第21話 ルシアン殿下の婚約者(実家サイドのお話)
そのころのシャルリエ伯爵家。
「ここのところのお茶の時間は寂しいな」
「……エステルがいませんものね……」
夕暮れのサロンで、シャルリエ伯爵夫妻は焼き菓子と紅茶を前にため息を吐いていた。
長女・エステルが家を出てから数ヶ月。シャルリエ伯爵家の雰囲気は確実にどんよりと沈んでいる。
「エステルが焼いたお菓子がお茶の時間に出た頃が懐かしいな」
「ええ。伯爵令嬢が厨房に入るものじゃないと何度言い聞かせても聞かなくて……それでシェフ並みの腕前になっていつの間にかカフェを開店してしまうのだから。本当に好きだったのでしょうね。噂で耳にしたのですが、カフェはとても評判が良いようですわ」
「そうか。……そうだ、今度エステルのカフェを訪ねようか?」
「そうしたいところですけれど……関わりを絶ちたいから金銭的な援助ではなく住む家を、なんて言われてしまったら……」
エステルの母親は涙ぐみ、言葉が続かなかった。そこに扉が開きアイヴィーが顔を覗かせる。
「あら? お父様、お母様。お茶の時間なのね。 私も呼んでくれたらいいのに!」
「アイヴィー。今日は神殿に行っているはずではなかったのか?」
「ちょっと体調がいまいちだったからお休みにしてもらったの」
「……それで穢れの浄化は大丈夫なのか?」
「エステルお姉様と違って私は魔力量が豊富だから問題ないわ。お姉様は一日に一回しか聖女の仕事をこなせなかったみたいだけど、私は一日に何度でも光属性の魔法が使えるから」
父親から矢継ぎ早に飛んでくる質問に、アイヴィーは口をへの字に曲げた。少し前までは、こんなふうに詰問に近い問いをされることはなかったのだから当然である。
今がお茶の時間だと把握したアイヴィーは自然に席に着いた。三人の中にほんの少しだけ微妙な間があった後、メイドが遠慮がちに「アイヴィーさまの分もお茶をご用意します」と告げ、母親は何も言わずに頷く。
アイヴィーへの紅茶が準備されるのを待たずに、父親は新たな話題を口にした。
「もうすぐ王太子殿下のお誕生日会があるだろう。エステルに招待状が来ていたな」
「王城で開催されるものですわよね。ルシアン殿下の婚約者としての招待でしたから……シャルリエ伯爵家の後ろ盾がなくなったエステルに参加する資格があるのかどうか……」
両親の会話を聞いていたアイヴィーは首を傾げる。
「……それって、夜会というものですか?」
「そうよ。アイヴィーは一年前のデビュタント以来参加していなかったわね」
「私には招待状が来ないんだもの」
ぷうと頬を膨らませたアイヴィーに母親は力なく笑い、父親はぎこちない笑みを浮かべる。するとサロンにはまた微妙な沈黙が流れた。
アイヴィーに社交界への招待状が少ないのは理由がある。それは、説明するまでもなく養子だからである。
慈悲深いシャルリエ伯爵夫妻は、孤児院から脱走したところを引き取ったアイヴィーに長女のエステルと全く同じものを与え、自分たちの本当の子どもとして大切に育ててきた。
実子と差別することなく同じように褒め、愛情を注いだ。けれど、アイヴィーへの同情の心からエステルと同じように叱ることはできなかったかもしれない。それでも、夫妻には寂しい思いをさせることがないように溺愛してきたという自負はある。
しかし、周囲はそうはいかなかった。
アイヴィーはどうしても『孤児院から引き取った養子』として奇異の目に晒され、社交界からつまはじきにされる。夫妻は、か弱い娘を守るのにただ精一杯だった。
一方で、貴族たちは第二王子の婚約者である長女のエステルを無視することはできない。その結果、『顔だけ聖女』として揶揄されているはずのエステルにだけ招待状が届く。
神経質なほどに姉妹平等を心がける両親は苦悩の末、本当に出席しなければいけないものを除いて欠席の返事をしていた。
物分かりが良く、かつあまり華やかなことに興味がないエステルは何も言わなかった。派手好きなのがエステルではなくアイヴィーでよかったと何度思ったことか。
アイヴィーが劣等感を持つことなく自信たっぷりに育っているのは夫妻とエステルの努力のおかげだった。けれど、実子であるエステルが出て行ってしまった今、そのバランスは崩れかけている。
どんよりと沈んだ空気を理解しないアイヴィーは「そうだ」と目を輝かせる。
「そうだわ! その夜会、私がエステルお姉様の代わりに出ればいいじゃない!」
「「!?」」
突拍子もない提案にシャルリエ伯爵夫妻は仰天し固まった。数秒の後、父親がやっとのことで口を開く。
「アイヴィーは何を……。これは、エステルへの“ルシアン殿下の婚約者”としての招待状なのだ。アイヴィーでは出られないんだよ」
「でも、お姉様とルシアン様が婚約したのはお姉様が聖女になる予定だったからでしょう? そうしたら、その招待状は私のものだと思うの」
「そういうものなのかしら……」
「それはないだろう」
アイヴィーの不思議な理論にうっかり納得しそうになっている妻に向かい、シャルリエ伯爵は首を振り、続けた。
「先日のルシアン殿下の様子では……そのようなことは許されないだろうな」
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