた振る舞いになってしまうが、ここでベンチに座り語らうだけなら問題ないだろう。


(いちごの香りがする……これはジュースかしら)


 細長いシャンパングラスに注がれた淡いピンク色の飲み物には、細かな泡がゆらめいている。普段、あまりお酒を口にすることがないエステルは首を傾げた。


「挨拶のために連れ回しすぎてしまいましたので、こちらに案内しましたが。エステル嬢はお疲れではないですか」

「ありがとうございます。緊張しておりましたので、少しほっといたしました」


 飾ることのない本心だった。


「お会いするのはこの前のお茶会以来ですね。……そうだ。あの時、エステル嬢が薦めてくれた本を読んだのですが、確かに面白かった」

「よかったですわ。覚えてくださっていたことがうれしいです」


 エステルに合わせて無理のない話題をスマートに提供してくれるルシアンは、上品な王子殿下そのものである。エステルが外から見るときの『完璧でクールなルシアン殿下』とも少し雰囲気が違い、意外性を感じてしまう。


 いつも婚約者の義務として彼に面会するときは大体側近やメイドが同席している。けれど、今日は夜会ということもあって二人きり。


(ルシアン殿下と二人でお話しするのはこれが初めてかもしれないわ……)


 初めは緊張したものの、バルコニーでのルシアンとの会話は楽しかった。途中、喉が渇いたエステルはグラスに口をつける。


「……!?」

「エステル嬢、どうかしましたか?」

「いえ、あの……」


 どうやらこれはお酒だったようだ。話に夢中になっていて、泡が泳ぐこの飲み物が何なのか確認するのをすっかり忘れていた。


「……エステル嬢?」


 ぐるぐると世界が回って、遠くでルシアンの心配そうな声色が聞こえる。意識を保とうとしているはずなのに声が近づくことはない。


(あれ……どうしよう……)




 そのまま意識は遠のいて、気がつくと翌日の朝だった。


 シャルリエ伯爵家のベッドで目を覚ましたエステルは、自分が昨夜酒に酔ってルシアンに送り届けられたという顛末を聞いた。


 恥ずかしさで顔から火が出そうだったけれど、ルシアンはエステルの体調を気遣う手紙を送ってくれた。


 その振る舞いがまた完璧で、エステルは『やはり彼は別の世界にいる人だ』と思った。その後、エステルとルシアンは顔を合わせることはなく。


 エステルは義妹の提案で辺境の地へ行かされることになり、道中で死んだ。



 ◆


 回想を終えたエステルは招待状をエプロンのポケットにしまう。


(この招待状はこの人生では無縁……! もしルシアン殿下にパーティーへ誘われたとしても断らなきゃ。今回はアイヴィーと距離を置くんだから。アイヴィーがルシアン殿下の婚約者の座を狙っているなら、この夜会に出るのは絶対に良くない……!)


 今度こそ義妹に殺されてなるものか、と決意を新たにする。そして。


(けれど……あの夜会での彼の振る舞いは『形式ばかりの婚約者』に対するものではなかったんだわ……)


 今ならわかる。ルシアンが、皆に聞こえるようにしてエステルを守った理由が。


(ただのスマートな行いと勘違いしてろくにお礼も伝えず、お酒を飲んで気絶した自分を呪いたい……!)


 エステルは心の中で茶化しつつ、ほんの少し育ち始めていた彼への特別な想いに蓋をする。


「ルシアン殿下とのことは……まだ後戻りができるもの」





 しかしあっさりとそうは行かず、びっくりするほど非情なのが現実である。


「一緒に行ってくれないと帰らない」

「……」


 その日昼。どうしてこんなことになっているのか。エステルは目の前で駄々をこねる元婚約者に遠い目をしていた。


 ちなみに、使い魔はルシアンの隣で人間の姿になりおやつのチョコレートケーキを夢中で食べている。最初は黒猫の姿だったはずが、気がつくとこうなっていた。エステルの闇聖女の力は絶好調のようだ。


