第19話 来客
それからしばらくの日にちが経って、エステルのカフェは開店した。
「ミルクティーとケークサレをひとつ」
「かしこまりました」
昨日も午前中に来てくれた女性客からの注文に笑顔で答えると、それを見守っていた丸顔の少年がヘヘッと小声で告げてくる。
「あの人はね、サリーさんって言うんだよ。角の雑貨屋さんで働いていて、怒るとすっごく怖いんだ」
「……ユーグ? それ、何か怒られることをしたんでしょう?」
「ん。デートだって言ってたから、みんなと尾行してみたんだ。あっさり気づかれたけど、相手の人がすごくいい人でおれたちも一緒にレストランのガレットを食べた」
「……」
「すっごく、おいしかった」
「…………」
サリーさんに同情するしかない。
この前、石を投げにきた丸顔の少年の名前はユーグ。9歳の彼は、家の手伝いの合間を見てエステルのカフェに遊びに来てくれるようになった。
(王都の外れのこの場所でさえ、私を揶揄する声があることを知った時はどうなることかと思ったけれど……ユーグのおかげでお客様がいらしてくれるのよね)
“顔だけ聖女”が始めたこのカフェは、開店初日こそ閑古鳥が鳴いていた。けれど、ユーグたちが街の人に知らせてくれたおかげで今ではそこそこ繁盛している。
「でも、エステルが淹れてくれるミルクたっぷりのミルクティーもおいしいよ」
「本当? うれしいな」
「うん。飲むと元気が出る」
「……飲むと、元気」
カウンターの上で昼寝をしていたクロードがわずかに頭を上げてにやにやしている。きっとまた『闇聖女』とでも思っているのだろう。
エステルが作るお菓子や飲み物に不思議な効果が付与されるのは本当らしい。おかげで、このカフェにルシアンが張る結界には余計な効果が上乗せされているし、黒猫の姿をしたクロードには何も口に入れないように言い聞かせていた。
(歌わなかったら効果がないのかなって思ったのだけれど。どうしても口ずさんだり心の中で歌ってしまう……)
エステルにとって、料理といえばおまじないの歌なのだ。でも、そのことで誰かが元気になるのなら悪いことではないはずである。
会話を聞いていたらしい『角の雑貨屋のサリーさん』が声をかけてくる。
「そうそう、不思議なのよね。私も最近疲れにくくて。何か違いはないかなって思ったら、このカフェでミルクティーを飲んだことが思い当たって」
「ほぼ毎日来てくださりありがとうございます」
「元気が湧いてくる上に、こんなにおいしいミルクティーとケークサレが食べられるんだもの。毎日だって通っちゃうわ」
「うれしいです」
人懐っこい笑顔に、エステルも喜びを隠せない。
死に戻り前、エステルはこんな風に褒められることがなかった。最後の一年間、アイヴィーに立場を奪われるまでは目に見えて不幸なことはなかったものの感謝されることもない。
(すごく幸せ……なんだか、生きてるって感じがする……)
「これからランチタイムよね。噂でおいしいキッシュが食べられるって聞いたわ。今度はお昼に来るから!」
「ぜひ! お待ちしています」
モーニングの時間が終わりサリーとユーグを見送ると、カフェにはクロードとエステルだけになった。
さっきまでの賑やかさが消えたところで、片付けに入る。ここからランチの時間までは客足が途切れるのだ。
(片付けたら、今日のキッシュを焼いてしまおう。サーモンとほうれん草のキッシュは初めてカフェで出すのよね。ルシアン殿下にもお出ししたことがないんだった。何も言わずに新メニューが増えていたら、殿下は確実に残念な顔をしそうだわ……)
ルシアンはここ三日ほど来ていなかった。当然結界は切れていて、カウンターの上からクロードが昼寝をしながら護衛してくれている。
かといって、身の危険を感じたのはユーグたちの石投げ事件ぐらいなものだ。基本的に、王都の外れにありつつも貴族街からそこまで離れてもいないこの場所は治安が良く平和である。
カラン。
(あれ。お客様かしら)
背後から聞こえた鐘の音に振り向くと、そこにはふわふわのキャラメル色の髪をなめらかに揺らし、ミントグリーンの瞳をこちらに向ける少女の姿があった。
カウンターの上で寝そべっていたクロードがあくびをひとつして、立ち上がる。
少女はそれに視線を向けるまでもなく、小首を傾げて微笑んだ。
「エステルお姉様。紅茶をひとつくださいな」
「アイヴィー。どうしてここに……」
「お姉様ばっかりずるいからです」
「ずるいって……」
「私たちは同じシャルリエ伯爵家の子どもなのに、お姉様にばっかり与えられるものが多すぎるんだもの」
さすがアイヴィーである。
数ヶ月前のルシアンの警告が全く響いていなかったことに、エステルはくらりと眩暈がした。
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