第10話 溢れ出る本音とケークサレ

 魔法を使うときには、呪文が必要だ。呪文はどれも特に意味を有しない音の連続に思えるけれど、属性ごとに規則を持つ響きらしい。


 そしてそれは使いこなす人間でなければわからない。――そう、ルシアンのように。


 エステルは自分の歌が闇属性魔法の呪文をベースにしたものだ、というルシアンからの思いがけない指摘に首を傾げる。


「そんなはずはないですけれど。この歌は、シャルリエ伯爵家の厨房に代々伝わるただのおまじないの歌です。何の効果もありませんし……もし由来があるのなら、光属性の呪文でないとおかしくないでしょうか」

「……それもそうか」


 どこか腑に落ちない、という表情をしながらもルシアンは納得してくれた。気だるげな空気を漂わせながらも、エステルが知っている彼よりもずっと饒舌である。


(婚約者だった頃、形だけの挨拶と天気の話しかしてこなかったのがもったいない……かもしれない……)


 美しい顔をした完璧な婚約者。近寄りがたく遠い存在のように感じていたけれど、こんなふうに気さくに会話に応じてくれてたまに“クソ”というありえない言葉も使う。


 人とは見かけによらないものだ、と思いながらエステルはふふっと笑った。


「食事の支度の時間になると、機嫌よく料理をするシェフの歌が厨房から聞こえてくることもあって楽しいんです」

「……」


 カウンターの向こうで頬杖をつき、ぼうっとエステルを見ていたルシアンは何とか言葉を選ぼうと頑張ったようだ。しかし無駄だったようである。


「エステルは天使のようにかわいいな。ふとした時に抱きしめたくなって困る」

「てんしのようにかわいい?」


 その先の言葉は反芻すらできない。……と同時にルシアンもガタンと音を立てて立ち上がった。当然、顔は真っ赤に染まっている。


「今日はダメだ、帰る。後で使いをよこすから焼き上がったケークサレを渡してくれるか。食べるまでは死ねないが君にこんな本音を聞かせ続けるのは、」

「たべるまではしねない?」


「今、この状態の俺が君の手作り料理を食べずに死ねると思うか?」

「そもそも死なないでいただきたく」

「だろう。では、そういうことで」

「あっ待ってください」


 さっと手をあげ出口に向かって歩き出したルシアンをエステルは引き止める。せっかくならケークサレの試食をしてほしい。自分以外の誰かの感想が聞きたい。


「あの、私でしたら大丈夫なので。できる限り聞き流しますし」

「聞き流されるのもそれはそれで悲しくないか!?」


 ルシアンの“気持ちが隠せない”件について、エステルはこれまで通り沈黙を貫けばいいのではと提案した。


 けれど、この状態になってから一緒にいるとどうしてもエステルについて語りたくなるようだ。それも呪いなのだろう。


 かといって、自分を好きすぎると訴えてくる相手に「もうここに来るな」というのは一言発するだけでも躊躇われた。


(呪い返し、があるほどの禁呪。ルシアン殿下は一体どんな魔法をお使いになったのかしら)


「……」


 同情しつつも、この狼狽を見ると少しだけ揶揄いたくなってしまう。答えは想像できたものの、聞いてみる。


「……あの。ルシアン様は本当に帰りたいんですか」

「帰りたいわけないだろう。貴族令嬢かつ聖女として暮らしてきた君をこんなところに一人で残しておくなんて心配でどうにかなりそうだ」

「ふふっ」

「笑うんじゃない」


 片手で口元を隠しほんの少しだけ赤い顔で上目遣いに視線を送ってくる姿に、つい笑ってしまう。


「ルシアン様はこういうお方だったんですね。想像していたよりもこちらの方がずっと素敵です」

「……そういうことを言うんだな」

「? ええ」


 ルシアンからの剣呑な視線に、エステルは首を傾げた。


「エステルの方は、俺が想像していたよりもずっと……っ、」

「あっ、また顔色が」


 この流れで一体どんな嘘をつこうとしたというのか。“想像より素敵”よりも隠したい言葉があるなんて、衝撃すぎる。けれど、ルシアンの顔色はみるみる紫色に染まっていく。


「やっぱり帰りたくないが帰る」

「だめです。闇属性魔法で結界が張られ、第二王子殿下が紫色の顔をして出てくるカフェなんて、誰も来なくなってしまいます」

「……正直、自分でもそれをやりかねないのが怖い……」



 そうしているうちに、甘く香ばしい匂いがカフェの中に広がっていく。


 ケークサレは焼けた。

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