第16話 顔だけ聖女は認められる②

 翌日。


 エステルは、昨日焼き上げて冷やしておいたレモンタルトにナイフを入れた。程よく焦げ目のついたメレンゲはさっくりと切れ、檸檬色のクリームとどっしりしたタルト生地が顔を出す。


「うん。おいしそう」

「本当においしそうだな。顔が見られたうえにレモンタルトまで焼いてくれるなんて。エステルに会いにくるため、昨日徹夜してよかった。神はいた」

「て、徹夜……神……?」


 さらりと告げてくるルシアンにエステルは目を瞬いた。


 これは絶対に聞かせる予定のない本音である。けれど口にした本人は気がついていないらしく、さらに甘い言葉を重ねてくる。


「ああ。最近の俺にはエステルが足りなかったから」

「わたしがたりない」


 ひさしぶりの本音に思わず復唱してしまうと、ルシアンは一瞬固まってから天を仰いだ。そして両手で端正な顔を覆い、ため息を吐く。


「……聞き流してほんと」

「……そっ、そんなに真っ赤になるぐらいなら、うっかりしないよう気を抜かないでもらっていいですか……!」


 エステルの方もこうして反論する余裕まで出てきている。……一緒に頬を染めてはいるけれど。


 しかし、それでも隣ででろでろに表情を崩している青年があのルシアン・クラルティ第二王子殿下だとはなかなか信じ難いことだった。


(私を好きだと言ってくること以外、死に戻る前とルシアン殿下の様子に変わりはないのよね……)


 クロードが憎まれ口を叩きつつ、ルシアンに逆らうことがないのも主人と使い魔という関係だけでなく確固たる信頼があるのだろう。


 エステルへの感情だけが暴走している現状は、正直なところ本当に訳がわからなかった。


「お前たち面白いにゃ。もっとやれ」

「ぶりっこはやめろ」


 ルシアンが黒猫の姿をしたクロードに剣呑な視線を送ったところで、扉の方でまたカツンと音がした。三人分のレモンタルトを切り分け、盛り付けを終えたエステルは首を傾げる。


(……もしかして、昨日の子どもかもしれない)


 様子を見に行こうとカウンターから出たところで、ルシアンに肩を支えられた。普段はきちんと距離をとって接してくれているのに、こういうときだけの躊躇いのない動きにどきりとしてしまう。


「俺が行く」

「いいえ、ここは私の家ですので自分で出ます。クロード、一緒に来てくれる?」

「にゃー」


 クロードの猫のフリは完璧なようである。しかし必要はない。


「ルシアン殿下はキッチンカウンターの中の見えない場所に隠れていていただけますか。こんなところに第二王子殿下がいらしていると知られたら大変ですので」

「俺は君の婚約者だろう。何の問題があるんだ」

「いいえ大ありです……!」


 今、平行線だった婚約解消に関する話し合いを蒸し返している時間はない。


 エステルは不満げなルシアンをカウンターの中に押し込み、心の中で不敬を詫びつつテーブルクロスをバサッとかけ抗議の声を無視し扉に向かった。


「どちらさま……きゃっ!?」


 扉を開けた瞬間に飛び込んできたのは案の定小石である。それをジャンプしたクロードが前足で弾き返す。


(この子は……)


 そこにいたのは、三人の少年だった。先頭に立っているのは昨日も来た丸顔の子ども。残りの二人は少し怯えるようにして隠れている。


「何の御用かしら?」


 エステルが穏やかに問いかけると、丸顔の少年は矢継ぎ早にまくしたてる。


「お前、“顔だけ聖女”なんだろ! 大人が言ってた!」

「え」

「新しい聖女様が“前の聖女のせいでこの国は滞った”って言ったって。大人がみんな顔だけだから仕方ないって言ってた気がする!」

「え」

「この白い家を買ったのは“顔だけ聖女”だって言ってた! ここは俺たちの基地だったのに!」

「ええっ!?」


 新しい話題が目白押しだが、彼らの本題は絶対最後の言葉に違いない。クロードも猫の姿のまま教えてくれる。


「オイ。こいつらの本題は絶対最後のやつだぞ。惑わされるな」

「わかっているけれど」


(この家を私が買う前、ここはこの子たちの遊び場だったということよね……)


 申し訳ない気はする。けれど、こうして人に石を投げつけるとはいかがなものか。比喩で『石を投げる』は聞いたことがあるが、リアルでこんな目に遭ったのはエステルもさすがに初めてである。危ないし、何よりも当たったら痛い。


(それに、彼らは『大人が言ってた』を連呼しているけれど……私ってそんなに嫌われるようなことをしてきたのかしら。魔力が少ないなりに、一応は頑張ってきたつもりだったけれど)


 この国で聖女に求められるのは、定期的に各地に発生する『瘴気』を光属性の魔法で浄化することだ。その儀式をこなすには、エステルの魔力量では時間がかかるし、一日に一回が限度だった。


 けれど、瘴気が発生する頻度はそれを上回ることがない。


 だからこそ、エステルは自分を揶揄する声は聞き流してこられた。魔力が少ないことは残念だし、歴代聖女のように華やかで盛大な儀式ができないのは申し訳ない気がしたけれど。何よりも、誰にも迷惑はかけずにいられたはずだった。


(そういえば、アイヴィーは瘴気を浄化する儀式を派手に行って、注目を集めていたわね)


 死に戻り前のこと思い出しつつ、どうしたものかと思ったところで、周囲に黒いもやのようなものが見えた。


(あっ……これはダメですね)


 その正体が何なのか一瞬で察したエステルは、心の中で悲鳴を上げた。

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