 意識を飛ばしかけたエステルに、ルシアンはニコリと微笑む。


「もう一度言う。今度、王太子殿下の誕生日を祝う夜会が王城であるんだ。それに、一緒に出席してほしい」

「無理です。お断りします」

「どうしてだ。エステルはまだ俺の婚約者だろう? この招待状が届いている時点で、参加する資格はあるはずだ」

「!」


 正論でしかない。けれど、エステルにだって断る権利はある。問題は、こうして誘われて思ったよりもうれしい自分がいることだった。


(こんなの完全に予想外だわ……! 朝、招待状を見つけた時はルシアン殿下とはいつでも離れられると思っていたのに)


 確かに、エステルは育ちかけていたルシアンへの想いに蓋をしたはずだった。それなのに、彼に真っ直ぐに頼まれると言葉に詰まってしまう。どうしても断りきれないのだ。


「本当は誘うつもりはなかった。だが、ここに来てエステルを見たら話さずにいられなくなった」

「……その言い方はずるいです」

「俺が呪いを利用してると思ってる? 苦しまないために誘いを受けるように仕向けていると?」


 思わぬ答えに、エステルは拒絶することを忘れ慌てて首を振った。


「……その発想はありませんでした。ただ、私にもその言い方で揺れるところがあるというだけで……」


 正直に答えると、ルシアンの隣でもぐもぐとチョコレートケーキを口いっぱいに詰め込んだクロードが「うへえ、甘すぎる」と呟く。


 ルシアンは間髪を入れずに真顔で告げてくる。


「優しくてかわいい。好きだ」

「……!? だから、今ここでそれは反則ですってば!」

「今のはわざとだ。どうせ一緒にいたら告げることになるんだ。それなら初めから目を見て伝えたほうがいい。俺はエステルが驚いている顔よりも照れている顔の方が見たい。いやどっちもかわいいが……できれば照れている顔の方が……っつ」


 言っている側から顔色が紫になる。これは新しいパターンだった。


「ルシアン殿下!? 大丈夫ですか!?」

「ああ……途中から聞かせたくない言葉が出てきそうで止めた……油断も隙もない……っ」

「……!?!?」


 今朝、死に戻り前のパーティーのことを回想したばかりのエステルには目の前で息苦しそうに耐えているルシアンの姿が新鮮すぎる。


 涙を流してゲラゲラと笑っているクロードと、その口を闇魔法で封じようとするルシアンを眺めながら、思わずにはいられない。


(……私はこのルシアン殿下ともっと一緒にいたかったな)


 ぼうっとしていたところに、カウンター越しに手を握られてエステルは飛び上がる。


「エステル。一度だけでいいんだ。一緒にパーティーに行きたい」


「……」

「お願いだ」

「もし、この夜会に出席したら、私たちの婚約を解消してくださいますか……?」

「どうしてそんなことになるんだ」

「だって」


 未来を知っているとはさすがに言えない。しかし。


(このパーティーにはアイヴィーも参加すると言っていたわ。そこが死に戻り前と違っていて気になるところだけれど……。とにかく、私は関わるわけにはいかないの……!)


「妹のアイヴィーにもこの会への招待状が届いたと聞いています。いくら私がシャルリエ伯爵家と縁を切ったと言っても、アイヴィーが出てくるのなら話は違ってくると思います」

「……なるほど」


 急に変わった声色にエステルは顔をあげる。見ると、さっきまで緩み切っていたルシアンの表情が、引き締まって厳しいものになっていた。


 そう、まさに死に戻り前によく知っていた冷酷で完璧な王子様の顔だ。


「あの、ルシアン殿下……?」

「つまり、エステルはアイヴィー嬢を消せば俺と一緒に夜会に出てくれると?」

「いいえ違います」

「彼女のことはタイミングを見て消すつもりだったから問題ない」

「あの、全然違うのですが聞こえていますか!?」


 いくら何でも、国の第二王子が伯爵令嬢の聖女を“消す”わけにはいかない。


 しかし話し合いの結果、アイヴィーのことはルシアンに任せつつ二人でパーティーに参加することになってしまった。不安しかない。


(どうしてこんなことに……!?)

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