第25話 パーティーの記憶
それから少し経ったある朝。エステルは庭先のポストに入れられた封筒を手に固まっていた。
「……これ、招待状よね」
この封筒は見覚えがある。もちろん、この人生ではなく死に戻り前に見たものだ。この封筒の中身は王太子殿下の誕生日を祝う夜会への招待状で、ルシアンのエスコートを前提にしたもの……のはずだった。
(シャルリエ伯爵家に届いたものをお父様が転送されたのね、きっと)
「どうしよう……」
この招待を断るには、正式な婚約解消の手続きが必要になる。別に問題ないしエステルが望んできたことのはずだったが、いざそうしようと思うと心がざわつく。
(ルシアン殿下やクロードとの時間は正直なところとても楽しくて……ううん。でもそれだけじゃない……)
このモヤモヤの答えは知っていた。けれど、ルシアンにかかった呪いによる少し間の抜けたやりとりのおかげで、あまり向き合うことなく済んでいる。
本音を伝えてくるルシアンの申し訳なさそうな仕草と、それに似つかわしくないストレートすぎる言葉。最近はそれを思い出すだけで鼓動が速くなってしまう。
エステルは、ルシアンとただ一度だけ参加した、死に戻り前の夜会のことを思い出していた。
◆
「とても美しい。どんなに希少な宝石や美しい音楽も今夜のあなたには敵いませんね」
「…………」
その日。シャルリエ伯爵家に迎えにきたルシアンは、外見だけを褒められることにすっかり慣れっこのエステルでさえ、驚愕し固まるほどの褒め言葉を投げかけてきた。
それでいて涼しい顔で軽く微笑み、肘を差し出してくる。ぴんと伸びた背筋と高貴さを感じさせる佇まいは、エステルが普段は遠くから目にしているものだ。
言葉も振る舞いも、スマートな王族そのものである。
(さすがルシアン殿下。慣れていらっしゃる……)
こんな風に、誰かをエスコートすることなど造作もないのだろう。初めて婚約者と一緒に夜会に出ることを緊張していたエステルは、心の中で気合いを入れ手を彼の肘にそっと置く。
――わずかに彼の肘に力が込められた気がしたのは、自分の手に力がないせいだと思った。
会場に入ったエステルは、たくさんの人に挨拶をすることになった。今日の主役にあたる王太子殿下にはじまり、国内の重鎮たち、将来的にルシアンの補佐に回る貴族令息たち。
一通り終えたところの感想は、“愛想笑いが顔に貼り付いて、表情筋が痛い”である。
(ふぅ……覚悟はしていたけれど、こんなに大変だなんて)
頬をむにむにと揉んでいると、隣にいるルシアンが目を丸くしてこちらを見ていることに気がついた。
「も、申し訳ございません。つい、緊張をしてしまいまして」
「――っ。いや、私の方こそエステル嬢に気遣えず連れ回して申し訳ありません。少し、」
優しい微笑みを浮かべたルシアンがそこまで言いかけたところで。
「……ああ、顔だけ、の……」
(……!)
周囲のざわめきの中からポンと耳に届いた自分を揶揄する言葉に、エステルは身体をこわばらせる。
(今日は王城での夜会なのに、こんなことを言う人がいるなんて……! 別に、こういう視線には慣れているから問題ないけれど、エスコートをしてくださっているルシアン殿下に申し訳ないわ)
せめて、彼には聞こえていないことを心の底から祈りたい。
ちらりと隣を見上げると、ルシアンの表情は変わりないように思えた。――よかった、この完璧な婚約者に恥をかかせずに済んだ。そう思っていると。
ルシアンの肘に置いたエステルの手が、そのまま上からぎゅっと押さえつけられる。触れた指先に飛び上がりそうになった瞬間、彼の足は言葉の主のもとへと動いていた。
(……えっ!? 待って? ルシアン殿下は一体何を……!?)
戸惑いしかないエステルを連れ、ルシアンは逆三角形の形をした顔の男の前に立った。貴族の中でもルシアンと気軽に言葉を交わせる立場の人間ではないのだろう。急に目の前に現れたルシアンにびっくりしつつ、名乗ってくる。
「ダ……ダヴィド子爵家が嫡男、アルバン・ダヴィドと申します」
「ダヴィド家というと、後ろ盾はバルテレミー伯爵か。彼には会う機会が多い。先日も
「はっ……はい」
急に王子殿下に話しかけられ、頬を紅潮させているアルバン・ダヴィドと名乗った青年にルシアンはわかりやすくため息を吐いた。
「顔だけ、か。確かに私は外見ばかりを褒められることが多く、精進せねばと思っていたところだ」
(ええと……!?)
こういう冗談を口にする人だったのか。
ルシアンの口から発せられたまさかの言葉に、普段の彼をよく知っている側近たちから堪えきれない笑いが漏れる。エステルも信じられない展開に息を呑むしかなかった。
「いや、顔だけと言うのは……」
困惑したらしい逆三角形の彼の視線が泳ぎ、エステルに行き着く。こちらを見ないでほしい。その視線の先を追うまでもなく、ルシアンは告げる。
「まさかとは思うが、エステル嬢は私の婚約者でありこの国に尽くすれっきとした聖女だ。――彼女への侮辱は私への侮辱と同等以上と理解するように」
にこやかかつ上品な口調だったが、最後は語気が強まった。エステルも含め、その場にいた人間たちは口をぽかんと開ける。
「エステル嬢、向こうへ」
「はっ……はい?」
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