第24話 言葉が止まらないようです

「毒、って」

「さっき、“早く帰ってほしくてぐちゃぐちゃな感情のまま紅茶を淹れた”と言っていただろう。きっとそのせいだろうな」

「……! 嘘……!」


 これまで、エステルにとってお茶の準備やお菓子作りは楽しいことでしかなかった。だから、毒ができてしまったことはなかったのだろう。急に真っ青な顔をしたエステルに、ルシアンは優しく告げてくる。


「大丈夫。いつも通りにしていれば毒ができることはないよ。このキッシュもものすごくおいしいし。これまで通り毎日このカフェでお菓子を作ってお茶を淹れて平気だ」

「でも……」

「俺は、君に関することで君に嘘がつけない。これは気休めじゃない」

「あ」


 そういえばそうだった。エステルは一瞬で落ち着きを取り戻したが、問題はクロードである。


「おい。闇聖女。ルシアンは暗殺防止で慣らされてるけど、オレは毒に慣れてない。使い魔だからあんま効かないけどでも気持ちが悪い」

「ご、ごめんね……! 今、光魔法で浄化を」


 とは言ったものの、エステルは『顔だけ聖女』なのだ。浄化の魔法をかけても、毒はほとんど消せないだろう。解毒薬が必要だった。


(どうしよう)


「ミルクティー」

「え?」


 ルシアンの言葉にエステルは目を瞬く。


「エステルが作るミルクティーが解毒薬代わりになると思う」

「! すぐに作ります!」


 さすが、唯一の闇魔法の使い手である。エステルはすぐにキッチンに入り、お湯を沸かしてミルクティーを淹れた。それを、よたよたとクロードが覗き込んでくる。


「はちみつも入れていいぞ。オレの好物だ」

「……」

「カフェ用のアップルパイも出してくれていいぞ。アイスクリームを添えて」

「…………」


 本当に気分が悪いのだろうか。


 注文の多い使い魔の言葉を聞き流しながらエステルはミルクティーを淹れ、お皿に注いで氷をふたつ浮かべる。それをクロードはごくごくと飲み、ぷはっと息を吐いた。


「……お! 治った。さすがに人間の姿になることはなくて猫のままだが、気持ち悪くない」

「よかったわ。変なものを飲ませてごめんね」


「すげえな、闇聖女。気に入らない人間を殺める方法と救う方法のどちらも持ってんのか。これは敵に回したくねーな」

「……」


 クロードの感想に何ともいえない顔をしていると、ルシアンまで同じようなことを呟く。


「……毒殺でもいいのか。闇魔法で作られる毒なら証拠も残らないだろうしな……」

「……!?」


 一体何を考えているのか、と聞きたかったが、彼の顔が紫色になることは目に見えている。エステルは無になって聞き流すことにした。


 ミルクティー用のお皿を片づけ終えたところで、ルシアンが聞いてくる。


「アイヴィー嬢のことに話を戻してもいいか」

「はい」

「もともと、彼女が光魔法を使えることに疑問を持っていた。きっと、稀に光属性の魔力の持ち主が生まれる家の出なんだと思うが……少し調べさせてもらってもいいか。さすがに、消すわけにはいかないからな。君に近づけない方法を考えたい」

「はい……」


(それにしても、ルシアン殿下はどうしてこんなにアイヴィーを敵視しているのかしら。私の立場を奪ったから、だけではちょっと説明がつかない気がするのよね……)


 この先、エステルがアイヴィーの差し向けた賊によって殺されることを知っているのは、死に戻っているエステル自身だけのはずだった。


 ◇


 わずか数日後。


 国家最高権力を駆使しあっさりとアイヴィーのことを調べ上げたらしいルシアンは、エステルのカフェを訪れていた。


「アイヴィー嬢の生家は王都から離れた町の平民の家のようだ。その家は稀に光属性の魔力を持つ子どもが産まれてくるらしい。聖女が選ばれるのはシャルリエ伯爵家からとほぼ決まっているから日の目を見る機会はなかったようだが、神殿でも把握はしていたらしい」


「ルシアン殿下の予想通りですね……」

「ああ。ただ、今は相当に貧しいようだな。アイヴィー嬢も口減らしのために養子に出されることになったが、どの家でも落ち着かずに孤児院に行くことになったようだ」


(知らなかった……)


「つーことは、アイヴィーが聖女のまま生家に戻ればみんな一件落着だにゃ?」

「ああ。俺もそうなればいいと思っていた。彼女が望むままに褒めそやされつつ、良からぬものを使えるだけの財力を奪う。落とし所だろうな」


 ルシアンとクロードは淡々と話しているが、エステルにとってはなかなかショッキングな話である。


 ――しかし。


(だからって、どうして私が殺されなきゃいけないの……!)


 死に戻り前のことを思い出すと怒りが湧いてくる。すると、いつもの言葉が聞こえた。


「……エステルは怒った顔もかわいいな。滅多にそんな顔見られないだろう。もっとそばで見たいな?」

「――おこったかおもかわいいもっとそばでみたいな?」

「今、俺は何か言ったか」


 どうやらうっかりのようである。不意打ちの甘い言葉に頬を染めてしまったエステルはただ頷くしかない。ルシアンも目を逸らす。


「……聞き流してほんと」

「はっ……はい……」


 返事をしたものの、実のところエステルには先日ルシアンに抱きしめられたことがかなり響いていた。


(普通にしようと思うのに……! ルシアン殿下がこのお店に入ってきて、彼の匂いがするだけで呼吸が速くなる……)


 実はさっきもそうだったのだ。カランと扉の鐘の音がして、ルシアンしかあり得ないシルエットが見えた途端にもうダメだった。


 エステルはこんなに気まずいのに、何事もなかったかのように振る舞う彼が信じられない。いや、もしかしたら違うのかもしれない。ルシアンはすでに思う存分本音をエステルに伝えてきている。そのせいで何かが麻痺している可能性もあった。そうに違いない。


(こんな状態の私に、好意を伝えてくるのは本当にやめてほしい……!)


 ルシアンの方もエステルの様子がどこかおかしいことに気がついたようである。


「……そこまで照れないでもらえると助かる。ますます言葉が止まらなくなるから」

「「……!?!?」」


 頬を染めたままのエステルとルシアンの口が同時にぽかんと空いた。自分も同じ表情をしておきながら、ルシアンは一瞬目を見開いた後で頭を抱える。死に戻り前の、クールな雰囲気はわずかほどもない。


「……君はこれ以上俺をどうしたいんだ?」

「「…………!?!?」」


 二人はまた同時に驚愕の表情を浮かべる。


「……聞き流して……」

「!」


 聞かなかったことにします、と切り返せればいいのに、なぜか今日は言葉が詰まる。エステルはただただ首を縦に振り続けた。それを見たルシアンはまた何かを言おうとして慌てて口を押さえた。


「…………っつ」

「あ、あの、また顔が紫色に!?」

「いい。これは本当に……言っちゃ……ダメなやつ……」

「!? ルシアン殿下、大丈夫ですか!?」

「ごめんほんと触んないで……まじやば……苦し……」


 ルシアンは聞いたことがないほどに砕けた口調になっている。その肩を支えようとしたエステルの手は躊躇いがちに優しく振り払われる。それと入れ替わりにクロードがくるりと回って人間の姿になった。


「仕方がない。闇聖女、コイツはオレが預かるわ、まじ面白い」

「お前、後で殺す」


 クロードとの会話は、いつも通りのようだった。

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