第18話 顔だけ聖女は認められる④

 怪我をした少年を椅子に座らせたエステルは、薬箱から湿布を取り出した。


 《キュア》


 そこに、光魔法の呪文を唱えると、大人しく見守っていた少年は目を見開く。


「おい、待てよ。聖女の魔法で傷は治せないんじゃなかったのかよ」

「もちろん治せないわ。これは、おまじないなの」

「だって、その湿布ちょっと光ってない?」

「みんなが想像しているような効果はないわ。この湿布が効く時間をわずかに上げるぐらいのものなの」


 光属性の魔法は『穢れ』を浄化することにまつわるものがほとんどだ。


 この《キュア》もその類なのだが、傷や怪我に向かって唱えたところで何も起こらない。ということで、湿布の効果を長持ちさせるなどの意味でエステルは気休めに使っている。


 けれど、エステルが役に立たない聖女だと思い込んでいた少年にはなかなかのインパクトだったらしい。急に無口になった後、ポツリと言った。


「ごめん」

「? さっき謝ってもらったからもういいの」

「違う。石を投げたことだけじゃない。“顔だけ聖女”なんて言って、ごめん」

「……」

「エステルは大人が言ってたような聖女じゃなかった。顔だけなのに、妹に地位を譲らなかったって誰かが言ってたから……おれ……」


(まぁ、この辺りは死に戻り前と同じよね……)


 義妹・アイヴィーが聖女になり華やかに儀式を行うようになった後、エステルへの風当たりはさらに強くなった。アイヴィーがちやほやされることを好む性分だったのもあって、その比較対象としてエステルはいいように使われた。


 もちろん、エステルはそのことはさほど気にしていなかった。魔力がほとんどないのは申し訳なかったが、それだけの話である。アイヴィーは、自分に平伏することもなくのほほんと暮らしているエステルが腹立たしかったのかもしれない。


 この人生は死んでなるものか、と決意を新たにしていると、物騒な響きを纏わせたルシアンの声が耳に入った。


「……エステル? 俺の婚約者を呼び捨てに?」


 せっかくご近所の子どもたちと仲良くなれそうだったのに、やめてほしい。


「あの、ルシアン殿下。本音が聞こえています」

「今のはうっかりじゃない。わざとだ」

「……それは」


 こんなところで独占欲を全開にされても困る。エステルとルシアンの様子を見ていたクロードがレモンタルトを口に運びながら笑う。


「こんなちびっ子相手に大人げないんじゃねーか」

「俺だって、最近まで“エステル嬢”呼びで我慢していたんだぞ? 出会ってこんなわずかな時間で同じ距離に来られてたまるか」

「お前はこれまでの振る舞いに問題がありすぎたんだよ」


 この会話は明らかに聞き流すべきものだろう。エステルは無になってやり過ごすことにする。聞こえないふりをして、残っていたレモンタルトを三等分し、お皿に載せた。


「はい。これ、私が焼いたレモンタルトなの。もしよかったら、仲直りのしるしに感想を聞かせてほしいな」

「「「うまそー!」」」


 子どもたちから歓声が上がる。


(思い返してみれば、私が作ったお菓子を食べてくださったのは家族以外だとルシアン殿下とクロードだけなのよね。続いてこの子たちが三人目、かな……)


 シャルリエ伯爵家の厨房ではお菓子作りを教わったものの、なかなか周囲に食べてもらえる機会がなかった。だからこそ、エステルが歌いながら作るお菓子に特別な効果がつくことがここまでわからなかったのだろう。


「おいしい! なんかケーキ屋さんの味! 母ちゃんが作るやつと違う!」

「よかった。これは貴族のお屋敷の厨房で教わってきたレモンタルトなの」


 口の端についたメレンゲを舐めながら目を輝かせた丸顔の少年にエステルが笑みを返すと、ルシアンも同意してくれる。


「本当においしかった。ケークサレも絶品だったが、このレモンタルトも人気メニューになりそうだ。ただ、外に張る結界をどうするか非常に悩むところだ。今なら何でも弾ける気がするな」

「……!? 普通の結界をお願いします。普通のを」


 ルシアンが弾こうとする『男性客からの好意』にはレモンタルトやケークサレへの好意もきっと含まれる気がする。営業妨害はやめてほしい。


 エステルとルシアンのやりとりを見ていた少年が聞いてくる。


「二人って、将来結婚するんだったっけ?」

「!?」


 質問の内容が不意打ちすぎた。話し合いは平行線だが、伯爵家を出たエステルがルシアンと結婚することはない。なんとか平静を装い否定する。


「ええと、もう違、」

「そうだ。俺たちは婚約者同士だからな」

「……!?!?」

「嘘は何ひとつ吐いていない。婚約解消に係る手続きはしていないし、俺はするつもりもない」

「それはそうですけれど……! というかいい加減にそろそろ婚約解消の手続きをしませんか!?」


 そんな、と困ったものの、同時に不思議な安心感も押し寄せる。一体これはなんなのだ。戸惑いしかないが、エステルはそれをレモンタルトとアイスティーで一気に流し込んだ。


「なんか、二人は仲良いね」


 レモンタルトを一気に平らげ、無邪気な感想を述べた少年はとん、と椅子から立ち上がった。


「……あれ」


「どうしたの?」

「足を怪我してたのを忘れて勢いよくついちゃったんだけど、そんなに痛くないや。もしかして湿布効果かな。すごいね『顔だけじゃない聖女』のおまじない」


(私が湿布にかけた光魔法にそんな効果はないわ。もしかして、闇魔法がかかったレモンタルトのせい……?)


「闇聖女か」


 にやにやしながら見守っていたクロードの小声に、エステルはむうと頬を膨らませたのだった。

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