第17話 顔だけ聖女は認められる③
ルシアンが闇魔法を展開する直前には、一瞬だけ黒いもやのようなものが広がる特性がある。
「何だよこの黒いの!」
リーダー格の丸顔の少年は驚いて逃げようとし、尻もちをついた。
いつの間にかキッチンの中のテーブルクロスから抜け出したルシアンは扉のところまで来ていた。暴走を心配して肩にぴょんと乗ったクロードに告げる。
「大丈夫だ。少しびびらせるだけだ。何より、社会のルールを教えたほうがいいだろ」
「王子様、言葉遣い」
クロードが呆れたように言うが、ルシアンは聞き入れる気配がない。
(冷静なルシアン殿下はどちらへ……?)
エステルも一瞬呆けかけたものの、意識を呼び戻す。どんな理由があったとしても、ここでのルシアンの振る舞いは醜聞の元となりかねなかった。少年に向き直ると視線を合わせて話しかける。
「ねえ。顔だけ、の何がだめなのかしら」
「え」
今度、呆気に取られるのは子どもたちの番だった。
「私はもしかしたらそんな風に呼ばれていたことがあったかもしれない。でも、一応役割は果たしていたはずなのだけれど」
「……だって、大人が、」
急にしどろもどろになった丸顔の少年に、エステルはずいと顔を近づける。
「そもそも、顔だってそんなに美人じゃないかもしれないじゃない。顔だけ、って呼ばれるのすらもったいない可能性もあるわ。ほらよく見て」
「「「…………」」」
少年三人がたっぷり固まった後。
「……いや。うちの母ちゃんよりずっと美人だろ……」
「……広場にある偉大な聖女様の像そっくりだよ。めっちゃ綺麗なやつ」
「……結局顔だけってことじゃんそれ」
結局は『顔』に落ち着いたようである。話し合いでの名誉挽回を諦めたエステルはため息を漏らした。
「ねえ。あなたたちの遊び場だった場所をとったことは謝るわ。でも、石なんて投げていいの?」
丸顔の少年は目を泳がせる。
「……聖女だろ。傷なんてすぐに治せるだろ」
「顔だけ、なのに? それに、そもそも聖女の魔法では傷は治せないの」
「……そうなの?」
「ええ。勘違いをしている人もいるけれど、聖女の光属性魔法で消せるのは傷じゃなくて穢れ。悪いものを消し去るから病気や怪我も治せると思い込んでいる人もいるけれど、それは行き過ぎなの」
「……」
「まぁ、私は聖女自体やめたのだけれどね。私の名前はエステルと言います。少し前からここに住み始めた普通の人間です」
にこりと微笑むと、少年はさらに視線をさまよわせる。そのころには、黒いもやは跡形もなく消えていた。ルシアンも大人しくエステルの背後で見守ってくれているようである。
国の王子様が未来ある子どもを闇魔法でびびらせる、という不名誉な醜聞は誕生せずに済みそうである。エステルは安堵しつつ続けた。
「別に謝ってもらわなくてもいいけれど、石を投げるのはやめて。あと大人の言うことは聞いたほうがいいこともあるわ。でもそれを理由に誰かを傷つけちゃダメ」
「……ごめんなさい」
「ごめんなさい」
「ごめんなさい」
リーダー格の少年が丸い顔を真っ赤にして謝ると、すぐに後ろの二人も続く。手に握られていた石もぽとりと地面に落ちた。
(これで和解はできたはず……)
しゃがんで視線を合わせていたエステルは立ち上がる。釣られて子どもたちも腰を上げた。すると。
「……痛ったあ」
立ちあがろうとした丸顔の少年が顔を引き攣らせる。どうやら足が痛いらしい。
「もしかして今転んだ時に足を捻った? 見せて」
「聖女は怪我を治せないんでしょ?」
「ふふっ。だけど、怪我に効く薬は持っているわ。中で手当を。ちょうどタルトもあるの」
「……」
差し出したエステルの手を、彼はじっと見つめている。
「あ、もしかして私のカフェに入るのが心配なのね?」
少年が決まりが悪そうに目を泳がせたのを見て、エステルはルシアンをすすすと押し出した。
「先客をご紹介します。ルシアン・クラルティと言ってこの国で王子様をされている方みたいなんだけど」
「ルシアンだ」
「クロードだ」
紹介していないはずのクロードまで挨拶をすると、三人の目が揃って丸くなった。
「!? 王子殿下だ! もしかして、さっきのってルシアン様だけが使える闇魔法!? やべー」
「おれらに使われるとこだっただろう? 違う意味でやべーよ」
「しゃべる猫だ! 使い魔ってやつか!?」
子どもたちの反応に気を良くしたらしいクロードが、くるりと回って人間の姿になり偉そうに告げる。
「中に案内する。ついてくるように」
(よかった。大人の言葉に感化されすぎただけで、根はいい子たちみたい)
それを見送りつつ、なぜか一歩も動かないルシアンに視線を送る。
気がつかなかったが ルシアンの顔は紫色に染まっていて、ついでに息も苦しそうである。間違いなく何か言葉を我慢していた。
「大丈夫ですか? 聞き流すのでどうぞお話しになってください」
エステルが告げると同時に、ルシアンは口元を片手で隠した。けれど視線は逸らされずにそのままである。
青みがかった夜明けの湖のような瞳に至近距離でエステルを映し、熱っぽく呟いた。
「――エステルはやっぱり天使のようだ。愛おしくて無理だ」
「てん……、いとお……!?!?」
聞き流すのも普通に無理だった。
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