第12話 ルシアン殿下の使い魔

「……黒猫……」


 朝。手切れ金がわりにもらった白いレンガの家の前で、エステルは木の上の黒猫と見つめ合っていた。


(この猫……何だか不思議な感じがする。ただの猫ではないような……)


「おはよう。朝ごはんは食べた? ミルクでよかったらあるけれど」

「……」


 愛想よく声をかけてみたものの、ぷい、とそっぽを向かれてしまった。猫でも猫でなくても、仲良くしてくれる気はないらしい。気を取り直して、エステルは庭の掃き掃除に戻る。


 この家の周囲は白いレンガにぴったりの真っ白な木の柵でぐるりと囲まれている。内側には花々の他にベリーの木も植えてあった。前の住人はガーデニング好きな人だったのかもしれない。


 真っ白な木の柵には、昨日、ルシアンが帰る時に何か魔法をかけて行った。とてもありがたいけれど、「男性客が入れなくなる闇魔法」などだったらどうしたものか。いやそんなはずはないが、彼に限ってはそんなはずあるかもしれないのが怖い。


 ここは以前、パン屋さんとして使われていたらしい。一階には大きめのカウンターキッチンと広めのホールがあり、二階は居住スペースになっていた。エステル一人なら、十分すぎるほどの広さである。


 掃除を終えたエステルは、小さく光属性魔法の呪文を呟いて周囲を浄化した。


 浄化というと大袈裟だが、綺麗さを保ちよくないものを寄せつけない、光属性魔法ではポピュラーなものだ。もちろん、エステルでも日常遣いできるほどに僅かな魔力で反応する。


「ふーん。顔だけ聖女、なんて呼ばれていても光属性の魔法はそこそこ使えるんじゃねーか」


 さっき黒猫がいたほうの木の上からだみ声が聞こえて、エステルはさっきまで掃除に使っていた柄杓とバケツを手に持った。


 ピシャリ。黒猫に向かって水をかけてやると、彼はひらりと木から降りて来た。艶々の毛並みが美しいその猫は、くるりと回ると一瞬で人の姿に形を変えた。


「うわっ。猫に水かけるとか正気かお前」

「……猫ではないと思ったので」


 憎まれ口を叩くエステルの目の前の青年は、肩までの黒い髪を後ろで一つに結び、黒い瞳をギラギラと輝かせている。


 年齢はルシアンよりも少し上、ぐらいだろうか。整った顔立ちをしていて、ルシアンが上品で高貴な王子様顔ならこっちは野性味溢れる男らしいイケメンというところだろう。


「オレはクロードだ」

「……」

「すごい美人だな。さすが『顔だけ聖女』。ルシアンが夢中になるのもわかるな」


 ずい、と顔を覗き込んできた男に向かいエステルはさらに水を撒く。それはもう。びっしゃあああああ、と。


 別に、今このクロードとかいう使い魔が「ルシアンはエステルの顔が好き」とか言ったからではない。そもそもそれは事実だ。確かに「顔まで好きだ」とかなんとか言っていたし。


「にゃ、何すんだよ!」

「別に。猫は猫らしくもふもふらしく、かわいいままでいてほしいだけです」


 そしてさらに水を撒く。ここのところのエステルは混乱していた。


 ルシアンの態度、というか口から滑り出る言葉を見ていれば、ルシアンはエステルの顔以外が好きなのだと一秒でわかる。


(でも、ルシアン殿下が私をそれほどに好きになるきっかけがなくないですか……?)


 エステルとルシアンは、死に戻り以前もただの政略結婚の婚約者だったはずだ。冷酷と評されることも多いルシアンだが、エステルに対しては紳士的に接してくれていた。しかしそれにしてもである。


 もしかして人違いだったのではないだろうか。目の前で好きすぎると訴えられても、十歳前後から『顔だけは美人なのに』『顔だけは歴代の聖女様と比べても遜色ないのに』と言われてきたエステルにはちょっと信じられないのだ。


「おい! お前! 悪かったよ」


 無心で水を撒き散らし続けるエステルに、クロードと名乗った男はやっと詳しい話をしてくれる気になったらしい。


「オレはクロードと言って、ルシアンの使い魔だ」

「ルシアン殿下の使い魔」

「そう。お前を守るように頼まれてきてる。でもあいつ、すげー結界張ってんのな。これならオレいらなくね?」

「……」


 あまりよくない予感に、エステルは目を閉じ神に祈り、すうっと息を吸う。


「……ルシアン殿下は、ここに一体どんな結界を?」

「お前に敵意を持つ人間と、好意を持つ男がこの柵を越えられない闇魔法の結界」

「……」


 しっかり営業妨害だった。

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