第22話 アイヴィーの用件
◇
モーニングが終わり、ランチタイムの準備をしようとしていたエステルのところにやってきたのは、義妹・アイヴィーだった。
「エステルお姉様。私、ミルクティーは好きじゃないの。濃いめの紅茶にしてもらえる?」
「……」
(本当は関わりたくないけれど……紅茶を飲んですぐに帰ってもらおう)
紅茶を淹れるため、返事をせずにカウンターの中に入ったエステルにクロードが小声で聞いてくる。
「にゃあ。オレ、もしかして人間の姿になるタイミング逃した感じか」
「そうかもしれないわ。でも大丈夫」
「オレ、人間の姿の方がイケてるんだよな。魔法とか使わずに撃退できたかもしれないのに。惜しかったな」
「…………」
エステルは使い魔の妄言を無視することにした。ティーポットに茶葉を2匙いれ、鍋で沸かしたお湯を注ぐ。その間にもアイヴィーの話は続く。
「この前ね、夜会への招待状が届いたの。私、華やかな場所に招待されたのって初めて! 聖女としての務めをするようになったら皆の注目を浴びることも多いけど、パーティーなんて特別よね!」
(……夜会……)
そういえば、と今から数ヶ月後に行われる夜会のことを思い出す。その日、エステルは初めてルシアンのエスコートで公式の場に出ることになるのだ。
エステルにとってルシアンは『聖女だから』と決められた婚約者に過ぎなかったし、ルシアンにとってもそのはずだった。
その日も役割を果たすために夜会に出た。エステルのことを“顔だけ聖女”と揶揄する周囲の視線を上品に咎め、顔色を変えずにたくさんの人間の相手をするルシアンを心底すごいと思った。けれどそれだけのはずでもあった。
……それなのに、今どうしてこんなことになっているのか。
エステルはぶんぶんと頭を振り、自分を好きすぎると告げてくるルシアンの顔を脳内からなんとか取り去る。それから、濃いめどころかすっかり渋みが出た茶葉を取り除いた。
(そういえば……あの夜会の日、私はその先の記憶があまりないのよね……)
その理由は、慣れないお酒に酔って気を失ってしまったからである。自分がこんなにアルコールに弱い体質とは知らなかった。今度こそは気をつけたい、と思うものの、死に戻ったこの人生では自分はあのパーティーに参加することはないのだろう。
(でも、あれは王太子殿下の誕生日を祝うものだったはずで、私もルシアン殿下のおまけだったわ。だからアイヴィーに招待状は届かなかったはずなのだけれど……)
そんなことを考えつつ、アイヴィーの前に置かれたカップに紅茶を注ぐ。コーヒーにも見えそうなどす黒い紅茶がカップを満たしていく。
なみなみと注がれる紅茶を眺めていたアイヴィーは事もなげに言った。
「ねえ。お姉様の婚約者を私にくださいな」
「ぷぽっ」
カウンターの上で水を舐めていたクロードがお皿に顔を溺れさせた気配がする。それがミルクティーでなくてよかった、と思いながらエステルはトレーを握りしめる。聞き流したいところだが、あらゆる意味で突っ込みどころが多すぎた。
「アイヴィー。何をふざけたことを言っているの。……それに、もう私に婚約者なんていないわ」
「嘘よ。私、知ってるの。お姉様が家を追い出された後も、ここに第二王子殿下が通っているってこと。ねえ、どうやって誑かしたの?」
「……た、誑かす」
誑かした覚えはないのだが、事実だけを言うとルシアンはエステルを好きすぎるらしい。どう答えたものか、と呆気にとられるエステルだったが、アイヴィーは歌うように続けた。
「“顔だけ聖女”に夢中になるなんて、第二王子殿下・ルシアン様は随分と変わった趣味をしているのね。それにしても、お姉様が平民みたいにして働いているっていうからどんなのかと思ったのだけれど……このお店、悪くないわ」
ぴりりとした緊張が身体に走り、全身が強張るのがわかる。
「……アイヴィー。そろそろ帰ってもらえるかしら。私、ランチタイムの準備がしたいの」
「そうだわ! ねえ。ルシアン様だけじゃなく、ここも私がもらってあげる。そうしたらお姉様はまた私の下になるでしょう? うちにいた時みたいに」
「……!」
その途端、カランと音がしてカフェの中に暗雲が立ち込めた。
入口に視線をやると一人の青年が立っていた。間違いなくルシアンである。黒いもやが漂っているところを見ると、闇魔法を使ってアイヴィーを追い出したいのだろう。
ルシアンがこのカフェに来るのは数日ぶりだ。それなのに、なんというタイミングなのだろうか。慌てて手で“待て”のジェスチャーをしたエステルは、アイヴィーを本格的に追い返しにかかる。
「と、とにかく、今日は向こうの出口からもう帰って。そして二度と来ないでくれるかしら?」
「せっかく遊びにきたのにどうしてそんなことを言うの……? お姉様って冷たいのよね。いくら私の方が聖女にふさわしいと言われたからって。そんなんだから魔力がほとんどないんだわ。……ていうか、この黒いもやは何なのよ!?」
それはこっちが知りたい。
とにかく、エステルはアイヴィーを外へと押し出す。ご近所の平和の危機だった。
「さっき焼いていたケーキが焦げたのかもしれないわ。本当にもう帰って!」
「全然焦げ臭くないけど!? い、痛い! 押さないで!」
「ご来店ありがとうございました〜! どうかもうお越しいただけないことを切にお祈りして!」
エステルはアイヴィーを何とか押し出して、バタンと扉を閉め鍵をかける。外でギャアギャアいう声が聞こえたが、それどころではない。
「……焦げではないんだが」
ルシアンは、これ以上ないほどに不満げな視線を送ってくる。
けれど、エステルと目を合わせると、観念したように息を吐いて闇魔法の展開を諦めてくれたのだった。
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